
解説:上山 典子 (16345文字)
更新日:2013年5月10日
解説:上山 典子 (16345文字)
フランツ・リストはアダム・リストとマリア・アンナ・リストの一人息子として、1811年10月22日にライディングに生まれた。ライディングは当時オーストリア支配下のハンガリー帝国内の領地だったが、第一次世界大戦後の1921年以降はオーストリア帝国ブルゲンラント州に属する。リストは1822年にこの生地を離れて以降、再びハンガリーの地に定住することはなかった。しかもエステルハージ侯爵家に仕えていたドイツ系両親の下に育ったリストがハンガリー語を学ぶことはなく、生涯を通してその言語を理解することはなかった。また、後にリストが《ハンガリー狂詩曲》などでハンガリー固有の民謡として借用した旋律は、ロマ(ジプシー)のものだった。こうした血筋上の矛盾、言語の無理解、文化の根本的誤解にもかかわらず、リストは当時から(そして恐らくは)今日に至るまで、「ハンガリーの作曲家」とみなされてきた。その最大の理由はリスト本人が「ハンガリー人」と自称し、またそのことを誇りに思っていたことに求められるだろう。リストがペストを訪れる度に「祖国」から受けた熱狂的歓迎、そして国王に匹敵するほどの英雄的扱いと数々の褒章も、「ハンガリーの国民的英雄」としてのリストを着々と作り上げてきたのである。
しかしだからと言って、民族的には確かにドイツ系のリストを「ドイツ人作曲家」と評することもまた違和感がないわけではない。ヴィーン、パリ、ヴァイマル、ローマの各都市に一定期間居を構え、生涯を通してヨーロッパ全土を活動の場としたリストは、真の意味で「ヨーロッパ人」であり、西洋音楽史上もっともコスモポリタンな芸術家のひとりであったことに異論はないだろう。
1. ライディング、ヴィーン時代(1811-23年)
2. パリ時代(1823-39年)
3. ヴィルトゥオーソ・ピアニスト時代(1839-47年)
4. ヴァイマル宮廷楽長時代(1848-61年)
5. ローマ時代(1861-68年)
6. ヴァイマル=ブダペスト=ローマの三分割時代(1869-86年)
解説 : 朝山 奈津子
(920 文字)
更新日:2007年5月1日
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解説 : 朝山 奈津子 (920 文字)
ハンガリー系のドイツのピアニスト、作曲家。本人はハンガリー語を母国語として解さずその文化も異質なものであったが、自らの血統を強く意識していた。ヨーロッパ中をその活動地とし、ドイツ語圏のほかはパリ、ローマで活躍した。
神童としてヴィーン、次いでパリにデビューした。若くして演奏家として名を挙げたリストは、しかし、いったん華やかな社交界を辞してスイスへ移り住み、自らの音楽性を探求する日々を送る。これが《旅人のアルバム》、《巡礼の年報》に実を結んだ。また、39年にイタリアで表舞台に復帰した後に《ダンテを読んで》《ペトラルカのソネット》などが生まれるのも、その延長上の成果である。
その後の8年間でリストは、ヴィルトゥオーゾとしてヨーロッパ全土に熱狂を巻き起こした。が、演奏旅行に明け暮れる生活をやめ、作曲に専念することを決意する。1848年、ヴァイマル宮廷楽団の常任指揮者となり、居を構えた。ここでリストは、自らの管弦楽曲、とりわけ交響詩と標題交響曲のための実験を繰り返し、大規模作品を完成させていく。また鍵盤作品にも《超絶技巧練習曲》、ピアノ・ソナタロ短調などがある。しかし53年にヴァイマル大公が代替わりすると、61年にはローマへ赴いた。
やがてまた、69年にはヴァイマルでピアノの教授活動を再開、のちにブダペストでもピアノのレッスンをうけもち、ローマと併せて3つの都市を行き来する生活となった。晩年は彼のもとを訪れた多くの音楽家を温かく励まし、優れた弟子を世に送り出した。生涯を通じて音楽の未来を信じ、つねに音楽の歴史の「前衛」であろうとした。
リストが音楽史上最大の技術を持つピアニストであったことは、彼が「自分のために」作曲した数々の難曲と、当時の演奏会評から確かめられよう。また、レパートリーもきわめて広範囲に及び、当時はまだ決して一般に広まっていたとはいえないバッハの対位法作品から、音楽的に対立する党派といわれたシューマンの作品まで、ありとあらゆるものを取り上げた。更にリストは、従来さまざまなジャンルや編成と複数の出演者で行っていた公開演奏会の形式を改め、自分ひとりで弾きとおすリサイタルを始め、集中力のより高い演奏会を作り出した。
解説 : 原 晶穂
(351 文字)
更新日:2018年3月12日
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解説 : 原 晶穂 (351 文字)
(1811年10月22日ショプロン近郊ライディング[現オーストリア、ブルゲンラント州 — 1886年7月31日バイロイト])
ハンガリー出身で、国際的に活躍したピアニスト、作曲家。
1831年に圧倒的な超絶技巧を誇るヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニ(1782-1840)の演奏を聴き、ピアノ音楽のパガニーニとなることを決意。そして、リストは19世紀の最も前衛的なピアノ・ヴィルトゥオーゾとして国際的に活躍した。リストのピアノ音楽は高い演奏技術と深い音楽表現の両方が求められるため、ピアノ曲の中でも屈指の難曲が多い。
超絶技巧を要する代表的な作品に〈マゼッパ〉や〈鬼火〉を含む《超絶技巧練習曲集》(第2版、1851年刊)、〈ラ・カンパネラ(鐘)〉を含む《パガニーニ大練習曲》(第2版、1851年刊)がある。
作品(315)
ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ) (2)
協奏曲 (3)
種々の作品 (10)
ピアノ独奏曲 (6)
曲集・小品集 (23)
練習曲 (11)
リダクション/アレンジメント (96)
トランスクリプション (17)
種々の作品 (138)
ピアノ合奏曲 (3)
リダクション/アレンジメント (2)
トランスクリプション (2)
種々の作品 (5)
その他 (1)
種々の作品 (5)