リスト : 「さまよえるオランダ人」の紡ぎ歌(ワーグナー) S.440 R.273
Liszt, Franz : Chor der spinnerinnen "Der fliegende Holländer" (Wagner) S.440 R.273
作品概要
作曲年:1860年
出版年:1861年
楽器編成:ピアノ独奏曲
ジャンル:リダクション/アレンジメント
総演奏時間:5分40秒
著作権:パブリック・ドメイン
※特記事項:ワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」第2幕から
解説 (2)
総説 : 上山 典子
(997 文字)
更新日:2015年5月21日
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総説 : 上山 典子 (997 文字)
《オランダ人より糸紡ぎの歌》は、ワーグナーが1842年に完成させた初期のオペラ、《さまよえるオランダ人》の第2幕第1場で糸紡ぎに精を出す娘たちの合唱に基づく。リストはこのほかにも《オランダ人》に基づく編曲として、《オランダ人よりバラード》を仕上げている。原曲オペラでは、糸紡ぎの合唱に直接続くのがそのゼンタのバラードだが、リストがこれら二曲に取り組んだのは《糸紡ぎ》が1860年、他方の《バラード》は1872年と、まったく別の時期だった。
《糸紡ぎの歌》と同時期に仕上がったのはむしろ《リエンツィの主題に基づく幻想曲》のほうで、両編曲の手法上の類似性についてリストは次のように述べている――「糸紡ぎの歌とリエンツィ・ファンタジーは自由に扱った、独立した編曲であり、モティーフの展開です。(中略)おおよそ私のメンデルスゾーンの《夏の夜の夢の行進曲》のコンサート・パラフレーズの手法です」(1861年7月24日付、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社宛)。
ほとんどリストの「自由な創作」と表現されえる《リエンツィ》と比べると、《糸紡ぎの歌》は明らかにワーグナーのオペラの「編曲」の範疇にある。リストは「糸紡ぎの動機」に基づく21小節の前奏を独自に挿入したのち、原曲の通りイ長調で糸紡ぎの歌部分に入る。旋律線は基本的に原曲のまま維持されているが、そこにはアルペッジョ、前打音、そしてトリルなどによる無数の装飾が付加されており、しかも第1連、2連、3連と進むにつれ、その装飾は華やかさを増していく。伴奏パートも同じく、リスト独自の技巧的で自由なパッセージに満ちており、リストのこうしたピアニスティックな扱いによって、本来は繰り返し音型が象徴する娘たちの平凡な糸紡ぎの日々が、華麗で躍動感にあふれたものになっている。また、各連をつなぐ間奏部には空虚5度音型の「オランダ人の動機」が独自に挿入されている。それは陽気な糸紡ぎ旋律との鋭い対照を生み出すと同時に、この編曲がオペラ《さまよえるオランダ人》の一部であることを印象づけている。
ワイマール古典主義財団の資料館、ゲーテ・ウント・シラー・アルヒーフが所蔵する自筆譜(整理番号:GSA 60 / I62)には、「1860年11月17日」の日付と、後にピアニスト、作曲家として活躍することになる弟子のルイス・ユングマン(1832-92)に献呈する旨が記されている。
演奏のヒント : 脇岡 洋平
(1768 文字)
更新日:2018年3月12日
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演奏のヒント : 脇岡 洋平 (1768 文字)
リストはワーグナーに限らず色々な作曲家のオペラをピアノ曲に編曲しましたが、実にその手法は様々です。原曲のスコアと寸分違わぬようピアノへと移し替えた「ピアノ・スコア」を初め、ローエングリンであったような抜き出し曲以外の部分を加えたり、自身の創作を加えたり、はたまたモチーフだけ拝借して自由な創作曲を書いたり。
彼はそれらを作曲手法によってアレンジメント、トランスクリプション、ファンタジー、パラフレーズ、追想、などの名前を付けていきました。ローエングリンの4曲は極力創作は避け、原曲に沿って作られているので「アレンジメント」と分類されます。
それらの名称のもとに、ピアノ用、オーケストラ用、室内楽用など、計350 曲以上の編曲を完成させました(うちリスト自身の原曲が約45%、他作曲家のものが55%)。ピアノの為の編曲は2手、4手、2台と合わせると274 曲で、編曲総数の80%近くを占めます。オペラ作品を素材にした編曲(序曲や前奏曲を含む)は、およそ70 曲にのぼります。
そしてワーグナーのオペラ作品の編曲(計15曲)は、1849年~1882年まで長きに渡り取り組んだことから、リストにとっていかにワーグナーが深く影響を与えた作曲家だったのかがわかります。
「さまよえるオランダ人」からの2編曲は、”トランスクリプション” に分類されます。原曲から大きく逸脱はしていないものの、ピアニスティックなアレンジや自由な創作がそこかしこに施されており、パッと聴くとピアノ曲として作曲されたかのように感じるほどです。
この作品は大航海時代以降に流布した「さまよえるオランダ人」伝説を基に、ワーグナーが台本を書き下ろしたものです。航海中に風や神を罵ったオランダ人船長が神の怒りを買い呪われてしまい、死ぬことも許されずに、永遠に海をさまよい続けることになります。この呪いを解くためには、7年に1度許される上陸の機会に、オランダ人船長に「永遠の愛」を誓う女性が現れなければならない、というものです。このオペラではワーグナー初期の作品ということもあり、曲が1曲ずつ完結する番号制オペラの伝統を踏襲しています。彼の本格的創作活動の出発点となった作品であり、「女性の愛による救済」という終生のテーマが明確に打ち出されています。
第1幕はオランダ人船長がノルウェーをさすらっていたところ、ダーラントという船長と出会います。彼にゼンタという娘がいることを知ったオランダ人船長は、娘を嫁にほしいと言い財宝を見せます。予々富裕な婿を願っていたダーラントはそれを受け入れます。そして第2幕では舞台はダーラント家に移り、ゼンタは仲間の娘たちが紡ぎ歌の原曲である「糸紡ぎの合唱」(第1曲)を歌いながら糸車を回す中「さまよえるオランダ人」の肖像画に見入っています。なぜか、それは伝承を知ったゼンタはそれ以来そのオランダ人を救う聖女は自分だと、夢見ているからでした。そんな様子をたしなめた乳母マリーや、からかう娘たちに対して、ゼンダのバラード(第2曲)を歌い、オランダ人への憧れや熱い想いを歌い上げます。父とともにやって来たオランダ人を見て、一目で ”彼こそが自分の求めていたオランダ人” であることを悟り、彼に誠を誓います。しかし、彼女には彼女のことを愛するエーリックという若者がおり、第3幕ではオランダ人と婚約したゼンタをなじり、かつては自分に永遠の誠を誓ったのではないかと、昔の二人の愛を歌います。それを立ち聞きしたオランダ人は、欺かれたと早合点し、ゼンタを破滅させたくないと幽霊船に飛び乗り、去ろうとします。ゼンタは去ろうとする彼に向かって、自分こそはあなたを救う女だと告げ誠を誓い、海へ身を躍らせます。その犠牲により、オランダ人の呪いは解け、幽霊船は砕け沈みます。そして暁の光の中救われて死の安息を得たオランダ人とゼンタが抱き合いながら天へ上ります。
◆糸紡ぎの歌 第1連、2連、3連と歌が進むにつれ、その旋律は一層華麗に装飾されていきます。また各連の間には5度の「オランダ人の動機」が独自に挿入されています。歌詞があれば、同じ旋律の繰り返しでも変化をつけることができますが、ピアノ編曲という歌詞をもたない音楽に対し、装飾による変奏というピアニスティックな手法で賄われています。