13歳、リストはパリを訪れ、演奏家として華やかな生活を送る。この時代、多くの作曲家や詩人との交流があったが、フランス・ロマン派の詩人アルフォンス・ド・ラマルティーヌ(1790~1869年)もこのうちの一人である。彼らはベルギョジョーソ公夫人のサロンで出会い、深い交友関係をもった。
この作品はそのラマルティーヌの同名の詩集からタイトルを借りている。詩集は1830年に出版され、当時20歳前後だったリストはこれに深い感銘を得た。
晩年にはローマで聖職者の地位を得て、宗教的な生活に入ったリストであるが、この頃から内在していた彼の宗教的な側面が、この作品の中で大いに表現されている。
10曲からなり、1845年から52年ころにかけて主にワイマールで作曲された。
冒頭にラマルティーヌの詩から序文が載録されている。
カロリーヌ・ヴィットゲン伯爵夫人への献辞が付されて1853年に出版された。
1.祈り / No.1
2.アヴェ・マリア
同名の男性合唱曲からの編曲。ラテン語による祈りのテキストにしたがっている。
3.孤独のなかの神の祝福
曲集中、最も大きなスケールをもち、しばしば単独で演奏される。
信仰によって心の平和を得たという内容のラマルティーヌの詩が曲頭にかかげられている。詩の行と音楽が逐一対応しているわけではなく、詩のもつ宗教的、瞑想的な内容が、音楽的に表現されている。
4.死者の追憶
旧約聖書の詩編第129番「深き底より De profundis」をテキストとして用いている。1834年に、この元曲が、ラマルティーヌへの献辞として、リストが主催した『パリ音楽新報』の付録に掲載された。絶えず繰り返される和音を用い、グレゴリオ聖歌の朗誦が暗示されている。
5.パーテル・ノステル
同名の男性合唱曲からの編曲。
6.眠りから覚めた御子への賛歌
同名の男性合唱曲からの編曲。
7.葬送
1849年10月オーストリアのメッテルニヒによる反動政策に反抗して失敗し、処刑された祖国ハンガリーのリストの友人たち、リヒノフスキー侯、テレキー男爵、バッティヤニー伯爵に対する追悼の念がこめられた作品だとされる。(その月の17日に亡くなったショパンへの追悼の念がこめられている、とされる説もある。)しばしば単独でも演奏される。
8.パレストリーナによるミゼレーレ
パレストリーナの宗教曲に基づいていると考えられているが、実際に使用されているのはパレストリーナによる旋律ではないとする説もある。16世紀時代には一般的であった全音階和声における単純な和音を用いたり、拍子記号を指示することなく、当時の作曲家たちの古めかしく、純粋なスタイルをあらわしている。
9.アンダンテ・ラクリモーソ
10.愛の賛歌
リストが好んでしばしば演奏したとされる技巧的な曲。