1833年12月に《幻想交響曲》の演奏に触れ、感激したパガニーニ(1782-1840)は、彼が所有していたストラティバリウスのヴィオラを引き立てる独奏作品をベルリオーズ(1803-1869)に委嘱した。ベルリオーズは、ジョージ・バイロンの長編詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』に自らのイタリア滞在の印象を織り込みながら、ヴィオラを主人公に見立てた音楽による物語を書き上げていった。1834年6月に完成した《イタリアのハロルド》は、《幻想交響曲》と同様に固定楽想(イデ・フィクス)の技法によって文学的な表現を音楽のみで実現しているだけでなく、交響曲でありながらヴィオラ独奏を伴うという前代未聞の作品となったのである。ヴィオラのためのヴィルトゥオーゾ・ピースを期待していたパガニーニは、当初は独奏部分の少なさに失望したものの、後年その評価を改め、最大級の賛辞を贈っている。
《イタリアのハロルド》は、それぞれタイトルが付けられた〈山におけるハロルド、憂愁、幸福と歓喜の場面〉、〈夕べの祈りを歌う巡礼の行進〉、〈アブルッチの山人がその愛人に贈るセレナード〉、〈山賊の饗宴と前景の追憶〉の4つの楽章から成る。委嘱者のパガニーニが当初失望したように、これはヴィオラ協奏曲ではない。ヴィオラはソロ楽器として扱われているものの、その役割は文学的交響曲の主人公というものであり、ヴィルトゥオジティには主眼が置かれていないのである。この交響曲の革新性は、固定楽想を有機的展開の契機としながら、ヴィオラという独奏楽器に演劇的な機能を与えたことにある。ベートーヴェンの《田園交響曲》を出発点に、《幻想交響曲》でベルリオーズが推し進めた標題交響曲の革新は、《イタリアのハロルド》でさらに前進したのである。
リスト(1811-1886)は生前、長きにわたってこの作品への関心を持ち続けた。1834年に《イタリアのハロルド》の初演と三回目の再演を聴いたリストは、1835年には早速第二楽章をピアノ独奏用に編曲して演奏している(この第二楽章のピアノ独奏用編曲は1866年出版)。その後リストは全楽章をピアノとヴィオラのために編曲してベルリオーズに送ったが、ベルリオーズは当初この編曲にあまり興味を示さなかったようである。1852年になってようやく、ベルリオーズはリストにこの編曲についていくつかの意見を送り、修正を促している。管弦楽版とリスト編曲版には第三楽章のヴィオラのソロ・パートに若干の違いが見られる。結局、全楽章のピアノとヴィオラのための編曲はベルリオーズの死後、1879年に出版された。リストはまた、この作品を編曲しただけでなく、この作品に関する重要な論考も書き残している。彼が1855年に発表した「ベルリオーズと彼のハロルド交響曲」は、標題音楽の可能性を論じた音楽美学史上極めて重要なものである。リストのこうした《イタリアのハロルド》に対する大きな関心は、この作品が19世紀の音楽史、とりわけ標題音楽の発展に果たした役割を強く示している。
作品情報 イタリアのハロルド Harold en Italie
1. 山におけるハロルド、憂愁、幸福と歓喜の場面 Harold aux montagnes. Scènes de mélancolie, de bonheur et de joie.
2. 夕べの祈りを歌う巡礼の行進 Marche de pèlerins chantant la prière du soir.
3. アブルッチの山人がその愛人に贈るセレナード Sérénade d’un montagnard des Abruzzes à sa maîtresse.
4. 山賊の饗宴と前景の追憶 Orgie de brigands. Souvenirs des scènes précédents.
オリジナル 1848年出版 リスト編曲 1879年出版