リストが取り組んだワーグナー作品の編曲は、≪タンホイザー≫と≪ローエングリン≫から合計7曲に及ぶ。そのうち6曲は1849~54年の間に完成したもので、それらはすべてリストがワイマールの宮廷楽長として尽力したワーグナー作品の普及活動と深いつながりを持っている。すなわち1849年2月24日の≪タンホイザー≫ワイマール初演、1850年8月28日の≪ローエングリン≫全曲初演に代表される数々のオペラ上演、そしてオペラのストーリーを紹介する雑誌記事などと並んで、これらのピアノ編曲も原曲の普及に大きな役割を果たしたのだった。
しかし《巡礼の合唱》はこうした活動が盛んに行われた1850年代前半ではなく、リストが宮廷楽長をすでに辞任した1861年になって取り組まれた。そのタイトルは≪タンホイザー≫第3幕第1場のローマから戻ってきた巡礼の一行による合唱の場面に対応しているが、実際には同オペラの序曲(第1-83小節)に相当する。リストは1849年に仕上げ、出版もした《タンホイザー序曲》と重複する部分を再び取り上げたのである。
《巡礼の合唱》と題された序曲からの編曲は、1865年にライプツィヒのジーゲル社から出され、そして恐らく同年にパリのフリュックスランド社からも出版された。ジーゲル版のタイトル・ページには「パラフレーズ」と記されている。(ちなみに《タンホイザー序曲》の出版社はドレスデンのC. F. メーザー社だが、その初版にも同じく「パラフレーズ」と記載されている。これら2つの編曲がいずれも、今日一般に理解されている自由で華麗なコンサート用の編曲としての「パラフレーズ」とはむしろ正反対のスタイルで書かれていること、またリスト自身が《タンホイザー序曲》には、あらゆる微細な点まで原曲に忠実であることをモットーとする編曲の名称、「ピアノ・スコア」の呼び名を適応させていたことを考慮すると、両編曲の初版譜に記された「パラフレーズ」の表現がリスト自身ではなく、出版社に由来するという可能性も排除できない。) 12年前の編曲《タンホイザー序曲》との相違点はそれほど大きくない。しかしスラーの付け方、音符の桁の向き、強弱記号、アクセントなど数々の細かな違いは、《巡礼の合唱》が明らかにそれとは別の時期に、新たに取り組まれたものであることを伝えている。また、低音域の重視で響きに厚みがある《序曲》とは異なり、《巡礼の合唱》はピアノの楽器での演奏にいかにもふさわしい書法で作られており、オーケストラ曲の編曲というよりも、元々ピアノのために書かれた曲かのような印象を与えている。また、極端に高度な演奏技能を要求する《序曲》には見られなかった「Ossia」の提示により、演奏の簡素化が選択可能となっている点も、12年前の取り組みとの大きな違いである。
演奏技能の難易度とは無関係に、リストは第84小節からの後奏でも2種類のエンディング(① 23小節からなる低音域での旋律の歩みと和音、② 4小節からなる高音域の和音)を提示している。