リスト : 巡礼の年 第2年「イタリア」 「ダンテを読んで-ソナタ風幻想曲」 S.161/R.10-7 A55
Liszt, Franz : Années de pèlerinage deuxieme année "Italie" "Après une lecture du Dante-Fantasia quasi sonata" S.161/R.10-7
作品概要
解説 (2)
解説 : 伊藤 萌子
(422 文字)
更新日:2019年1月9日
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解説 : 伊藤 萌子 (422 文字)
この曲集の最後を飾る第7番は、先の6曲に比べてはるかに規模の大きい作品である。圧倒的な迫力が魅力で、演奏会で取り上げられることも非常に多い名曲の一つ。題にあるように、ダンテ(1265-1321)の叙事詩『神曲』を読み、そこからインスピレーションを得て創作された。当初は二部構成《神曲への序説》の曲名で二部構成の作品で、1839年には演奏したという記録もある。何度かの改訂を経て、1849年に完成した。
ダンテの『神曲』は、「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の三部から構成されている。本曲の冒頭では地獄の世界への幕開けのように、中世の多声音楽より「音楽の悪魔」と呼ばれる増4度音程の下行が、繰り返しあらわれる。増4度は1オクターヴをちょうど二等分することから忌み嫌われてきたが、リストだけでなく多くの作曲家が、悪魔や死など不吉なものを象徴する手段として用いている。激しい苦悩や葛藤の合間に美しく穏やかな旋律が聞こえてくる。最後は輝かしく締めくくられる。
演奏のヒント : 大井 和郎
(1907 文字)
更新日:2018年3月12日
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演奏のヒント : 大井 和郎 (1907 文字)
7. ダンテを読んで-ソナタ風幻想曲
この曲を演奏するにあたり、典型的な誤解や間違いを例に挙げ、注意点としてお話ししたいと思います。まず、35小節目からのペダリングに注目してください。35小節目からスタートしたペダルは、40小節目まで踏みっぱなしにするように指示が出ていると思います。この曲に限らず、多くの音楽でペダルマーキングが異常に長い楽譜に遭遇することがあります(ベートーヴェンのソナタやハイドンのソナタにもあります)。これは、昔のピアノと現代のピアノの違いと考えて良いと思います。昔のピアノは現代のピアノほど音は伸びませんでした。だからそのペダリングでも何ら支障は無かったと考えて良いと思います。ゆえに、現代のピアノでこのペダルマーキングに従った場合、必要以上の効果が出てしまい、何が何だかわからなくなったり、極端に濁りが気になったりします。奏者はそのようなペダリングの箇所に臨機応変に対応し、少くとも何の音が鳴っているか位はわかるようなペダリングにすることをお勧めします。 ここから大切な流れを説明いたします。この曲を演奏するにあたって、最も重要なことです。奏者はこのような長い大曲を演奏する時、遥か彼方にゴールがあると考えなければなりません。そしてそのゴールまでは、上り坂や下り坂など様々な道がありますが、本当のゴールを見失うことなく、そして感情の起伏をもっと大きな見方で考えなければなりません。ちなみに、35小節目から始まる嵐は、一見115小節目で終わるように思うかもしれません。 それまでの流れと注意点です。
まず52小節目が問題です。ここまでのテンポが異常に速い奏者で、52小節目に入ったとたん、多くの音符があるがゆえに、テンポをがっくり落とす奏者がいます。51小節目と52小節目のテンポは変わりません。奏者が52-53小節間を速く弾くことのできない場合、35小節目からのprestのテンポを落とし、52小節目に同じテンポで達して辻褄を合わせて下さい。同じことが77小節目にも起こり、そしてそれは90小節目で更にテンポを増すことになります。103小節目以降はグランディオーソ的にテンポを緩めても構わないとは思いますが、115小節目でTempo I になります。そこまで決して緊張感を緩めないような演奏が望ましいと思います。聴いている人の頭がおかしくなるくらいの怒涛の嵐を連続させ、圧迫し、安心する瞬間を与えてはなりません。
115小節目、このカデンツの説明です。冒頭も同じではありますが、ここのマーキングはフォルテのままです。この115小節目に達するまで物凄い嵐があり、破裂した感情があり、絶大なドラマがありました。それがこの115小節で一気に冷めてしまう奏者がいます。人間の感情とはそう瞬間的に変わるものではありません。115小節目はそれまでの興奮が収まらないまま入ります。118-119でカデンツはdurで終わりますが、これがリストの威厳の部分、運命的な部分であって、叙情的な部分ではありません。dimが来るのは122小節目です。ここで少し気持ちが通常に戻り、124小節目以降こそ穏やかにはなりますが、筆者が演奏する場合、124-125小節間はまだ少し興奮が冷めやらぬ感情を持ちます。
そしてそれが徐々に、126-127小節間でもう少し穏やかになり、更に穏やかになるのは、128小節目以降のpppの部分です。これら3つのシークエンスは、少しづつ穏やかに、だんだんと弱く、だんだんとゆっくりになって理にかないますが、しかしながら更に言うと、124-135小節間はまだ少しだけ、前の嵐の部分を引きずっています。何故なら、それは右手のリズムです。このリズムは、音価こそ違うものの、まさに35小節目からの嵐の、悲しみのリズムだからです。ゆえに、131小節目などはagitato的な感情でも良いと考え、本当に精神面で穏やかになる部分は136小節目以降であると考えます。
これはほんの一例にすぎませんが、この曲のような大曲(長い曲)を演奏する際の注意点として、木を見ずに森を見るということが大切で、全体を見た時、その全体には繋がりがなければなりません。そして1つのストーリーとしてあるいはプログラムとして成り立たなければなりません。ところが断片断片で処理をしてしまうと、その断片にはつながりがなく、異なった多くの曲が1つになったように聴こえてしまいます。異なった多くの曲が1つとなって聴こえた場合、聴き手には同じ時間でも大変長く感じるものです。全体を大きく見て分析することが、大曲を仕上げるコツです。
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