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リスト :「ダンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦」序曲(ワーグナー) S.442 R.275

Liszt, Franz:Tannhäuser und der Sängerkrieg auf Wartburg (Wagner) S.442 R.275

作品概要

作曲年:1849年 
楽器編成:ピアノ独奏曲 
ジャンル:リダクション/アレンジメント
総演奏時間:16分30秒

解説 (1)

総説 : 上山 典子 (1567文字)

更新日:2015年5月21日
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リストが作成した数々の編曲のなかでも、ワーグナーのほぼすべてのオペラを網羅するピアノ2手用編曲は、リストの編曲史においてとりわけ重要な位置を占めている。47歳の1849年から70歳を超えた1882年に至るまで、リストが30年以上の年月にわたり断続的に取り組んだワーグナー作品の編曲は、合計15曲(作品番号に基づくと12作品)にもおよぶ。  このワーグナー編曲の先陣を切ったのが、「まるで神聖なテクストを翻訳するかのような厳正さ」(リストが以前に取り組んだベートーヴェンの交響曲のピアノ編曲に対して用いた表現)で取り組まれた1849年の《タンホイザー序曲》である。1839-47年のおよそ9年間、リストはヴィルトゥオーソ・ピアニストとしてヨーロッパ中を駆け巡る演奏家生活に没頭していたが、突如ピアニストとしてのキャリアから引退し、1848年2月には、ドイツ中部の町ワイマールの宮廷楽長に就任した。そしてリストが宮廷楽長としてまず着手したのが、ワーグナーのオペラを普及させるための様々なプロパガンダ活動だった。就任から1年後の1849年2月16日には、ワイマール宮廷歌劇場で《タンホイザー》の全曲上演を実現させたが、この上演に合わせるかたちで、《タンホイザー序曲》のピアノ編曲も作られ、同年中にドレスデンのC. F. メーザー社から出版されたのだった。  原曲オーケストラの重厚で厳かにして並はずれて色彩的な響きを最大限に再現させようと、わずか2本の手で挑むこの編曲は、ピアノのあらゆる鍵盤を縦横無尽に駆け巡るなかで10度を超える音程が頻出するなど、必然的に演奏至難な439小節に仕上がっている。リストはワーグナー宛の手紙で、「[この曲]の技術的な困難を乗り越えられる演奏者はごくわずかだと思う」(1849年2月26日付)と述べたのに対し、ヴァーグナーは「君にとっては何でも可能だね!」(同年3月1日付)と上機嫌で返信した。  また編曲取り組み時、ピアノの生徒としてリストの傍にいたハンス・フォン・ビューロー(1830-94)は、母親に宛て次のように伝えている――「楽譜上ではそこまで恐れおののかせるものには見えないのですが、タンホイザー序曲の演奏は非常に負担なので、リストは終わり近くで一瞬止まらざるをえませんでした。演奏は非常に疲労させるため、リストは稀にしかひきません」(1849年6月21日付)。ヴィルトゥオーソ・ピアニストで名を馳せたリストにとってさえ、自身で編曲した《タンホイザー序曲》の演奏が至極困難であったことは、出版社のブライトコプフ・ウント・ヘルテル社宛の手紙(1861年7月17日付)で言及した、「ほとんど演奏不能なタンホイザー序曲のアレンジメント」という表現にも裏づけられる。  しかしワイマールを離れて以降も、リストがこの編曲に特別の愛着を抱き続けていたことは、次のエピソードにも表れている。1868年1月初頭、ローマに居住していたリストの元にアメリカのピアノメーカー、チッカリング社からグランドピアノが贈り届けられ、リストがその新しいピアノで演奏を披露することになった。そのときの曲目が、《タンホイザー序曲》だったというのである。(当時の様子を記録した歴史家でローマ駐在の外交官、クルト・フォン・シュレーツァー(1822-94)によると、リストが奏でたピアノの響きはいまだかつて聴いたことのない美しさだったというが、途中で何度か止まったという。)  《タンホイザー序曲》はヴィルトゥオーソ・ピアニストを引退したリストが最初に完成させた、大規模ヴィルトゥオーソ作品である。しかしそのヴィルトゥオーソ性は、技巧的な面だけでなく、むしろ演奏上の音楽表現においてもっとも高度に求められる要素であることは言うまでもない。

執筆者: 上山 典子

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その他特記事項
ワーグナーのロマン的歌劇『タンホイザー』ドレスデン版の序曲の編曲。