《伝説》(《2つの伝説 Deux légendes》)はリストのローマ時代(1861-68)、1863年頃に作曲された。同じ年、リストはヴァチカンの祈祷室でローマ・カトリック教会下級聖職者の位を授かっているが、《伝説》は宗教色の濃いローマ時代を象徴する創作である。作曲から2年後の1865年8月29にはリスト(1811-1868)自身の演奏により、ペスト(ペシュト)で公開初演された。1847年にピアニストとしての活動から退いて以降、リストが公の場で演奏する機会はほとんどなかったことから、この時の聴衆は極めて貴重な場に遭遇したことになる。 その一人がカミーユ・サン=サーンス(1835-1921)だった。リストの色彩豊かな音色に心を奪われたサン=サーンスは、その後、《伝説》の2作品をオルガン用に編曲している。1878年のパリでの初演を皮切りに、サン=サーンスはこのオルガン編曲をロンドン、そしてリストが居合わせたワイマールでも演奏している。
初版譜は1866年にペストのロージャヴェルジ社、次いでパリのウジェル社から出された。このパリ版の表紙には第2曲の素材である聖フランチェスの版画が掲載され、またリストの次女でハンス・フォン・ビューロー(1830-1898)と結婚した「コジマ・フォン・ビューロー夫人」への献呈が記されている(この時期のコジマは戸籍上「ビューロー夫人」だが、すでにリヒャルト・ワーグナー(1813-1883)と不倫関係にあり、4年後にはビューローと正式に離婚が成立して「ワーグナー夫人」となる)。
これらの曲には同じタイトルのオーケストラ版があるが、興味深いことに、ピアノ版とは2曲の順序が逆になっている。現存するオーケストラ版の自筆譜には「1863年10月23~29日」の日付が記されていることから、52歳の誕生日を迎えた翌日からの7日間に作曲されたようだ。両者の創作時期はそれほど離れていないとの説が有力だが、ピアノ版とどちらが先に作られたのか、確定されるには至っていない。なお、オーケストラ版はリストの存命中に印刷されることはなく、完成してから120年もの年月を経た1983年になって初めて、ムジカ・ブダペスト社から出版された。
【第1曲】〈小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ〉
中世の伝記物語『聖フランチェスコの小さな花々』の第16章に記された、聖人が小鳥に説教をするという逸話から、創作の「精神的動機」を得て作曲された。イタリア中部の町、アッシジに生まれた聖フランチェスコ(1181-1226)は、カトリック教会史上もっとも尊敬を集める聖人のひとりで、フランシスコ修道会の創設者としても知られている。
冒頭からの70小節はもっぱら高音部記号(ト音記号)で、弱音量でのトリル、アルペッジョ、32分音符の細かな音の動きが小鳥たちのさえずりを描写する。また、叙唱風の単旋律は聖人を象徴する。聖人の説教は途中、フラット調の荘厳な響きの和音旋律としても表される。結尾部分は再び小鳥と聖人の対話となり、最後は小鳥のモティーフで静かに終える。
1950年代以降、オリヴィエ・メシアン(1908-1992)が「鳥の歌シリーズ」の創作を展開するようになるおよそ90年も前に、鳥たちのさえずりを豊かに色彩化したリストは、まさに「未来の音楽家」と呼ばれるにふさわしい(メシアン自身、リストと同じ素材に基づく3幕オペラ《アッシジの聖フランチェスコ》を創作している)。
【第2曲】〈波を渡るパオラの聖フランチェスコ〉
パオラの聖フランチェスコ(1426-1507)は第1曲の聖人と同じ名前だが、活躍した時代は2世紀以上も離れた別人である。この聖フランチェスコについても多くの奇跡が伝えられているが、なかでも、『波を渡るパオラの聖フランチェスコ』に掲載された伝説が良く知られている。それは、外見上の貧しさを理由に船頭から乗船を拒まれた聖人がイタリア本土とシチリア島の間のメッシーナ海峡を歩いて渡ったというもので、この奇跡は多くの画家たちの素材となってきた。初版譜の序文には、リストがワイマール時代の自宅で所有していたエデュアール・フォン・シュタインレ(1810-1886)による線描画にインスピレーションを与えられたことが記されている。
曲はアンダンテ・マエストーソで、低音部でのユニゾンの序奏で開始、続いてこのホ長調の主題旋律がバスの伴奏に乗って朗々と歌われていく。海峡の荒波を象徴するバスのトレモロが激しいうねりを打つのに続いて、鋭く突き刺す半音階の上行が繰り返し押し寄せる。暗く、長いこの苦境をついに乗り越えると、そこには神々しい主題旋律が待ち受けている。レントと記された結尾は一時的にレチタティーヴォ風となるが、序奏のユニゾンが静かに再帰すると、最後は堂々としたアルペッジョで栄光のfffに到達する。リストの宗教的感動から生まれた劇的な音芸術である。