一般に「ハンガリー狂詩曲」の名で親しまれている作品集は全19曲からなるが、その創作は2期に分かれている。1851年から53年にかけて出版された第1番から第15番「ラーコーツィ行進曲(ラコッツィ行進曲)」までの作品は、リストが1839年と1846年にハンガリー訪問をしたことがきっかけで作られた作品群(『ハンガリーの民族旋律』S.243と『21のハンガリーの民族旋律と狂詩曲』S.242これらの詳細については各曲集の解説を参照)がそのルーツとなっている。一方、第16番から第19番までの作品は、晩年の1882年から85年にかけて作られたものである。
リストが「ハンガリー的なもの」として考えていた音楽が、厳密にはそうではないということは民謡収集などの研究によって今や明白であるが、この曲集はリストなりのハンガリー音楽の研究成果であり、その内容をとがめるのはナンセンスである。
リストの考える「ハンガリー的なもの」とは、ジプシー楽団によって演奏された音楽であり、彼らは聴衆の求めに応じて土着の民謡の他、聴衆になじみの深い音楽などを「彼らのスタイル」で演奏した。リストの「ハンガリー狂詩曲集」を考えるうえで重要なのは、このジプシー楽団の「演奏スタイル」である。
彼らの演奏スタイルのルーツはヴェルブンコシュ(当時はマジャルと呼ばれていた)というもので、もともと募兵行事で演奏されるものであったが、次第に音楽だけが市民権を得るようになり、行事から完全に独立して当時の人々のあいだで流行した。
このヴェルブンコシュはゆったりとしたテンポに始まり、徐々にテンポをあげてゆき、最後は熱狂的に終わるというものである。はじめのゆったりとした部分では単純な旋律がソロ・ヴァイオリンによって過度なまでに装飾され、拍子感がほとんどない独特な演奏が披露され、速度をあげた部分ではクラリネットやツィムバロムなどが加わり、技巧的なパッセージを繰り広げる。このほかにもジプシー楽団は緩急のはっきりとした音楽をいくつも並べて演奏する習慣があり、こうしたスタイルをリストは「ハンガリー狂詩曲集」の中に反映させている。曲集中には頻繁に「ラッシャンLassan(ゆっくり)」と「フリシュカFriska(はやく)」という語が登場するし、民族楽器であるツィムバロムを模倣した音楽も頻繁に用いられている。また、単純な旋律を細かい装飾音符で装飾し、フェルマータの多用などでヴェルブンコシュの音楽スタイルを記譜している。
こうしたスタイルは第16番以降の作品にもおおむね踏襲されているが、作品に規模は晩年の作品群に特徴的なようにコンパクトなものとなっている。
第1番 嬰ハ短調
冒頭のレチタティーヴォ主題による緩やかなテンポの前半と、Allegro animatoの軽快な主題による急速なテンポの後半という2部構成。
冒頭の主題は嬰ハ短調で提示されるがすぐにホ長調に転調し、楽曲全体はホ長調を基本としており、中間部の変ニ長調は嬰ハ短調の(異名同音の)同主調である。
弟子のツェルダヘリに献呈。
第2番 嬰ハ短調
曲集中もっともポピュラーな作品。随所にカデンツァを挿入する箇所があり、リスト自身も複数のカデンツァを残している。ホロヴィッツがアレンジして演奏したことでも知られる。
細かな装飾音符による導入部に導音をジプシー音階風に用いた主題が印象的なLassanが続く。Lassanの中に既にツィムバロムを模した主題があらわれており、これがFriskaの最初の主題となる。この楽曲のFriska部分は、更にジプシー音階風の主題(嬰へ短調)でテンポを上げ、Vivaceの力強い主題(嬰ヘ長調)や「クシコスポスト」で耳なじみの主題が次々とあらわれる。
ラースロー・テレキー伯爵に献呈。
第3番 変ロ長調
冒頭Andanteの主題は極めて低い音域で提示され、伴奏の和音は変ロ短調とも変ロ長調とも思える、極めて印象的なものである。中間部Allegrettoはト短調だが終止は同主長調に向かっており、同主調関係がこの楽曲の柱となっていることは明らかである。冒頭の主題が再び回帰した後、中間部の主題がテンポを速めずにあらわれて楽曲が閉じられる。
レオ・フェステティックス伯爵に献呈。
第4番 変ホ長調
緩やかなテンポ(Quasi adagio-Andantino)の前半と急速なテンポ(Allegretto-Presto)の2部構成。後半部分のオクターヴ奏法の連続とバスと和音を交互に奏する伴奏の組み合わせは、単純ながらも演奏は決して容易ではない。このようなスタイルはこの曲集にしばしば見られる。
カシミール・エステルハーツィ伯爵に献呈。
第5番 ホ短調「悲しい英雄物語」
付点リズムを伴ったアウフタクトをもつ冒頭主題の音型は紛れもなく葬送行進曲である(ベートーヴェンの『英雄交響曲』の第2楽章も同じスタイルの葬送行進曲である)。この葬送行進曲(ホ短調)の部分と、3連音符の伴奏の上に甘美な旋律が歌われる部分(1回目:ト長調/2回目:ホ長調)が交互にあらわれる(A-B-A-B’-A)構成。
レヴィツキ伯爵夫人に献呈。
第6番 変ニ長調
演奏効果の高さからしばしば演奏される作品。Tempo giustoの指示と決然とした開始はこの曲集では珍しい例である。変ニ長調の導入部分に続いて嬰ハ長調(変ニ長調と異名同音のため実質的には変わらないが、リストはわざわざ調号の変更を行っている)で軽快な主題が極めて速いテンポ(Presto)で提示される。中間部は変ロ短調で、細かい装飾やフェルマータの多用によって拍節感を曖昧にしている。ヴェルブンコシュの演奏スタイルを記譜した好例といえよう。後半では変ロ長調に転じ、第5番に見られたようなオクターヴ奏法と単純な伴奏型のスタイルによって華々しく楽曲を閉じる。
アッポニー伯爵に献呈。
第7番 ニ短調
「熱烈なジプシーのスタイルで演奏せよ」というリストの指示のとおり、遅いテンポ(Lento)で細かい装飾音符でうめつくされた前半部分と、急速なテンポ(Vivace)による激しい後半部分との2部構成。ジプシー音楽のスタイルを簡潔に模倣した楽曲の1つである。
フェリ・オルチ男爵に献呈。
第8番 嬰ヘ短調
第7番と同様、遅いテンポによる細かな装飾音型の前半(Lento a capriccio嬰ヘ短調)と、テンポの速い後半(Allegretto con grazia-Presto giocoso assai嬰ヘ長調)からなる単純な2部構成。
A.D’ アウグス氏に献呈。
第9番 変ホ長調「ペシュトの謝肉祭」
ペシュトとは現在のハンガリーの首都「ベダペシュト」の「ペシュト」のことである。ドナウ川を挟んで西側の丘の上に位置する「ブダ」に対し、東側の「ペシュト」は平野で経済的に発展した町であった。「謝肉祭」はキリスト教(主にカトリックの地域)のお祭りで、四旬節(復活祭の46日前)の前に行われる。そのメイン・イベントは大規模な仮装行列で、この作品はそうした雰囲気を模写していると考えられる。
Moderatoで開始される比較的緩やかな前半は、遅いLassanの音楽とは異なっており、楽曲の重点はFinaleと添えられたPresto以降の部分に置かれている。ファンファーレ風の開始は仮装行列の開始を告げるラッパのようでもある。
緩・急の2部構成ではあるが、他のジプシー風スタイルの2部構成とは若干異なる面を見せている。
H.W.エルンストに献呈。
ヴァイオリニスト、ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンストに献呈。
第10番 ホ長調「前奏曲」
華やかな上昇音形が主体となって楽曲全体が構成されており、冒頭の急速な音階パッセージはその根源となっている。AndanteからAllegretto、Vivaceへと段階的にテンポを速めてゆき、最終的にVivacessimoにまで達する。中間部に「quasi zimbalo」と指示されたツィムバロムを模した音楽が挿入されている。
エグレッシー・ベニーに献呈。
第11番 イ短調
ツィムバロムを模したトレモロの音型に始まる(第10番同様quasi zimbaloの指示)。楽曲構成は緩やかな前半(Lento a capriccioイ短調-Andante sostenutoイ長調)と急速な後半(Vivace assai嬰へ短調-Prestissimo嬰ヘ長調)からなる2部構成である。前半部分では細かい音価による即興風の音楽が繰り広げられるが、装飾音符での記譜は避けられており、32分音符や64分音符などの細かな音価で記譜されている。
フェリ・オルチ男爵に献呈。
第12番 嬰ハ短調
前打音が特徴的な力強い主題による導入と、この主題による遅いテンポの即興風パッセージを経て、Allegroのジプシー風主題(ホ長調)、鐘を模したパッセージなどがあらわれる。冒頭の前打音を強調した主題が回帰した後、速い変ニ長調(嬰ハ短調の同主調の異名同音への読み替え)の部分(Allegretto giocoso-Stretta Vivace)に突入する。最後に1小節だけAdagioになり、前打音を伴う主題が再現されるが、すぐにPrestoとなって劇的に楽曲を閉じる。
ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムに献呈。
第13番 イ短調
やはり遅いテンポの前半(Andante sostenuto-Piu Lento)と速いテンポの後半(Vivace-Presto assai)からなる明快な2部構成の楽曲。それぞれの部分がイ短調の前半とイ長調の後半からなる。
レオ・フェステティックス伯爵に献呈。
第14番 ヘ短調
増2度進行が特徴的な葬送行進曲(Lento quasi marcia funebre)で開始され、同主調(ヘ長調)で英雄的な行進曲(Allegro eroico)へ至る。そしてニ長調、ホ長調と転調しながら動機を発展させると、今度はジプシー風の音楽がイ短調で展開される(Allegretto a la Zingarese)。更に変ニ長調の即興風パッセージなどを経て、ヘ長調の急速な音楽(Vivace assai-Presto assai- Allegro brioso)で締めくくられる。同曲集中で最も調性的発展が顕著な楽曲であり、構成も多少複雑である。
ハンス・フォン・ビューローに献呈。
第15番 イ短調「ラーコーツィ行進曲」
「ラーコーツィ行進曲」はハンガリーの民謡として伝わっていた旋律で、ラーコーツィ・フェレンツ2世のお気に入りだったことからこの名で呼ばれている。ベルリオーズも『ファウストの劫罰』の中でこの行進曲を書いている。原曲は無名の音楽家によって17世紀後半頃に作曲されたと思われるが、正確なことはわかっていない。
第16番 イ短調
Allegroの導入と遅いテンポの前半、速いテンポの後半からなる2部構成。導入部に続いてカデンツァが挿入され遅いLassanの部分になるが、この中で幾度もカデンツァが挿入される。導入主題が回帰してすぐにAllegro con brioの速い部分に突入する。イ長調、嬰ヘ長調と経由してイ長調に終止する。
画家のミヒャエル・ムンカーチに献呈(ムンカーチ展のために作曲)。
第17番 ニ短調
遅いテンポのLentoからニ長調のAllegretto、Un poco piu animatoと徐々に加速し、楽曲の最後までテンポをどんどん速めてゆく(poco a poco piu animato sin al Fineの指示)典型的なジプシー音楽のスタイルで書かれている。
ジプシー音階がかなり意識して用いら、終結音も変ロ音となっており、調性的な音の進行、選択は意図的に避けられているように思われる。
第18番 嬰ヘ短調
遅いLentoのLassan、速いPrestoのFriss(Friska)の極めて単純明快な2部構成。嬰へ短調にはじまり嬰ヘ長調で締めくくられる。
ブダペシュト・ハンバリー展覧会(1885年)に際して作曲。
第19番 ニ短調
アブラーニの「高貴なチャールダーシュ」による。同曲集最後の曲であり、リスト最晩年の作品である。やはり遅いLentoのLassanと、速いVivaceのFriss(Friska)の明快な2部構成。
調性はニ短調に始まりニ長調に終止するが、導音と半音高められた第4音が強調されており、意識的にジプシー音階が用いられている。