18世紀半ばにイギリスを中心にして始まった産業革命、1789年にフランスで勃発した市民革命は、人々の生活を豊かにするのと同時に、音楽文化・産業界にも隆盛をもたらした。とりわけピアノは技術革新に伴って改良が激化、以前に比べて格段に頑丈になり、大きな音が出せるようになる。ピアノ協奏曲は、ピアニストたちが、日毎に進化を続けるピアノを巧みに操り、ヴィルトゥオーソとしてのキャリアを獲得するために必要不可欠なジャンルとなる。ショパン、シューマン、リストなどの19世紀を代表するピアニストたちは、こぞってピアノ協奏曲を作曲し、自らソリストとして舞台に上がった。
パリの社交界を中心に活躍し、神童として一世を風靡したリストは、ピアノと管弦楽のための作品を14曲作曲している。これらの作品は、リストが最終的に、単一楽章に仕上げたという点で共通している。
《ピアノ協奏曲 第2番》は、1839年に作曲され、第1番と同じく1849~50年、53年に改訂された。1857年1月7日に、作曲者の指揮のもとで初演されたのち、更なる改訂が加えられ、作曲者の死後1863年にマインツのショット社から出版されている。初演時のソリストを務めた弟子のH. フォン・ブロンザルトに献呈された。
楽曲全体は、緩(Adagio sostenuto assai)―急(Allegro asitato assai:111小節~)―緩(Allegro moderato:213小節~)―急(Allegro deciso:290小節~)―急(Marziale, un poco meno Allegro:421小節~)にコーダ(Allegro animato:513小節~)が付随する6部構成と考えられる。また《ピアノ協奏曲 第1番》と同様に、華麗な技巧もさることながら、リストは本作品で主題のテンポ、リズム、アーティキュレーションなどに変化を加え、その主題の性格を変容させる独自の手法を用いている。変容された主題が作品を通して度々現れることで、楽曲に統一感がもたらされている。