ピアノのために膨大な数の作品を残したリストであるが、意外にも「ソナタ」と題した作品はこのロ短調のものが唯一である。作品の草稿は1851年に書かれており、作曲は1852年から53年にかけて行われた。この時期彼はヴァイマール宮廷楽長の任にあり、オペラの上演、宮廷演奏会の開催や男声合唱団の指導などに忙殺されていた。にもかかわらず、この期間に『ピアノ・ソナタ』をはじめとしたいくつもの重要な作品(『演奏会用大独奏曲』S.176、『ファウスト交響曲』S.108、『ダンテ交響曲』S.109、『レ・プレリュード』S.97を含む一連の「交響詩」など)が作曲されており、この時代が彼の人生の中でもっとも実り豊かな時代であったといってよいだろう。
この作品は一般に、3つの楽章を単一楽章に圧縮したものと考えられている。このような作法は一連の「交響詩」にも見られるもので、管弦楽作品で獲得した構成法をピアノ作品に応用したとも考えられる。全体の構成を〔提示-展開-再現〕という一般的なソナタ形式にはめ込む分析もあるが、この作品を統一しているのはこのような形式ではなく、「主題変容の技法」である。
これはおそらく、ベルリオーズが『幻想交響曲』の中で用いた「イデー・フィクス(固定楽想)」から影響を受けたものであり、この技法の特徴は、主題の要素をさまざまな形に変容させて新たな主題を生み出してゆくというもので、この『ピアノ・ソナタ』を構成するモティーフは、導入部Lento assaiの下降音形主題に続いて提示される主部Allegro energicoの主要主題に集約される。この素材が全曲を通じてさまざまな形に姿を変えて登場することで楽曲が構成されている。
副次主題は主調の平行調であるニ長調で提示されるが、その性格は伝統的なソナタ形式のように主要主題と対照的なものではなく、フォルティシモに強いアクセントをともなった壮大な主題(Grandiosoの指示)である。初期の段階では、最終的にこの主題が主調の同主調であるロ長調で回帰し、そのまま壮大に曲が閉じられるはずであったことが、自筆譜のファクシミリを見るとわかる。しかし作曲者はこれを変更し、中間部にあらわれるAndante sostenutoの主題に続いて冒頭の導入主題を回帰させるようにした。
このほかにリストは、聴き手にソナタ形式を意識させつつ、異なるものであることを示す手法をとっている。その1つは冒頭の導入主題が回帰する第453小節からで、明らかにソナタ形式の再現部を意識させるが、その調性は主調より半音低い変ロ短調である。
こうしたいくつもの革新的な技法によって作曲された作品に、リストがあえて「ソナタ」という古典的なジャンル名を与えたのかは、音楽学者のみならず演奏家諸氏の興味もそそることだろう。