《巡礼の年 第2年イタリア》は、1837年7月から39年11月にかけて、マリー・ダグー伯爵夫人とリストがふたりで滞在したイタリアでの印象をもとにしている。リストはかの地で、ダンテの叙事詩『神曲』などの文学作品や、ラファエロ、ミケランジェロの絵画など様々な芸術作品に触れた。その刺激を受けて作られたことは、全7曲の題名からも明らかである。なお、このイタリア滞在の様子は、1837年7月から41年の間、『ガゼット・ミュジカル』誌にて公開書簡の形で残された内容から伺い知ることが出来る(後に《音楽のバシュリエの旅書簡》としてまとめられている)。その他、このイタリア滞在の間に、3歳になった娘ブランディーヌとの交流や長男ダニエルの誕生、マリーとの不和の訪れ、また西洋音楽史上初となるリサイタル(1839年3月8日、ローマにて・リサイタルとは単独の演奏者による演奏会)の開催などがあった。
作曲は1839年までに第3曲目を除いて一段落していたと考えられているが、1858年になってようやく《巡礼の年報 第2年イタリア》としてまとめて出版された。
第1番「婚礼」 / "Sposalizio"
ルネサンスの三大巨匠の一人、画家ラファエロによる、聖母マリアと聖ヨゼフの婚礼の場面を描いた『マリアの婚礼』にインスピレーションを受けて作曲された宗教的な作品で、明るく清澄な響きを特徴とする。
第2番「物思いに沈む人」 / "Il pensieroso"
同じくルネサンスの三大巨匠の一人、彫刻家ミケランジェロによって刻まれたフィレンツェにあるロレンツォ・デ・メディチの墓の彫像よりインスピレーションを受けている。(彫像はミケランジェロの擁護者であったロレンツォ・デ・メディチ、ジュリアーノ・デ・メディチの二人を表す。その二人を対照的に扱い、内省的なロレンツォの坐像の下には「朝」「夕」、外交的なジュリアーノには「昼」「夜」の裸体像が置かれている。)
第1番の明るさから一転、重々しく静寂さを帯びた曲調であり、同音反復によってそれが一層強調されている。なお、1866年に "三つの葬送頌歌" 第二曲 [夜] に拡大編曲されたことからも示されるように、本作品は「死」と関連づけられている。
第3番「サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ」 / "Canzonetta del Salvator Rosa"
本作品のみ、約十年後に作曲された。カンツォネッタとは16世紀後半に流行した、軽い気分の小歌曲のことであり、第2番と打って変わって、非常に明るい曲である。題にあるサルヴァトール・ローザは17世紀のイタリアの画家、彫刻家、詩人。カンツォネッタの歌詞は「私のいる場所は変わるが、情熱は変わらない」という内容であるが、リストが載せた詩は実はボノンチーニによるもの。この歌詞の旋律は曲中様々な声部に現れる。
第4番「ペトラルカのソネット 第47番」 / "Sonetto 47 del Petrarca"
第5番「ペトラルカのソネット 第104番」 / "Sonetto 104 del Petrarca"
第6番「ペトラルカのソネット 第123番」 / "Sonetto 123 del Petrarca"
第4番から第6番は、イタリア・ルネサンスを代表する叙情詩人、フランチェスコ・ペトラルカ(1304-74)の代表作である『カンツォニエーレ』より。『カンツォニエーレ』はペトラルカがラウラへの愛を歌ったもの。また、ソネットとはイタリアで生まれた14行の定型詩を言い、「小さな歌」を意味しており、ペトラルカとダンテによって完成された。リストは第47番、第104番、第123番を採り上げて作曲した。
ほぼ同時期に歌曲(S.270)としても作曲されており(同一の旋律を持つ)、両方とも1846年に出版された。現在知られているのはその改訂版である。
第4番「ペトラルカのソネット 第47番」の詩の大意は恋にとらわれた心情を歌ったもの。その内容を受け、甘美な雰囲気を持つ美しい曲となっている。
第5番「ペトラルカのソネット 第104番」の詩は恋に落ちた喜びと苦しみの二面を歌うもの。先の曲よりドラマティックであり、単独で演奏される機会も多い。
第6番「ペトラルカのソネット 第123番」の詩は、地上で天使の姿を見たというくだりから始まり、恋の甘美さを歌ったもの。穏やかで優美な曲調は、続く「ダンテを読んで-ソナタ風幻想曲」の激しさと対照的である。
第7番 「ダンテを読んで-ソナタ風幻想曲」 / "Apres une lecture du Dance-Fantasia quasi sonata"
この曲集の最後を飾る第7番は、先の6曲に比べてはるかに規模の大きい作品である。圧倒的な迫力が魅力で、演奏会で取り上げられることも非常に多い名曲の一つ。題にあるように、ダンテ(1265-1321)の叙事詩『神曲』を読み、そこからインスピレーションを得て創作された。当初は二部構成《神曲への序説》の曲名で二部構成の作品で、1839年には演奏したという記録もある。何度かの改訂を経て、1849年に完成した。
ダンテの『神曲』は、「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の三部から構成されている。本曲の冒頭では地獄の世界への幕開けのように、中世の多声音楽より「音楽の悪魔」と呼ばれる増4度音程の下行が、繰り返しあらわれる。増4度は1オクターヴをちょうど二等分することから忌み嫌われてきたが、リストだけでなく多くの作曲家が、悪魔や死など不吉なものを象徴する手段として用いている。激しい苦悩や葛藤の合間に美しく穏やかな旋律が聞こえてくる。最後は輝かしく締めくくられる。