フォーレ 1845-1924 Faure, Gabriel
解説:白石 悠里子 (4013文字)
更新日:2013年5月31日
解説:白石 悠里子 (4013文字)
【経歴】
南仏パミエ生まれのフォーレは、父親が校長を務めるモンゴジの師範学校の礼拝堂でハルモニウム1を弾いて幼少期を過ごした。そこで音楽的才能を見出され、9歳の時に古典宗教音楽学校へ入学する。ここで、フォーレの学習時代の背景として、1853年にルイ・ニデルメイエールによって創設されたこの学校について理解しておく必要があるだろう。
フランスでは、フランス大革命(1789)によって教会が著しく荒廃したが、1815年にブルボン王朝の復古と共に教会音楽が再興し、作曲家・音楽理論家のアレクサンドル=エティエンヌ・ショロン(1771-1834)が設立した宗教音楽学校(1817年創設、1834にショロンの没後まもなく閉鎖)を中心に振興が図られた。だがオルレアン家のルイ・フィリップが七月王政(1830-1848)を始めると経営資金が打ち切られ閉鎖される。以後、第二共和制(1848-1852)に至るまで、宗教音楽は歴史的な関心からフェティスやモスコヴァ公爵ら博識の音楽家によって探究が続いたが、国家的な支持基盤は失われていた。1852年にナポレオン三世が第二帝政を敷き、熱狂的なカトリック信者であるウジェニー伯爵夫人をスペインから王妃に迎えたことも影響し、再び宗教音楽の振興が図られるようになった。 こうして1853年、1830年に閉鎖されたショロンの宗教音楽学校の延長線上に設立されたのが作曲家ルイ・ニデルメイエールを学長とした古典宗教音楽学校で、この機関はやがてニデルメイエール校と通称されるようになる。皇帝ナポレオン三世が支援したこの学校では、従ってローマ・カトリックの伝統に即して対位法に基づく多声音楽とグレゴリオ声歌が重視され、パレストリーナ様式の対位法に加え、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった古典的大家の作品が教育のモデルとなった。
設立されて間もないニデルメイエール校において、フォーレは理論的基礎である和声・対位法に加え、クレマン・ロレ(1833-1909)のもとでオルガンを、ニデルメイエール自身の下で単旋律聖歌を学んだ。その後、1861年のニデルメイエールの死去に伴い、ピアノ科教授としてサン=サーンス(1835-1921)が赴任したことで、フォーレはカリキュラムには含まれていなかったショパン、シューマン、リスト、そしてヴァーグナーらの音楽を学ぶ契機を得る。サン=サーンスとの交流は生涯続くこととなり、その親交の深さは往復書簡などから読み取ることができる。
ニデルメイエール校卒業後のフォーレは、レンヌやパリの教会でオルガニストを歴任する一方で、1871年のフランス国民音楽協会の創立にもメンバーの一員として加わった。これらの教会オルガニストや指揮者としての活動、および国民音楽協会主催の演奏会での自作品の発表が、フォーレの音楽家としてのキャリアの基礎を築くことになる。
1896年6月にパリのマドレーヌ教会の首席オルガニストに就任後、10月にはマスネの後を継いでフォーレはパリ音楽院作曲科教授となり、ラヴェルやケクランらを教えた。この頃には彼の社会的名声も大きくなり、『ル・フィガロ』紙で音楽評論を担当するなどの執筆活動も行うようになる。1905年、5月に開催されたローマ大賞においてラヴェルが落選したことでパリ音楽院への批判が集中する事態が起こる。この「ラヴェル事件」によって時の院長テオドール・デュボワは辞職をし、その後任として、翌6月にフォーレが音楽院の院長に選出される。この人事は音楽界に衝撃を与えたが、音楽院出身でもなく学士院会員でもないフォーレの立場は旧体制の刷新に適していたのだろう。就任当時の1905年6月14日の『フィガロ』紙には、「古典的であると同時に現代的である芸術の補佐役」を望むと同時に「自由主義」を奨励する、新院長フォーレの教育方針が掲載されている。音楽院では、この方針に基づいたカリキュラムの改革が進められることとなり、声楽科で扱われるレパートリーの拡充や作曲科の科目の増設、入学試験の制度変更などが行われた。この一連の改革は、保守的な一方で、新しい潮流にも寛容であったフォーレの芸術観が表れた一つの例と言える。また、院長職に対する熱心な姿勢は、作曲家としてばかりでなく教育家としての彼の立場を確固たるものにもした。
1909年、フォーレは学士院の会員に選ばれ、また国民音楽協会よりも一層現代的な音楽を追求する目的でラヴェルらが組織した独立音楽協会の会長を引き受けた。一方で、1917年に国民音楽協会の会長にも選出される。この時フォーレ自身は、両協会に対して中立の立場を示して双方の和解を提唱するも、失敗に終わっている。1920年に院長職を退いた後も、その人望の厚さは変わることなく、1922年にはソルボンヌ大学で彼の業績を讃える記念式典が行われ、同じ年の『ルヴュ・ミュジカル』誌では本人の回想録と弟子たちによる作品解説というフォーレ特集号が組まれた。1923年にレジオン・ドヌール勲章グラン=クロワ章(1等勲章)を授与されたフォーレは翌24年11月に亡くなる。葬儀もマドレーヌ教会で《レクイエム》が演奏される中で国葬という形で営まれた。このようにフランスを代表する作曲家の一人と認められたフォーレは、現在パリのパッシーの墓地で妻のフルミエ家一族とともに静かに眠っている。
【作品】
フォーレの現存する作品は、ピアノ曲、声楽曲、室内楽曲が中心である。もちろん舞台作品や管弦楽作品も手掛けてはいるのだが、作品数は決して豊富とは言えず、また未完成あるいは未出版に終わったものも散見されているのが現状である。
フォーレにとってのピアノ曲は、歌曲同様に、その60年にわたる創作期間の初期から晩年に至るまで常に取り組んだ重要な創作ジャンルである。具体的には、13ずつある《夜想曲》と《舟歌》の他、ニデルメイエール校時代に書かれた《3つの無言歌》op. 17(1863年頃作曲、1880年出版)、そして《バラード》op. 19(1879年作曲、1880年出版。ピアノと管弦楽のための編曲稿は1881年作曲)、5つの《即興曲》、4つの《ヴァルス・カプリス》、《主題と変奏》op. 73(1895年作曲、1897年出版)、4手のための《ドリー》op. 56(1864-96年作曲、第1曲のみ1894年出版、6曲全体では1897年出版)などがあり、ショパンをはじめとするロマン派作曲家のピアノ小品のジャンルを踏襲したものが多い。しかし、ニデルメイエール校での教育に影響を受けたとされる旋法的な和声語法や対位法的な旋律語法には、ジャンルの歴史におけるフォーレの個性を見ることができる。
フォーレの作品様式に関して、フォーレ研究の第一人者であるジャン=ミシェル・ネクトゥーはその著書『評伝フォーレ』の中で、ロマン派からの影響の脱却と作曲家自身の様式の探求を試みた第1期(1860-86)、半音階や対位法、和声法などの音楽語法の模索により独自の様式を押し進めた第2期(1886-1905)、対位法書法への傾倒と斬新な和声の創出が行われた第3期(1906-24)というように3つの時代区分を提唱している。もちろん、旋法的な和声の使用、反復するリズム、そして息の長い旋律というように、どの時代の作品にも共通して見られる音楽的特徴はあるため、この区分は絶対的なものではないが、フォーレの長い創作期間の変遷を把握する指標にはなり得る。
第1期から第2期前半に当たる1860年代から1890年代前半にかけては、比較的創作量が多い。《レクイエム》op. 48(初期稿、1893年に初演)が作られる一方で、その多くはピアノ曲や歌曲、さらにはピアノ四重奏曲などの室内楽に充てられている。そして、ロマン派の影響が色濃いこの時期の作品は華々しさを具えており、今日演奏される頻度も高い。しかし、音楽院での職務に追われる1890年代後半以降は創作のペースがやや鈍る。とはいえ《レクイエム》op. 48(最終稿、1900年初演)や劇付随音楽《ペレアスとメリザンド》op. 80(1898年作曲および初演、管弦楽組曲としては1901年初演)やオペラ《プロメテ》op. 82(1900年作曲および初演)、《ペネロープ》(作品番号なし、1907-12年作曲、1913年初演)などの大規模作品の発表機会が多くなっている。また、ピアノ五重奏曲やピアノ三重奏曲op. 120(1922-23年作曲、1923年出版)、弦楽四重奏曲op. 121(1923-24年作曲、1925年出版)に代表される、規模の大きな室内楽曲にも集中的に取り組まれている。このような大きな作品の積極的な発表の裏には、音楽院での院長職などの社会的地位の向上や多くの弟子らによる支えがあった。ピアノ独奏曲に関しては初期ほど多作ではないが、例えば《即興曲》第5番op.102(1908-09年作曲、1909年出版)での全音音階的旋律の多用、《夜想曲》第13番op. 119(1921年作曲、1922年出版)の対位法を使った簡潔な書法のように、初期とは明らかに異なる作風へと変化している。
なお、2010年よりベーレンライター社から順次刊行されている『フォーレ全集』(7シリーズ28巻、2013年4月現在で既刊4巻)において、特に創作初期に多い未出版作品、例えばヴァイオリン協奏曲op. 14のアレグロ楽章(1878-79年作曲)、あるいは管弦楽組曲op. 20(1866-73年作曲)などが盛り込まれる予定であり、続刊の待たれるところである。
1いわゆる足踏みリード・オルガンの一種だが、オルガンとは異なり踏み具合が直接音の強弱変化に影響する。19世紀にピアノとともに広く普及していた。
作品(70)
ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ) (1)
管弦楽付き作品 (1)
ピアノ独奏曲 (12)
曲集・小品集 (2)
即興曲 (6)
ノクターン (11)
カプリス (4)
舟歌 (13)
リダクション/アレンジメント (5)
トランスクリプション (3)
ピアノ合奏曲 (3)
リダクション/アレンジメント (1)
室内楽 (5)
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