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ワーグナー 1813-1883 Wagner, Richard

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解説:岡田 安樹浩 ( 995文字 )

更新日:2009年2月1日

リヒャルト・ワーグナーは1813年ライプツィヒ生まれ。「楽劇Musikdrama」の創始者として知られるほか、半音階をたくみに用いて調性の拡大をはかった作曲家として名高い。《トリスタンとイゾルデ》の冒頭和音が「トリスタン和音」と呼ばれ、エルンスト・クルトらが極端にこれをクローズ・アップしたために、調性を「崩壊」させたという認識が一般に広がったが、これは誤りである。ワーグナーは機能和声のなかで半音階を用いて自在に動き回ったのであり、また極端なまでのモティーフの関連づけによって長大な作品(たとえば4部作《ニーベルングの指環》は上演に4晩を要す)に統一性を与えたのである。

ワーグナーは作曲家としての修行時代をライプツィヒでおくった。彼が作曲を師事したのはトーマス・カントールであるテオドール・ヴァインリヒであった。ヴァインリヒのもとで受けた対位法の訓練は後のワーグナーに大いに影響を与えたことは間違いない。また、トーマス・シューレで学んだことで、J.S.バッハの作品を知ることにも当然なったであろう。

ワーグナーのピアノ作品は、こうした修行の成果として作曲された初期の創作郡の他は、女性との関係が背景にある場合が多い。《M.W.(マティルデ・ヴェーゼンドンク)夫人のアルバムのためのソナタ》や、メッテルヒニ公爵夫人のための《アルバムの綴り》はその好例である。

ワーグナーのピアノ作品は、鍵盤楽器音楽史上は取るに足らないものかもしれないが、彼の音楽が後世の歴史に名を残す作曲家たち、たとえばドビュッシーをはじめとするフランス印象派の作曲家、シェーンベルクに代表される新ウィーン楽派などに与えた影響ははかり知れない。

また、パリで知り合ったフランツ・リストとは、生涯の付き合いとなったばかりか、ドレスデンで革命に参加したために国外追放になったワーグナーを援助したのもリストである。

ヴィルトゥオーゾ・ピアニストの道を退き、革新的な作曲家となっていったリストと、ワーグナーは多くのアイデアや思想を共有したことは明らかであるが、ワーグナーはヴィルトゥオーゾ的なものにはそもそも興味がなかったようで、彼のピアノ作品にはそうした傾向は一切認められない。

1883年にヴェネツィアで没したこの作曲家の最後を看取ったのは、彼の2人目の妻であるコジマで、彼女は元ハンス・フォン・ビューロー夫人であり、リストの娘である。

執筆者: 岡田 安樹浩
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