この夜想曲は1902年の完成とされており、同年にアメル社から、《8つの小品》の第8曲目として出版された。しかし、フォーレは最晩年になって、この作品を含めた全13曲の夜想曲を1つの曲集として出版する意向をアメル社に伝えている。これは、フォーレの生前には実現されなかったが、近年では、この意向を尊重した夜想曲集の版が多い。とは言え、フォーレ自身はこの曲を夜想曲とは命名しておらず、前述の《8つの小品》の出版に際してアメル社が「夜想曲」と命名したこともまた、事実である。ジャン・レオナール・ケクラン夫人に捧げられている。
初演は、出版の翌年、1903年4月の国民音楽協会にて、リカルド・ビニェスにより行われた。ビニェス(1875~1943)は、スペインのカタロニア出身のピアニストで、フォーレのほかにも、ドビュッシー、ラヴェル、サティ、ファリャ、アルベニス等、フランス及びスペインの今日にその名の伝わる作曲家の作品の初演を数多く手がけている。
変ニ長調のこの夜想曲は、アダージョ・ノン・トロッポで書かれている。8分の12拍子で、左右の手の間を自由に縫うように進む16分音符が特徴的である。