サン=サーンス 1835-1921 Saint-Saëns, Camille
解説:中西 充弥 (1184文字)
更新日:2015年4月27日
解説:中西 充弥 (1184文字)
サン=サーンスという作曲家に関して、《動物の謝肉祭》や「オルガン付き」の《交響曲》第3番、といった有名な作品を除いては、彼の長い生涯とその間絶え間なく書かれた膨大な作品についてはほとんど一般には知られていないであろう。そのような乏しい情報の中で、噂が独り歩きすることはよくある。ピアノを弾かれる方で、少しサン=サーンスに詳しい方ならば、彼がアルフレッド・コルトーに向かって、辛辣な言葉をかけたという噂を御存知であろう。コンセルヴァトワールでのソルフェージュのクラスの視察に訪れたサン=サーンスがコルトーに向かって「君の楽器は」と尋ねたところ、コルトーが「ピアノです」と答えたので、「君、冗談言っちゃいかんよ」と言ったというのである。1915年生まれのアメリカ人音楽批評家の著作に載っているエピソードであるが、この事件を評価するには、コルトーがスイスからパリにやって来たものの、最初のコンセルヴァトワール(パリ国立音楽院)の入学試験に落ちた、という事実を忘れないで頂きたい。とはいえ、仮にこれが単なる噂であったとしても、サン=サーンスならば、さもありなん、というエピソードなのである。まず、彼は辛辣な批評家であった、有体に言えばあまり性格がよろしくなかったのであるが、本人の名誉のためにそれはさておき、彼は一流のピアニストであったのである。サン=サーンスは20代の4年間を除いて、教職に就いていない。オルガニストの職も、42歳でマドレーヌ教会のポストをテオドール・デュボワに譲っている。その理由は世界各地への演奏旅行のスケジュールに支障をきたすからであった。すなわち、彼は作曲活動と演奏活動によって生計を立てていたのであるが、後に音楽アカデミーの座を手に入れるとはいえ、教職と教会オルガニストという当時のフランスにおける作曲家の一般的な安定収入の道を自ら断ったというのは、彼の華々しい音楽活動を裏付けるものである。というわけで、彼は生涯演奏旅行で世界を駆けまわったのであるが、それはつまり、彼がピアニストとして練習を欠かさなかったことを意味する。コルトーも彼の著作『フランス・ピアノ音楽』において、「指の訓練に毎日二時間を費やした」というエピソードを伝えている。よって、サン=サーンスがコルトーに対して、厳しい批評を投げかけたからと言って、決していわれの無いものではなく、彼自身百戦錬磨のプロのピアニストとしてコンチェルトを自作自演するなどのキャリアを積んだ自負があるからこその発言なのである。そして、そんな彼がピアノのためのエチュードを作曲し、曲は超絶技巧的で難易度が高い、というのは至極当然のことであった。
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