総説
ショスタコーヴィチが《24の前奏曲とフーガ》 の構想に至ったのは、親友イサーク・グリークマンの回想によると、1950年7月23日〜8月11日にライプツィヒで行われたバッハ没後200年記念祭へのソ連代表団の代表としての派遣がきっかけだという。この旅行は、1948年のいわゆる「ジダーノフ批判」直後の困難な時期に、ショスタコーヴィチがニューヨーク、ワルシャワ、ウィーンなどの様々な地域へと派遣された一環としてでもあったが、バッハ祭での聴取・演奏体験は彼にとっては大いに創作意欲を刺激されるものだったらしい。1950年10月10日に第1番の前奏曲を完成させてからショスタコーヴィチは驚異的なペースで番号順に作業に取り組み、その4ヶ月半後の1951年2月25日にはすでに全48曲の作曲を終え、「僕はだいたい満足している。最後まで書き終える力があったことにまずもって満足だ」と控えめに語った。
1951年5月中旬にはショスタコーヴィチ自身の演奏により曲集が作曲家連盟で発表されたが、カバレフスキーやコヴァリら同僚の作曲家や政権筋からは「形式主義的、コスモポリタン主義的」、「ソヴィエト聴衆の今日の要求・趣味に相応していない」という、社会主義リアリズムの教義に沿った紋切り型の、しかし辛辣な攻撃を受けた。ピアニストのユーディナとニコラーエヴァ、作曲家の中でもショスタコーヴィチに師事していたスヴィリードフは楽曲の意義の大きさを説いたが、それも少数にとどまった。それでも1951年11月18日に、レニングラード・フィル小ホールで第4、12、13、24番の作曲者の自作自演で(記録に残っている限りの)公開初演が行われると曲集は喝采を浴び、ショスタコーヴィチや他の演奏家が断片的にプログラムに組み入れるようになる。全曲初演は完成から1年10ヶ月後の1952年12月23日、28日(レニングラード)のニコラーエヴァのリサイタルまで待たなければならなかったが、多方面からの高評価によってか、徐々に作曲家連盟も公式に楽曲の重要性を認めるようになり、初演と同年に国立出版局により楽譜も出版された。その後年月が経つと、すでに作曲家の生前から「ショスタコーヴィチは《前奏曲とフーガ》を作曲することで、バッハの死以来200年もの間、どの作曲家も到達し得なかった境地にたどり着いた」とまで評価されるにまで至った。また、対位法の名手として知られたロシア作曲家の古典(例えばタネーエフやグラズノーフ)による対位法技法を正当に後継した曲集であると語られることも少なくない。
ショスタコーヴィチ自身が語ったところによると、本曲集は当初自身の対位法技法のためにもなる練習曲的な曲集として構想されたが、徐々に構想が拡大し、「バッハの《平均律クラヴィーア曲集》の類の、何らかを表現する内容に富む、対位法形式の芸術的小品による大規模なツィクルス」になったという。ショスタコーヴィチは前奏曲とフーガという併せて48の楽曲に仮託し、その小宇宙の中で多種多様な様式・表現・構造的戦略を採用している。ショスタコーヴィチの音楽に聞かれる複雑でコンテクストに満ちた世界観の一端を、ピアノという単一の楽器で感じ取り、楽しむことができる曲集だと言えよう。
各曲解説
第1番 ハ長調
前奏曲(モデラート)は自筆譜の一つによると、1950年10月10日に清書譜として完成した(DSCH社刊行、ショスタコーヴィチ作品全集に自筆譜Cとして記載。以降に記載する完成年月日もすべて同様)。サラバンドを連想させる2小節単位の舞踊的なリズムによる平穏な楽曲。バッハの《平均律》と同じ音域から楽曲が始まることは偶然ではあるまい。中途で挟まれる短くも表現豊かなカデンツァ的な楽句を除き、すべてが和音によって構成されていることも特徴的である。
フーガ(4声、モデラート、1950年10月11日完成)も前奏曲と同様に平穏な性格をたたえており、なおかつ厳格に構成されている。語りかけるような主題はロシアの古風な教会歌唱を思い起こさせるものだという。楽曲は一音の例外もなくすべて白鍵で演奏されるほか、2声部目が提示される途中以降、ほとんどの小節が途切れることのない4分音符の基本リズムに満たされており、そのため全体から均衡・安定といった印象を受ける。
第2番 イ短調
前奏曲(アレグロ、1950年10月12日完成)は16分音符による流れるような分散和音を基調としており、練習曲的な特徴を有する。16分休符を強拍に置いて弱起的に開始することで、全体にシンコペーションによる力動感が生まれている。また、楽曲後半のテヌートがおかれた旋律線との対比は、短いながらも印象に残る。
フーガ(3声、アレグレット、1950年10月13日完成)は1934年7月25日のスケッチに基づく楽曲。前奏曲の流動的な雰囲気と鮮やかな対比を描く、おどけた雰囲気をまとっている。一音一音がスタッカートで強調された明瞭なリズム感をもち、幅広い音程による主題が駆け回る。デュナーミクの幅もピアニッシモからフォルティッシモまでと広く、弱拍でのアクセント、複調を用いた彩り豊かな和声、シンコペーションによって全体的に鮮烈な印象を生み出している。
第3番 ト長調
前奏曲(モデラート・ノン・トロッポ、1950年10月14日完成)の音楽から聴こえてくるのは、朗々と威厳のあるオクターブと細かい音価による応答。しばしば《ボリス・ゴドゥノフ》を始めとするムソルグスキー作品に見られる民謡合唱のシーンや、その他ロシア作曲家の作品にもみられる鐘の響きと比較される。
冒頭の対話を唯一の要素として成り立つ短い前奏曲は、そのままそれと鋭い対比をなす軽やかなジーグ調のフーガ(3声、アレグロ・モルト、1950年10月16日完成)へとなだれ込む。エネルギッシュな主題の前半は急速な16分音符による順次上行により、後半は長短のリズムによるメリハリのある跳躍音型による。特に順次上行音形は間奏部やストレッタでも音楽の前面に躍り出る強い色彩をもち、鮮烈な印象を引き起こす。
第4番 ホ短調
前奏曲(アンダンテ、1950年10月22日完成)は重々しく悲劇的な性格を有している。全音符を基調とした打ち込むようなバスの上、内声は脈動するかのような2音の連なりによって独特の効果が生まれる中、上声では情動豊かな旋律が歌われる。
フーガ(4声、アダージョ、1950年10月27日完成)は前奏曲の性格を受け継いだ重々しい楽曲。曲集内で本曲と終曲のみが二重フーガとなっている。序盤は言葉少なに訴えかけるような4小節の第一の主題が軸になり、静かに楽曲が展開される。その後、突然Più mossoで速度を増すと、第一主題から一転して動きのある8分音符を基調とした主題が提示されると、音楽は次第に緊張感を増していき、フォルティッシモに達するとバス声部、次いでソプラノ声部で第一の主題が朗々と奏でられ、第二の主題とともに二重フーガをなす。
第5番 ニ長調
前奏曲(アレグレット、1950年10月29日完成)は愛らしく平穏で、セレナーデ調の音楽である。特に冒頭で響くアルペッジョは、まるで親密さに満ちた空間のなか、撥弦楽器を爪弾くような印象を受ける。意外な転調のあとに続く楽曲の中間部では旋律と伴奏で音型が入れ替わるが、全体のテクスチャや雰囲気は均質に保たれている。
フーガ(3声、アレグレット、1950年11月1日完成)はスタッカートと同音連打を基調とする軽やかで素朴な主題によるフーガ。一方対唱はレガートで奏されるため、独特の効果が生み出される。スタッカートによる音色は、主題が出現しない間奏部でも間断なく現れるため、楽曲全体の基礎としても機能している。また、それにより主題が3声部で重なり合うストレッタに独創的な響きが生まれている。
第6番 ロ短調
対位法的に構成されている前奏曲(アレグレット、1950年11月2日完成)は、全曲を通じて鋭い付点音型で貫かれている。このリズムとロ短調という調性、さらには減七和音の用法により、音楽は強い情動を帯び、劇的な印象も受ける。
前奏曲の末尾の下行音型とピアニッシモにより、フーガ(4声、モデラート、1950年11月9日完成)の深淵を覗くような暗い主題が導かれる。最低音部で演奏される主題は2分音符と4分音符による息の長い前半部分と8分音符と16分音符の細かな音型による後半部分に分かれており、対主題もそれらと同様の要素によって紡ぎ出されていく。楽曲全体の複雑に入り乱れたテクスチャは、それによって生み出されているいる。
第7番 イ長調
前奏曲(アレグロ・ポコ・モデラート、1950年11月10日完成)は曲集のモデルとなったバッハのような雰囲気を有しているように思える。トニック・バス上で演奏される旋律は、跳躍が多いながらも優雅で繊細である。楽曲は次第に半音的な進行が目立つようになり、フラット系の調に達したかと思えば、唐突に主調のイ長調へと回帰して終結する。
フーガ(3声、アレグレット、1950年11月11日完成)の主題は抑制された優美さと純朴さをもつ。主題をなすすべての音が主和音の構成音になっている点はフーガとしては非常に珍しく、興味深い。これにより、楽曲全体の和声リズムが引き伸ばされ、和声的な安定性が高められている。
第8番 嬰ヘ短調
前奏曲(アレグレット、1950年11月26日完成)は諧謔的な楽曲。弦のピチカートのような一定のリズムを刻む伴奏と、あちらこちらに跳び回る右手の旋律とが対置されている。中途に見られる音型(例えば10小節目以降の8分音符による(E♯-)E♯-E-E-D-D-D♯-D♯-E-E-D♯-D♯-Dは、その韻律と用いられている音程を取って「ヤンブスの一度(ヤンビーチェスカヤ・プリーマ)」と呼ばれ、中期以降のショスタコーヴィチ以降の作品に頻出する。しばしば強い情動表現として用いられるという音型だが、本曲ではクレッシェンドで強調されてこそいるものの、さりげない盛り上がりといった印象がある。
前奏曲の軽やかさから、フーガ(3声、アンダンテ、1950年11月27日完成)では雰囲気が一転する。クレッシェンドにより強調された三全音が印象的な切れ切れの主題は、あたかも苦しげに語りかけるように聴こえ、楽曲全体に不安感と緊張感をもたらす。また、楽曲全体で中音部以下の音域が多用されている点でも、その雰囲気は強められている。主題同士が呼応するストレッタも、主題自体の引き伸ばされたリズムにより徐々に減衰していくピアノの音色によって、あたかも空虚なこだまのように響く。
第9番 ホ長調
前奏曲(モデラート・ノン・トロッポ、1950年11月30日完成)全体にわたる、荘厳なオクターヴによる主題提示と高い音域での応答という構成は、第3番ト長調の前奏曲に似ており、やはり呼応し合う合唱を想起させる。ここでは応答が終わるごとに差し挟まれる同音連打と休止が、以前の前奏曲の堂々とした鐘の音に取って代わっている。中間部の不穏な半音階的な音型も一瞬で主部の回帰によって打ち消され、速度を落としながら静かに終結する。
一転して活き活きとした主題によるフーガ(2声、アレグロ、1950年12月1日完成)は、曲集内で唯一の2声のフーガである。主唱も対唱も比較的シンプルなものだが、ショスタコーヴィチ一流の対位法技術とリズム法により、響きは非常に豊かに仕上げられている。
第10番 嬰ハ短調
前奏曲(アレグロ、1950年12月5日) の16分音符の運動と2分音符による停止を両の手でやりとりする冒頭の構成は、バッハの《平均律》第1巻変ホ長調の前奏曲を連想させる。途中で挟まれるコラールは極度の低音に達することもあり、不穏な印象を生む。最終的に、コラールの終始和音をペダルとして、8分音符のパッセージが静かに消えて行く。
フーガ(4声、モデラート、1950年12月7日)の主題は寂然としたもの。広い音域で声部が紡ぎ上げられていく複雑な4声のテクスチャを有しているが、楽曲は全体的に激することなく穏やかで、瞑想するような曲調をもっている。緊張感が増す転調の箇所やストレッタではフォルテに達する箇所もあるが、それも徐々に静まり、収束へと向かっていく。
第11番 ロ長調
前奏曲(アレグロ、1950年12月9日完成)は、おどけた喜ばしい楽曲。伴奏の音型は祭で演奏されるバグパイプや太鼓を連想させる。それまでの穏やかな喜ばしさは、終盤で唐突に遠隔調での断片的なコラールが差し挟まれることで中断されるが、すぐにロ長調の元の曲想に戻り、フーガへと導かれる。
フーガ(3声、アレグロ、1950年12月11日完成)は、弾むようなスタッカートとシンコペーションに満ちた楽しげな主題による、急速で活き活きとした楽曲。4小節に渡る16分音符が主となる対唱や、4分音符のアクセントを含んだ信号音的な楽句も、エネルギッシュな主題にさらなる推進力を与えている。
第12番 嬰ト短調
前奏曲(アンダンテ、1950年12月13日完成)はパッサカリアに基づいている。12小節にわたって荘重なバス主題が10回繰り返される間、主に最高声部で対位法的な旋律が紡ぎあげられていく。7度目の反復(73小節以降)では右手と左手が反転し、それまで背景の役割を果たしていたバス主題が鮮やかに前面に躍り出る。最後には旋律声部までがバス声部に寄り添うように低音に移り、ピアニッシシモでフーガの主題の前半をほのめかしながら音楽は消えていく。
フーガ(4声、アレグロ、1950年12月15日完成)は前奏曲と好対照を描く、5拍子による活動的な楽曲。主題には跳躍が多く含まれ、導音を欠いた自然短音階が用いられており、調性が曖昧にされている。また、たびたび休止によって中断されることにより、不均衡な拍節感が楽曲の前景に表れ出ている。シンコペーションに溢れた対唱も、主題のリズムのいびつさを促進するかのようである。楽曲の複雑性と曲調は中盤でともに頂点に達したのち、トニック・ペダルの支えの上で一度静まる。その後ふたたび複雑さが回帰するストレッタを経て、半音階的にピカルディ終止による終結へと至る。
第13番 嬰ヘ長調
前奏曲(モデラート・コン・モート、1950年12月20日完成)は、最上声で奏でられる伸びやかな旋律と、それにこだまする伴奏和音のやりとりで全体が構成されており、ロマン派的な和やかさと情緒が感じられる。
フーガ(5声、アダージョ、1950年12月22日完成)は言葉少なで音程の幅も狭い、落ち着いた主題による。曲集のうち唯一の5声のフーガということもあり、楽曲のほぼ半分が三段譜で記譜されるほどのテクスチャを誇る。特に楽曲後半のストレッタでは主題の圧縮、同時の提示により、ゆるやかだが着実にクライマックスを築いていく。
第14番 変ホ短調
前奏曲(アダージョ、1950年12月27日完成)は曲集の中で特異な響きを帯びている。冒頭の左手の絶え間ない変ロ音のトレモロの上で奏でられる、語りかけるような長大な旋律によって、音楽は終始緊張感を湛えている。楽曲終盤でのコラール調の楽句は束の間の休息感をもたらすが、再びのトレモロ伴奏によってすぐに打ち切られる。特徴的なトレモロ伴奏からムーソルグスキイの音楽との類似を指摘する者もおり、実際、歌曲〈トレパーク〉の不気味な序奏や《展覧会の絵》中の〈死者の言葉をもて死者とともに〉がこの前奏曲の中に反響しているように思われる。
フーガ(3声、アレグロ・ノン・トロッポ、1950年12月28日完成)の旋法的な主題は哀愁を帯びており、学者や批評家はそのなかに深い悲しみを読み取っている。一方で、それと同時に、急速な3拍子による舞曲様のリズムを帯びていることも見逃せない。対唱も含めてそれぞれの声部はほとんど休符を持たず間断なく続き、全体に流麗さを備えている。
第15番 変ニ長調
弾むような右手の伴奏から始まる前奏曲(アレグレット、1950年12月30日完成)は、アーティキュレーションにメリハリが効いていて活き活きとした楽しい一曲。ワルツのリズムに乗せて反復される主題は強く印象に残るが、その底抜けの明るさや皮肉の効いた半音階的な和声進行は、明らかにワルツ本来の優雅さを歪曲する、パロディ的な要素を孕んでいる。音域が高音に偏る中間部は音色の面でシンプルかつ平坦で、来たるべき華やかな再現部への期待を高める役割を持っている。
フーガ(4声、アレグロ・モルト、1951年1月8日完成)の主題は、カーニバル的と言えるほどに自由奔放。一声部を二声に擬えれば、変ニ音を中心として音程が拡大したのち縮小していくような形を取っており、一オクターヴの12音のうち11音が用いられていることから、響きの上では無調的に聞こえる。主題の特質の一つとして挙げられるのは、3/4+3/4+3/4+2/2+3/4+5/4という非対称の変拍子によって構築されていることであろう。これにより、独特の不均衡さ、またそれによる力動感が生じている。対唱は半音階進行によるもので、主題の性格を下支えする。楽曲後半では前奏曲の冒頭の伴奏がそのまま引用され、それにより変ニ長調の大胆で華々しい終止へと楽曲は収斂していく。
第16番 変ロ短調
前奏曲(アンダンテ、1951年1月11日完成)は古典的な変奏曲であるシャコンヌの様式によって形作られている。明瞭な旋律と伴奏からなる主題は悲痛な表情を有し、楽曲が進行するにつれてその上に装飾的に細かな音価のパッセージが加えられていく。
ショスタコーヴィチと同年代のロシアの学者、アレクサーンドル・ドルジャーンスキイによると、フーガ(3声、アダージョ、1951年1月13日完成)の背後にあるのはロシア民謡にみられる即興であるという。主題は脈動するかのように拍節的にも音価的にも伸び縮みしながら属音へと移行し、次々と各声部で紡がれていく。細かい音価と長い音価のやりとりは楽曲の最後まで続き、沈思するかのような独特の空気感を生み出している。
第17番 変イ長調
前奏曲(アレグレット、1951年1月15日完成)は平易な旋律と分散和音によって始まり、ソプラノ声部とバス声部との間で旋律がやり取りされる。中間部は長短短のダクティリの拍節が印象的なで、おどけた、しかし影のある表情を纏っている。再現の際、主題は並行する短三度下の音によって修飾されており、奇妙な音響効果が生まれている。
フーガ(4声、アレグレット、1951年1月21日完成)の主題は軽快なもので、リディア旋法とイオニア旋法を行き来し、どこか諧謔的で民衆的な雰囲気を生み出している。主題の構成に合わせて5拍子の楽曲全体が2+3という拍節構造で貫かれており、律動的な均整が感じられる。全体に朗らかなムードが漂い、楽曲の後半の反行・拡大の使用に見られるように、ショスタコーヴィチの対位法の名人芸も遺憾なく発揮されている。
第18番 ヘ短調
前奏曲(モデラート、1951年1月21日完成)は、緩徐な舞曲調で古式ゆかしい風格が漂う。中間部では、唐突に速度をアダージョに落とすと静かで荘重なホ長調に転調し、再び冒頭の楽想へと回帰していく。終結部は上声部にA音、最下声部にA♭音が置かれ、長調とも短調とも判断のつかない不思議な印象を帯びる。
フーガ(4声、モデラート・コン・モート、1951年1月22日完成)の旋法的な主題や伸びやかなリズム感から、同時代人はロシア的な歌唱性、とりわけ民衆の延べ歌を想起したという。この主題の性格は対唱や間奏にも引き継がれる。したがって、彼らの意見に従えば、このフーガは全編にわたってロシア的な旋律に満たされているということになる。ストレッタの木霊するような対位法のテクスチャと、それによって生まれる響きは趣深い。終結部は前奏曲と同じように、旋法の長短が曖昧になっており、独特の浮遊感がある。
第19番 変ホ長調
前奏曲(アレグレット、1951年1月26日完成)の厳粛な冒頭部分から聞こえるのは教会風の合唱である。それと対比されるのは、引き伸ばされた終止音のバスの上で奏でられる諧謔的な楽句である。とりわけメゾ・スタッカートの指示と半音階的な声部進行がアイロニックに響く。
フーガ(3声、モデラート・コン・モート、1951年2月3日完成)はF♭によって形成された増二度下行を含む主題がいかにもグロテスクに響く。2+3と3+2のフレーズを行き来する5拍子による不均衡なリズム、フォルテによる強奏も異様な雰囲気を助長する。強拍を欠いた対唱は、フーガ全体に個性的なリズム感を与えている。バスのトニック・ペダル上で穏やかに終止する本曲であるが、リズム感や臨時記号が付加された響きにより、終止の解決感は至極曖昧にされている。
第20番 ハ短調
前奏曲(アダージョ、1951年2月7日完成)は、あたかも二人の人物の応答のように聞こえる。重々しいオクターヴによる旋律と、高音部で奏でられる即興的に紡ぎ出されたような旋律とが交互に現れ、音域的・性格的に明らかに対比をなしている。
フーガ(1951年2月14日完成)の主題は、前奏曲の冒頭主題と最初の四音を共有している。しかし、フーガ主題の性格は前奏曲の重苦しさは受け継いでおらず、短調の楽曲ながら全体に柔和な響きをもっている。間奏でみられる4/4と3/2の拍子の交代は、その部分で奏でられる旋律の活発さと併せ、楽想にいくぶんの高揚感をもたらしている。
第21番 変ロ長調
非常に急速な前奏曲(アレグロ、1951年2月15日完成)の冒頭は、トニックとドミナントを規則正しく交代する左手の伴奏型も相まって、右手の急速な運動による機械的練習曲のように聞こえる。しかし曲が進行していくにつれ、伴奏が和声的に活気づいたり、明瞭なスタッカートによって祝祭的なムードが高まったり、逆に音楽全体の音域が著しく低音に偏ることで影が差す箇所があったりと、印象がころころと変化していく。
エネルギッシュなフーガ(3声、アレグロ・ノン・トロッポ、1951年2月16日完成)の主題は金管楽器のファンファーレのよう。それと対比されるように現れる対唱は断片的で、楽曲のテクスチャにメリハリを与える役割を担っている。全曲初演者のニコラーエヴァいわく、本曲の主題はボロディンの交響曲第1番のファンファーレ的な主題を継承したものだという。
第22番 ト短調
静かだが緊迫感に満ちた前奏曲(モデラート・ノン・トロッポ、1951年2月17日完成)の旋律部分は、絶え間なく続く2音ずつに区切られた脈打つような「ヤンブスの一度」に支配されており、そのモノトーン的な様式は練習曲的とも言えよう。同じく前奏曲的な前曲の変ロ長調の前奏曲では、伴奏型の変化による曲調の移り変わりが聞かれたが、本曲は旋律と伴奏の声部の交換こそあれ、全体として均質な薄暗い雰囲気に満たされている。
三拍子の素朴で叙情的な主題によるフーガ(4声、モデラート、1951年2月18日完成)は、当時のソ連の聴衆にとってはロシア民謡を思わせるようなものだったようである。8分音符のパッセージによる対唱は、語りかけるような主題に寄り添うようで、あくまで伴奏的な役割に徹しているように聞こえる。
第23番 ヘ長調
前奏曲(アダージョ、1951年2月20日完成)は簡潔な三部形式による。主部の主題はターンを含んだ旋律による擬古典的なもので、瞑想的な静けさを湛えている。中間部ではターンの旋律が左手へと移り、転調と不協和音により緊張感が高まるが、再び主部の静けさへと回帰していく。
フーガ(3声、モデラート・コン・モート、1951年2月23日)の主題は素朴で優しげなもの。一方、対唱は急速な8分音符を軸としており、楽曲を駆動させている。とはいえ全体的に激烈なクライマックスはもたず、前奏曲から引き継いだ穏やかで抑制された雰囲気を終始貫く楽曲である。
第24番 ニ短調
前奏曲(アンダンテ、1951年2月23日完成)は荘厳な低音と分厚い和音が情熱的で、オルガンの演奏を想起させる。長調に転調する中間部は荘厳さは引き継ぎながらも、一転して静謐さに包まれる。また、この部分ですでにフーガの第一主題が先取りされている。主部が静かに再現されたあと、中間部の主題が低音で反響しながら、情動豊かにフーガへと導かれていく。
楽曲の掉尾を飾るフーガ(4声、モデラート、1951年2月25日完成)は見事な二重フーガ。第一主題は先述のとおり、前奏曲の静かな中間部分ですでに予告されていたもの。主題が断片化され、音楽が静まったところで導入される第二主題は、絶え間なく続く8分音符によるいわゆる「ヤンブスの一度」で、それを契機に楽曲は速度を増していく。フォルテッシモと転調の連続とオクターヴ連打により最大限に高められた緊迫感のなか、第一主題が最強奏で再提示され、2つの主題が鐘のように呼応しながら朗々と鳴り響き、ニ長調で堂々と曲集全体を締めくくる。