メシアン :4つのリズムのエチュード
Messiaen, Olivier:Quatre études de rythme
総説 : 平野 貴俊 (640文字)
メシアンは、1940~1950年代の転換期に、実験的な性格をもつピアノ小品を2つ作曲した。そのひとつが《カンテヨジャヤー》(1949)、もうひとつが《4つのリズム・エチュード》である。1943年には、神や愛をテーマとする2つの壮大なサイクル(《アーメンの幻影》と《幼な子イエスにそそぐ20のまなざし》)が作曲され、1950年代後半には、《鳥のカタログ》(1956~1958)で鳥の歌の体系的な使用が行われた。実験的作品が創作された期間は、したがってこれらの大規模な曲集のそれに挟まれている。また、ピアノ曲以外でこの種の実験的試みから生まれた作品は、ミュジック・コンクレートのための《音色――持続》(1952)だけであり、メシアンの実験的創作はあくまで一時的なものにとどまった。しかしながら、これら少数の実験的作品のうち、とりわけ《4つのリズム・エチュード》は、当時ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習会に参加していたブーレーズやシュトックハウゼンらに重要なインスピレーションを与えた作品として、その後の20世紀音楽に関する著述において不可避的に言及されるようになった。なかでもその3曲目〈音価と強度のモード〉は、音列の組織法を音高、持続、強度、アタックという4つのパラメーターに応用する「トータル・セリアリズム」のアイディアを初めて実践した作品として、記念碑的な位置を与えられてきた。その他の作品では、ヴィルトゥオーゾ的な技巧が駆使された〈火の島〉が比較的演奏機会に恵まれている。
成立背景 : 平野 貴俊 (857文字)
1945年のメシアンの手帳には「テンポのセリーを作る」という書き込みがあり、1946年の手帳にも、「時」をテーマとしたバレエの構想のなかで、〈音価と強度のモード〉と〈火の島2〉の組織法を予告するような手法が記されている。新しい組織法の構想は、1949年末までにはすでに存在していたようである。1949年6月、メシアンは3日間滞在したダルムシュタットで〈音価と強度のモード〉の構想を練り、8月には、講師として招かれたタングルウッドで《カンテヨジャヤー》を作曲、同時に〈リズム的ネウマ〉に着手している。そして翌年、1950年9月までにパリで〈火の島1〉と〈火の島2〉を作曲した。11月には、ロリオとともに行った演奏旅行の際、チュニスでメシアン自身がこれら4曲を初演し、デュラン社から各曲が別々に出版された。1951年5月、メシアンがパテ・マルコーニ社に行った録音では、《4つのリズム・エチュード》というタイトルが初めて現れている(注1)。同じ年のダルムシュタットで、評論家アントワーヌ・ゴレアがそのレコードをシュトックハウゼンとフイヴァールツに聴かせたところ、2人が興奮して〈音価と強度のモード〉を繰り返し聴いたのは有名なエピソードである(注2)。ロリオのレコードに寄せたメシアンの解説(1968年)では、〈火の島1〉、〈リズム的ネウマ〉、〈音価の強度とモード〉、〈火の島2〉という順に演奏するのが望ましいとされている。なお、《4つのリズム・エチュード》として4曲がまとめてデュラン社から出版されたのはようやく2008年のことである。 (注1)この録音は、メシアンが自身の独奏ピアノ曲を録音した唯一の音源である。現在ではCDで入手可能(http://www.musicweb-international.com/classrev/2004/Jan04/messiaen_Historic.htm)。
(注2)シュトックハウゼンは、この体験をきっかけとして、パリ音楽院のメシアンのクラスで学ぶことを決意したと語っている。
火の島 第1
総演奏時間:2分00秒
動画2
解説0
楽譜0
編曲0
リズムのネウマ
総演奏時間:4分00秒
動画0
音価と強度のモード
総演奏時間:6分30秒
火の島 第2
動画1
4つのリズムのエチュード 火の島 第1
4つのリズムのエチュード 火の島 第2
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