ミヨー 1892-1974 Milhaud, Darius
解説:屋野 晴香 (756文字)
更新日:2010年1月1日
解説:屋野 晴香 (756文字)
裕福なユダヤ人家庭に生まれ、仏プロヴァンス地方で育つ。7歳よりヴァイオリンをはじめ、まもなく作曲も始める。パリ音楽院へはヴァイオリン専攻で入学するが、次第に作曲こそが自らの天職であると感じるようになったという。第一次対戦時、彼は健康上の理由から兵役を免除され(リューマチ関節炎によって重度の身体障害者となり、のちには車椅子生活を余儀なくされた)、外交官であった友人がブラジル赴任を言い渡されると、その秘書としてミヨーも一緒にブラジルに渡る。2人は約2年間を南米で生活し、そこで触れた独特の空気や音楽のリズムがこの若い作曲家に多大な影響を与えたことは、作品に顕著に表われている。たとえばピアノ作品では、2台のための作品《スカラムーシュ》のフィナーレがそのよい例であろう。1918年11月にパリへ戻り、ミヨーは「六人組」の一人となる。その2年後の1920年、作品上演のためロンドンに滞在していたミヨーは、ビリー・アーノルド楽団による演奏でジャズを初めて耳にし、衝撃を受ける。帰国すると当時非常にはやっていたアメリカのポピュラー音楽を手に入るかぎり集め、友人とともに没頭し始めた。22年アメリカへ演奏旅行に出かけ、23年には本物の黒人ジャズをハーレムで初めて聴いて刺激され、バレエ音楽を作曲している。彼は旅先で触れたさまざまな民族音楽・民俗音楽からもインスピレーションを得、作品を書いていた人物であったと言える。自伝の冒頭でミヨーは、「私はプロヴァンス地方出身のフランス人であり,信仰上はユダヤ人である」と述べている。彼が自身についてこのような理解を持っているように、プロヴァンスののどかな風景の記憶は彼の創造性の中核となっており、ミヨーという作曲を理解する上でプロヴァンスというキーワードはもっとも重要かもしれない。
作品(68)
ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ) (2)
協奏曲 (7)
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