ミヨーの最初期のピアノ曲である。この時代のミヨーの作品に光が当たる機会は少ない。ミヨー自身もブラジル滞在(1917~1918年)以前の自作への評価は冷淡で、自伝の中でヴァイオリン・ソナタ第1番(作品3)、弦楽四重奏曲第1番(作品5)と本作品(作品8)を具体的に挙げ、これらが演奏されることを好まないと述べている。確かに、本作品を特徴づける、動機の執拗な反復、長尺の展開、重厚なテクスチャーは、ミヨーの作品として明らかに異質であるが、これらはブラジル滞在期に創作姿勢を確立する以前の貴重な模索の軌跡でもある。いっぽう、明快な旋律、堅牢な対位法、複調を含む和声法など、ミヨーの作品に一貫する特質も十分に現れている。全体に落ち着きのある内省的な楽想を基調としつつ変化と起伏を持たせ、表面上の技巧に走ることなく節度ある書法を堅持している。あらためて着目するに値する作品と言ってよい。ミヨーが概して自作には過度なまでに謙虚な態度を示すのが常であった点にも注意したい。21歳のミヨーは、各曲を同世代の身近な友人たちに献呈した。この作品をとりまくすべてが、若いみずみずしさに満ちている。
本作品の初演は1914年3月23日にブリュッセルの Libre Esthétique にて、第5曲の被献呈者であるジョルジェット・ギュレにより行われた。当時18歳のギュレは、すでにパリ音楽院のイシドール・フィリップのクラスを首席で卒業し、新進の女性ピアニストとして頭角を現していた。この後まもなく、ギュレはユーラ・ギュラー(Youra Guller)を名乗るようになり、豊かなテンペラメントにあふれる演奏で聴衆を魅了し、若き日のアルゲリッチをも心酔させるほどの伝説的なピアニストとなった。ブリュッセルでの初演の翌日にミヨーは本作品の自筆譜をギュラーに贈呈し、ギュラーは生涯これを大切に保持した。ギュラーの没後、2005年にサザビーズの競売にかけられた本作品の自筆譜は、米国の著名な投資家ブルース・コフナー氏が落札し、氏からジュリアード音楽院に寄贈されて、現在 Julliard Manuscript Collection のサイトで閲覧することができる。
第1曲 Lent(遅く)4分の4拍子。1913年4月30日、パリにて完成。Jean Wiéner(作曲家)への献呈。
第2曲 Vif et clair(速く明瞭に)4分の4拍子。1913年8月7日、エクスの実家にて完成。Henri Cliquet (作曲家)への献呈。
第3曲 Lourd et rythmé (重く律動的に)4分の4拍子。1913年8月13~14日、エクスの実家にて完成。Roger de Fontenay(作曲家)への献呈。
第4曲 Lent et grave (遅く荘重に)4分の4拍子。1913年9月1日、エクスの実家にて完成。Céline Lagouarde(写真家・ピアニスト)への献呈。
第5曲 Modéré(中庸に)4分の3拍子 – Animé(いきいきと)4分の4拍子。1913年9月6日、エクスの実家にて完成。Georgette Guller(ピアニスト)への献呈。