ミヨーは欧州の戦渦を避けて1940年に渡米し、カリフォルニア州オークランドのミルズ・カレッジで教鞭をとりながら精力的に創作を続けた。本作品は、同名の1933年のバレエ音楽(ジョージ・バランシン振付。作品124)から3曲を抜粋して2台ピアノ用の組曲へと仕立てたもので、1943年10月にミルズにて完成された。劇音楽を下敷きにした「スカラムーシュ」(作品165b)と、生成過程の点で類似しているといえる。初演は1945年5月7日、ワイオミング大学ララミー校にて、旧知の友人であった米国人ピアニスト、アラン・ウィルマン(Allan Willman)と作曲者の2台ピアノにより行われた。
急緩急の3曲よりなる。第1曲スケルツォ(Très vif とても速く/嬰ヘ長調)、高音部に寄った敏捷な動きが「白昼夢」のとりとめのなさを表現する。第2曲ワルツ(Modéré sans lenteur 遅くならず中庸に/ヘ長調)、「サティ風」と評される洗練された小品。第3曲ポルカ(Animé いきいきと/ハ長調)、軽やかなメロディに痛快なアクセントが加わる。全体に調性的で明快な楽想を持ち、ミヨーの2台ピアノ作品としては弾きやすい部類に属する。ピアノデュオ作品の研究で知られるモーリス・ヒンソン(Maurice Hinson)が、本作品について「演奏過多の『スカラムーシュ』の新鮮な代替となり得る」と述べていることも一考に値しよう。
本作品が、当時全米で人気絶頂であったピアノデュオ、モーリー&ギアハート(Virginia Morley & Livingston Gearhart)の依嘱により書かれ、彼らに献呈された事実も特筆したい。パリ留学中に知り合ったモーリーとギアハートは1940年に結婚してピアノデュオの演奏活動を開始した。銀幕から抜け出してきたような容姿と、華やかでスマートな演奏スタイルで一世を風靡したが、のちに1953年に協議離婚しピアノデュオも解消することとなる。本作品の献呈を受けた時期が彼らの活動の最盛期であった。