ライネッケ 1824-1910 Reinecke, Carl Heinrich Carsten
解説:上田 泰史 (2736文字)
更新日:2011年5月18日
解説:上田 泰史 (2736文字)
ライネッケは1824年、北ドイツの都市アルトナ(現ハンブルク、当時デンマーク領)に生まれた。父は当時名前のよく知られた音楽理論家で、この父の指導下で着実に音楽の素養を身につけ7歳のときには作曲を手掛けるようになった。10代半ばにフーガ付きのピアノ曲作品1を出版しているところをみると、このときまでに彼は基礎的な作曲技術を一通り修得していたと思われる。演奏の進歩も著しく、11歳のときにはピアニストとして知られるようになったという。1843年3月、18歳のときに故郷を離れライプツィヒや北ドイツのリューベック、デンマークの主都コペンハーゲンを訪れて演奏した。その後ライプツィヒに戻ると、数年間ここにとどまり最後の「学習時代」を過ごす。J.S.バッハが後半生を過ごしたこのライプツィヒでは早くから公開演奏会の伝統が根付いており、1781年に設立されたゲヴァントハウスのコンサートホールとオーケストラは市民と音楽家に豊かな文化的土壌をもたらしていた。ライネッケがこの地を訪れた43年、このオーケストラを率いていたのはメンデルスゾーンであり、若きシューマンもまたこの街の住人だった。街にはブライトコプフ・ウント・ヘルテル社という今日でも名高い由緒ある出版社をはじめ多くの楽譜商が店を構えており、ハイドン、モーツァルトをはじめ数々の名作が世に出る窓口となっていた。
ライネッケはこの文化都市でメンデルスゾーンやシューマン、ヒラーなど優れた音楽家たちに快く迎えられ、ゲヴァントハウスのコンサートで幾度も演奏する機会を与えられた。こうして彼はバッハの伝統と当時もっとも著名な音楽家たちの音楽を体にしみこませていった。ライプツィヒ音楽院がメンデルスゾーンによって開かれたのもちょうどこの年だったが、この若者が後にこの学校の院長になろうとは一体だれが想像しただろう。1846年、ライネッケはデンマークの主都コペンハーゲンの宮廷ピアニストの職につくためライプツィヒを離れ、国王の奨学金を得て北方への大掛かりな演奏旅行を敢行した。このツアーは現ポーランドのダンツィヒからブレーメンやハノーファー各地を巡演したのち、ラトビアの首都リガにまで及んだ。この安定した職はしかし、48年にヨーロッパ各地で起こった革命の混乱で失われ、こんどはゲヴァントハウスの新しい指揮者リーツの招きでライプツィヒに戻ってきた(この時期、ライネッケはライプツィヒから80kmほど離れたワイマールでリストに会い交流を深めた。リストはライネッケの人格と音楽的教養の深さに感じて、後にパリにやった娘の教育を彼に託すこととなる)。だが、ピアニストとして十分な収入が得られないのを不満に感じ、49年にオランダとの国境に近いバルメンに移ると、彼はこの地でリストやクララ・シューマンと共に演奏会を開いて、第一流の音楽家としてのキャリアを重ねた。51年にはパリを訪れ演奏会を開いた。この都市で彼はヒラーに再会し、ヒラー率いるケルンの音楽院に招かれそこで作曲とピアノ教授を引き受けることとなった。学務の傍ら彼は53年にしばしば隣街のデュッセルドルフにシューマンを訪ね、そこで9つ年下のブラームスと知り合い信頼関係を築いた。1854年にケルンでの職を手放すと、彼は再びバルメンに戻り、同地のオーケストラ指揮者をつとめ、さらにその後59年には現ポーランドの都市ブレスラウにて指揮者と音楽監督を務めた。
1860年はライネッケとドイツの音楽界にとって重要な年となった。彼がライプツィヒに戻りゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者並びにライプツィヒ音楽院の教授に就任したのである。同年9月30日の就任記念コンサートを皮切りに、以後1895年にニキシュにその座を譲るまで彼は35年に亘りこのオーケストラを統率し、さらにライプツィヒ音楽院の著名な作曲・ピアノ教授として1902年まで(97年院長に就任)、40年以上もの間教鞭を振るった。これによってライネッケがドイツの音楽界に対して持つ影響は決定的なものとなった。教育の標準を確立するために彼はバッハ、ベートーヴェン、シューベルト、モーツァルト、ウェーバーから同時代に至る多くのピアノ作品の楽譜を校訂・編集、さらに著名なオーケストラ曲や室内楽の念入りなピアノ編曲を一手にひきうけた。これらが模範的教材としてドイツで広く使用されたことは想像に難くない。彼が作曲したモーツァルトやベートーヴェンの協奏曲カデンツァは今なお弾かれており、ライネッケの名前よりも有名になっている。リストやワーグナーの急進的な作品よりも、伝統と格式を重んじるカリキュラム、ゲヴァントハウスの演奏会プログラムによってライネッケは保守派の重鎮と見做されるようになったが、一方で彼の門下からは未来の音楽界を担う若い音楽家たちが巣立っていった。ヤナーチェク、E.グリーグ、ブゾーニ、ワインガルトナー、P.リヒター、理論家H.リーマン、音楽学者クレッチュマーたちはみな彼の教えを受けている。ライネッケをはじめとして優れた教授陣をそろえたライプツィヒ音楽院は、まさに彼の在任中にヨーロッパ中にその威信をとどろかせ、屈指の名門校に成長したのである。ライプツィヒ音楽院(現メンデルスゾーン音楽院)ならびにゲヴァントハウス管弦楽団の中興の祖と呼ぶべきライネッケに対してライプツィヒの音楽文化が負っている恩義は計り知れない。1901年、滝廉太郎は日本の音楽留学生第一号としてライプツィヒを訪れ、10月にライネッケ率いる音楽院の入試に合格している。ライネッケは年下のブラームス、グリーグがこの世を去り、ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキーがすでに作曲家として活躍しはじめても尚生き続け、1910年、明治末期に85年の生涯に幕を下ろした。彼は現在一族と共にライプツィヒの墓地に眠っている。
音楽家としては長寿に恵まれたライネッケであるが、家庭人としてのライネッケは必ずしも幸福な人生を歩んだわけではなかった。彼は人生で3度結婚している。ケルン時代1852年に結婚した妻ベティ・ハンセンは早くも60年に他界してしまう。62年に再婚したシャルロッテ・シャルンケまた10年も経たぬうちに亡くなる。その後40代後半になった72年にマルガレーテ・シッフリンと結婚した。幸い子供には恵まれ、1889年に息子たちによって設立されたライネッケ兄弟協会は1950年まで存続し父の業績を後世に伝えた。その後2004年にライプツィヒライネッケ音楽出版会Reinecke Musikverlag Leipzigが再編され、今日も少しずつではあるがライネッケ作品の紹介に取り組んでいる。
作品(146)
ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ) (2)
協奏曲 (4)
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ピアノ独奏曲 (24)
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曲集・小品集 (41)
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練習曲 (9)
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