ヤナーチェク 1854-1928 Janáček, Leoš
解説:小崎 紘一 (636文字)
更新日:2010年1月1日
解説:小崎 紘一 (636文字)
レオシュ・ヤナーチェクが生まれたのは1854年7月3日モラヴィア、カントル(教師・音楽家・教会の合唱指導者などを兼ねる)の家系であった。《イェヌーファ》に代表されるオペラ作曲家として知られるヤナーチェクだが、数少ないピアノ曲は書かれたその時々の心情がかなり具体的に反映されており、無視できないジャンルになっている。
30代中ごろからは故郷モラヴィアの民謡の採譜をはじめ、そのフィールドワークは作風に直接関わってくることになる。同郷のドヴォルザークやスメタナのように異国趣味的に取り入れるのではなく、直接作曲語法として用いたのが特徴的で、後のバルトークやコダーイらに先駆けた。
同時に民族復興運動にも関心を示し、政治にインスパイアされた作品も少なくない。この要素はかつてライプツィヒやヴィーンといった「本場」で彼が感じた民族的な疎外感や、郷土がオーストリアの支配下に置かれていたことが転じて愛郷心という形で噴出したものであり、作曲に民謡を取り入れたこととも無関係ではない。ヴィーンから戻った彼は公の場でドイツ語での会話を拒むようになり、市街電車の掲示がドイツ語であるという理由で決して電車には乗らなかった。
晩年にはその姿勢も軟化したが、民族の誇り、不安な情勢下に生きる人間の責任を自覚し、その現実を音楽に反映させた数少ない作曲家であり、そういった意味では同じチェコに生まれ《イェヌーファ》の初演時にコレペティトゥーアを務めたシュルホフは唯一の後継者になっていたかもしれなかった。
作品(14)
ピアノ独奏曲 (6)
ソナタ (1)
曲集・小品集 (4)
ピアノ合奏曲 (2)
種々の作品 (2)