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サン=サーンス :マズルカ 第1番 Op.21 ト短調

Saint-Saëns, Camille:Mazurka No. 1 g-moll Op.21

作品概要

作曲年:1862年 
出版年:1868年 
初出版社:Durand
楽器編成:ピアノ独奏曲 
ジャンル:マズルカ
総演奏時間:3分00秒
著作権:パブリック・ドメイン

解説 (1)

執筆者 : 中西 充弥 (1463文字)

更新日:2018年3月12日
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マズルカと言えばショパンのことを考えずにはいられないだろう。1846年に神童としてピアニストのデビューを果たしたサン=サーンスはもちろんショパンに会おうと思えばできたはずである。しかしそこは師匠のスタマティが許さなかった。彼は破門をちらつかせてまでショパンの演奏を聴きに行かないよう迫ったと後にサン=サーンスは綴っている。サン=サーンスがその文章中で分析しているように、恐らくスタマティはショパンと比較されるのを恐れたのであろう。それ程ショパンは当時のピアニストにとって脅威であった。このような師匠の妨害にも拘らず、やはりショパンの影響は無視できないものであった。サン=サーンスは歌手ポーリーヌ・ヴィアルド(1821‐1910)のようなショパンと親交のあった音楽家を通し、間接的にではあるがショパンの音楽とその演奏法を勉強していった。サン=サーンスは『ショパンの作品の演奏に関して一言』という記事を寄稿したり、エドゥアール・ガンシュによるショパンの伝記(1921)に序文を寄せたりし、更には《バラード》第2番(ヘ長調)の草稿を競売で競り落とし、コンセルヴァトワール(パリ音楽院)の図書館に寄贈し、作品の生成過程を分析した記事まで書いているのである。この原典研究、草稿研究の先駆けとも言えるサン=サーンスの態度は、サン=サーンス自身のピアノ演奏法と絡めて個別に論じる機会が今後あるであろう。兎に角、サン=サーンスはショパンの音楽を敬愛していたのは間違いない。  そしてサン=サーンス自身のマズルカであるが、3曲残されている。それぞれ社交界のご婦人方に献呈された短い曲であり、当時のサロンの優雅な雰囲気を伝えている。とは言え全て短調の曲であり、ロマン派の物憂げな気分をも描き出している。 ■マズルカ 第1番 ト短調 Op.21  1862年作曲。ポコ・ヴィヴァーチェ。曲はマズールを基調とし、中間部はクーヤヴィアク。三部形式を取り、半音階進行が多用される。パウリーネ・フォン・メッテルニヒ侯爵夫人(1836‐1921)に献呈。在仏オーストリア大使となった夫と共にパリに滞在し、第二帝政期の皇帝ナポレオン三世の宮廷と社交界で影響力を持った。芸術に造詣が深く、音楽家の知人も多かった彼女は1861年のワーグナーの《タンホイザー》のパリ初演のために皇帝に口添えしたと言われている。そのような重要人物に対し、まだ駆け出しの若い作曲家であったサン=サーンスが庇護を期待して曲を献呈したのも無理はない。女性の社会進出が少なかった時代であるが、貴族社会(後に共和制の時代になってもプルーストが描いたように疑似宮廷の如きサロンが存続した)において、女性の口添えが大きな力を持ったのは、外戚政治で大きな権力を握った藤原道長の時代とも共通する。フォーレの芸術アカデミー会員任命の選挙の際にも、サン=サーンスはご婦人方への援助の依頼を怠らないよう彼に助言している。このような裏事情を書いてしまうと夢がないが、歴史的な観点からは興味を持って頂けるのではなかろうか。  サン=サーンスは長命であったため、有難いことに科学技術の進歩が間に合い演奏の記録が残っている。この第1番に関しては1917年採録のピアノロールの再生録音CD(レーベル:Dal Segno、品番:DSPRCD009)があるが、やはり細かなタッチは1919年の実際の演奏録音を収めたCD(レーベル:Marston、品番:52054-2)にはかなわないので、興味のある方はぜひ聴いて頂きたい。

執筆者: 中西 充弥

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