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サン=サーンス :死の舞踏 Op.40 ト短調

Saint-Saëns, Camille:Danse macabre g-moll Op.40

作品概要

作曲年:1874年 
出版年:1875年 
楽器編成:ピアノ合奏曲 
ジャンル:★ 種々の作品 ★
総演奏時間:8分00秒

解説 (1)

執筆者 : 中西 充弥 (4616文字)

更新日:2018年3月12日
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フランスの詩人アンリ・カザリス(1840-1909)による詩に基づき1872年同名の歌曲を最初に作曲。交響詩は1874年作曲。献呈先はカロリーヌ・モンティニー=レモリー夫人(1843-1913)。彼女はリストの弟子で当時有名な技巧派のピアニストであり、この曲の他に《ウェディング・ケーキ Op.76》などを献呈されている。初演は1875年1月24日、シャトレ座においてエドゥアール・コロンヌの指揮による。三分の四拍子、ト短調、ムヴマン・モデレ・ドゥ・ヴァルス(穏やかなワルツのテンポで)。  「死の舞踏」という言葉を聞いて、ピアノを弾かれる方ならばリストの同名曲を想起されるであろう。ここでは便宜上《トーテンタンツ》と呼び区別することとする。サン=サーンスはリストを敬愛し、キャリアの上でも目をかけてもらった恩人であるから、《トーテンタンツ》を知らないはずはなく、作曲の際、当然意識していたであろう。そしてリストの《トーテンタンツ》に関して、この「死の舞踏」というのはリストの独自のアイデアではなく、中世以来のヨーロッパにおける伝統的な美術のモチーフであることを押さえておかなければならない。  中世ヨーロッパはペストに代表される疫病、百年戦争に代表される戦争の災禍により疲弊し、これほど人々が死と隣り合わせにあることを痛感せずにはいられない時代は無かった。そのような時代背景を受けて、「メメント・モリ(死を忘れるな)」「ヴァニタス(人生の儚さ)」といった概念が強く意識されるようになり、ひいては美術のモチーフとしてトランジ(死体をモチーフとした彫刻)、ヴァニタスの寓意を示した静物画が登場するのであるが、その流れの中で「死の舞踏」や「死の勝利」といった絵画が登場する。リストが《トーテンタンツ》を作曲する遠因となった作品はイタリア、ピサのカンポサント墓所のブファルマッコによる『死の勝利』であると言われている。リストの《トーテンタンツ》は元の「死の勝利」の概念に沿い、死を前に人はあまりに無力でなす術も無く、その猛威に打ちひしがれる様子を荒々しく表現している。方やサン=サーンスの《死の舞踏》を眺めると、ドイツ系の音楽とフランス音楽の違いが見出され、興味深い。観念的なリストに対し、サン=サーンスの方は非常に視覚的(即物的)であり、物語の進行に合わせて音楽が情景を説明するので映像に近く、音楽に合わせて短編映画を撮影することができるのではないかと思われるほどである。この流れはもちろんポール・デュカスの《魔法使いの弟子》に通じていくのだが、この物語性の理由はこの交響詩がアンリ・カザリスの詩による同名の歌曲に基づいているからでもある。 ジグ、ジグ、ジグ、死神が拍子を取っている 踵で墓石を打ち鳴らしながら 真夜中に死神はダンスの調べを演奏する ジグ、ジグ、ザグと彼のヴァイオリンで 冬の風は吹き荒び、夜は暗澹としている ボダイジュから呻き声が漏れ出し、 蒼白い骸骨たちは闇を横切り、 屍衣を纏ったまま走り跳び上がる ジグ、ジグ、ジグ、めいめいが跳ね回り、 踊る者たちの骨がカチカチいう音が聞こえる おい、ちょっと、と合図して突然彼らは輪舞を止める そして押し合い圧し合い逃げて行く、一番鶏が鳴いたので。 (注:フランスにおいては伝統的に土葬が行われるため、墓石は棺を蓋うふたのような平らな大きい石であるから、タップダンスのように足でリズムを取るには都合が良い。セイヨウボダイジュは聖なる木であると同時に、魔女と結び付けられる不吉な木とみなされることもあった。)  実は、上記のサン=サーンスが作曲、出版に際して引用した部分では元の詩の一部が省略されている。原詩のタイトルが「平等、友愛……」であり、省かれた部分では「王様も平民も死を前に平等である(皆等しくいずれは死ななければならない)」という「死の勝利」の概念に合致した内容が書かれているのだが、教訓的、観念的な部分は意識的に読み飛ばされ、動的な物語性の部分のみ抽出されている。  サン=サーンスは後年自身の詩集を出版するほど文学、特に詩に親しく、仲の良い友人宛ての手紙の中では気軽に詩を書き贈ったほどである。フランス詩の源流をたどると『ローランの歌』にたどり着くが、これが韻文で書かれた叙事詩であったように、詩に親しんだサン=サーンスが交響詩という表現形式に関心を持ち、音楽で「物語」を語ろうとしたのはごく自然なことであったのかもしれない。もちろん、彼が尊敬するベートーヴェンに始まり、ベルリオーズ、リストへとつながる標題交響曲、交響詩という流れの素地があって初めて花開いたものであるが。更には《幻想交響曲》中の「サバト(魔宴)の夜の夢」、《トーテンタンツ》とグレゴリオ聖歌の「怒りの日(ディエス・イレ)」でつながっており、サン=サーンスは偉大な先人に対するオマージュとして、自分なりの「小幻想交響曲」「死の舞踏」という宿題を課し、答えを提出したとも考えられる。サン=サーンスの場合、確かに「怒りの日(ディエス・イレ)」が引用されているのであるが、最後の審判を前に恐れ慄く図、というよりは骸骨がおどろおどろしくも滑稽に踊り、朝日が昇って一番鶏が鳴くやスタコラさっさと地底に逃げ帰っていくユーモラスなイメージが強調され、それがこの曲の人気を博す理由であろう。また日本においても百鬼夜行の話があるように、似たような話が普遍的に存在することも人気の一因であろう。  曲の構成は、物語の時間軸に沿っており、まずハープによって真夜中12時の時が告げられる。チェロとコントラバスは墓石がもぞもぞ動いて中から死神が出て来るのを表現し、死神はおもむろにヴァイオリンの調弦を始める。死神のヴァイオリンであるから、普通のヴァイオリンではなく、悪魔のヴァイオリンである。よって調弦も普通ではなく、スコルダトゥーラで「音楽の悪魔(三全音)」を含んだ音程となる。そしてヴァイオリンによって「ワルツの主題(第一主題)」が奏でられ、ついで「冬の風の主題(第二主題)」が奏でられる。地底からはどんどん仲間たちがやってきてダンスの輪は広がり、賑やかになってくると更に悪魔のヴァイオリンも興に乗ってくる。おどろおどろしい雰囲気を表現するためにシンバルの音が背後で鳴り、しまいには骨と骨がぶつかってカチカチ音を立てるようになる(シロフォン)。練習番号Cからは「冬の風の主題」によるフーガが始まり、嵐が墓地の周囲を取り囲むが、そのなかでは台風の目の中のような平穏な時が流れ、(とはいえ旋律は「怒りの日(ディエス・イレ)」のパロディーであり不気味な雰囲気はそのままなのだが、)死者は楽しく踊っている(練習番号D)。さらに調子に乗った死神はヴァイオリンで「冬の風の主題」を抒情的に奏で悦に入り(練習番号E)、「冬の風の主題」によるフーガによる盛り上がりで(練習番号G)、宴は最高潮に達する(練習番号H)。しかし、もうそろそろ朝が近づいた予感からか寂しそうな、物足りなそうな旋律を奏で(練習番号I)、最後の踊り収めということで、ここぞとばかりに大乱舞に至るが(練習番号K)、非情にも朝はやってきてしまい、一番鶏(オーボエ)が鳴いてしまうと(練習番号M)もうそこは宴の後、死神は恨めしそうな旋律を奏で、その後ろでは死者たちが我先にとごそごそ蠢きながら地底へと向かって帰っていくのであった。おしまい(最後の二小節)。この「おしまい」様式は《魔法使いの弟子》の最後の二小節にも引き継がれ興味深い。昔話の「むかしむかし~おしまい」という語りの様式が引き継がれているかのようである。この昔話の様式はフランスにもあり、例えばプーランクの《小象ババールのおはなし FP129》においても、「おしまい」という言葉にきちんと音が割り当てられているのである。  ピアノで演奏する際に音色で注意しなければならないのが、原曲のオーケストレーションである。まず特徴的なのが、ヴァイオリンのスコルダトゥーラである。これは単に三全音の演奏しやすさだけを狙ったものではなく、「開放弦」の生の音色で荒々しくおどろおどろしく弾くことを狙ったものである。ピアノと違い、ヴァイオリン族は四本の弦で様々な音を出さなければならないので、楽器の制約、お家事情というものが出て来る。つまり、開放弦とそれ以外で音色の差が出てしまい、ピアノのように均一な音色が出せないのである。それを逆手に取ったのがこのスコルダトゥーラである。ちなみに、管楽器も一つの管で様々な音を出さなければならず、音色のみならず音程も均一性を保つのが難しい。19世紀古楽を考えるにあたって、当時はフルートの教本に導音専用の運指が登場し、平均律とは異なる調性感覚が一般的であったことを頭に留めておいて頂きたい。また、原曲では一番二番ホルンにナチュラル・ホルンが割り当てられ、三番四番にヴァルヴ・ホルンが割り当てられているのは、当時ヴァルヴの製作技術が低く、気密性に欠けるため音色があまりよくなく、ナチュラル・ホルンでは演奏の難しい半音階用にヴァルヴ・ホルンが用いられ、音色重視の箇所にはナチュラル・ホルンが用いられた(練習番号E)という事情がある。そしてナチュラル・ホルンは替管によってあらゆる調に交換でき、作曲家はそれぞれの調の音色と、開放音、ハンド・ストッピングによる閉塞音との組み合わせによる無数の音色の可能性から、狙ったものを選んでスコアに指定していたということを忘れないで頂きたい。もちろん、これらを全てピアノで再現するのは不可能であるが、頭の中でイメージできると、演奏の幅が広がるのではないかと思われる。打楽器の用法も特徴的であるが、曲の構成で触れた通り、視覚的イメージの現出のために効果的に用いられている。  「クローシュ氏のぶつぶつつぶやいている言いがかりは、『死の舞踏』に立ちいたったとき、ややその調子がやわらいだ。あの曲の初演のときにさかんに吹き鳴らされた批判の口笛の音を、彼は楽しそうに思い出していた。」(『音楽のために-ドビュッシー評論集』、杉本秀太郎訳、白水社)とあるように、初演時はブーイングが出たものの、その後の成功は皆さんが御存知の通りである。それを反映してピアノ編曲版も多岐にわたる。作曲家存命中のものだけ取り上げても、リストによるソロ(1876年)、クラメルによるソロ(1876年)、リッテルによるソロ(1880年)、エルネスト・ギローによる二台四手(1875年)、二台八手(1877年)、作曲家自身による二台四手(1875年)とある。最後にリストからサン=サーンスへの1876年10月2日付の手紙を引用しておく:「親愛なる友よ。あなたの《死の舞踏》の編曲を今日お送り致しますが、スコアの素晴らしい色彩をピアノにうまく縮小して移し替えられない無能な私をお許し下さい。何人も不可能なことをする義務はありません。ピアノでオーケストラを演奏するなど未だかつて誰にも課せられたたことがないのです。それでも、大なり小なり御し難く不十分であろうともあらゆる形を通して絶えず「理想」に向かっていかなくてはなりません。人生と芸術はその過程においてのみ善なのだ、と私には思えるのです。」

執筆者: 中西 充弥
その他特記事項
作曲者編曲(2台ピアノ版)