ホーム > サン=サーンス > アレグロ・アパッショナート 嬰ハ短調

サン=サーンス :アレグロ・アパッショナート Op.70 嬰ハ短調

Saint-Saëns, Camille:Allegro appassionato cis-moll Op.70

作品概要

作曲年:1884年 
出版年:1884年 
初出版社:Durand
楽器編成:ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ) 
ジャンル:管弦楽付き作品
総演奏時間:3分50秒

解説 (1)

執筆者 : 中西 充弥 (2253文字)

更新日:2018年3月12日
[開く]

ソロ・リサイタルにおいて一人で好きなように時間が使えるのならともかく、コンクール、おさらい会等において、一曲の短い時間でテクニックと抒情的な音楽性の両方をアピール可能な「虫のよい」作品は少ないが、この《アレグロ・アパッショナート》はそのような作品の一つである。なぜなら元々「コンクール」のために書かれたからである。  サン=サーンスはコンセルヴァトワール(パリ国立音楽院)で教職に就くことはなかったが、1881年、芸術アカデミー(芸術院)の会員に選出される。すなわち、音楽の世界においてはコンセルヴァトワールの人事等、音楽行政に関わる影響力を持ったことを意味し、一般的にも名士として見做されるようになる。その結果、コンクールの審査員のような役割の依頼が増えたり、儀式等のための機会的な作品の委嘱が増えたりするのであるが、サン=サーンスの場合、彼はどちらかというとそのような面倒なことをホイホイ引き受けてしまうのであった。それは、彼が一度結婚するものの、悲劇的な子供たちとの死別の後に妻とは別居し、法的にはともかくその後一生独身を貫いたため時間がたくさんあり、まるで独り身の寂しさを紛らわそうとするかのように、作曲や(演奏)旅行の予定を詰め込んでいた節があるからである。とは言え、画家が自分の作品を展示即売するように、作曲家が新作楽譜の展示即売をする訳にはいかないから、音楽作品とは多かれ少なかれ機会的なものであり、有名な「オルガン付」の《交響曲》第3番にしても、ロンドンのフィルハーモニー協会の委嘱作品なのであるが、やはりサン=サーンスの場合、戴冠式の行進曲や海洋博物館の落成式のための序曲といった如何にも機会的で些末な作品の数も多く、それが形式的で中身が無い音楽というレッテルに繋がってしまった感は否めない。  《アレグロ・アパッショナート》の作曲の契機となったコンクールは1884年のコンセルヴァトワールのピアノ科男子クラスの卒業試験(コンクール)であった。ヴァイオリニストのジャック・ティボーもその自伝の中で述べていたように、コンセルヴァトワールに入ることよりもそこでプルミエ・プリ(一等賞)を取って卒業することが何よりも重要であり、このコンクールの賞は若い学生が、演奏家として羽ばたくためにはなくてはならない切符であった。学内コンクールとは言え、中央集権型のフランス社会においては、音楽教育の最高学府であるコンセルヴァトワールで一等賞を取ることが(現在においても)非常に重要なことなのである。もちろん公開審査のこの卒業試験のために新作を依頼されるのも名誉なことであったのだが、この新作委嘱の制度は、平等を重んじる実にフランスらしい合理的なシステムである。というのも、旧作を課題曲にした場合、生徒がその曲を在学中、ないしは入学前から練習している可能性があり、条件的に受験者の平等が図れないからである。よって、新作を委嘱すれば、受験者に与えられた試験までの時間が同じになり公平性を保てる、ということなのである。この新作委嘱のシステムは20世紀、特に管楽器のクラスにおいてレパートリーの拡充を促し、フルートの世界で良く言われるところの「フレンチ・スクール」の隆盛をソフトの充実の面で支えるのだが、19世紀においてはまだこの伝統は無く、レパートリーのない管楽器クラスにおいては担当教授自ら《ソロ》第何番というように作曲することが一般的であり、レパートリーに困らないピアノにおいては、19世紀後半ショパンが頻繁に取り上げられていた。このような中、当時存命の作曲家であったサン=サーンスに作曲が依頼されたというのは、彼の評価の高さを裏付けるものである。  曲は嬰ハ短調に始まり嬰ハ長調で終わる、ソナタ形式の要素を持つ複合三部形式。冒頭序奏において力強いユニゾンによって演奏されるFis-Gis-Hisの音型が主要動機となり、7小節目からの第一主題は軽やかに演奏される。偶然かもしれないが、この冒頭序奏の動機は、1840年代から60年代にかけて5度、修了コンクール課題曲となったF. リースの《ピアノ協奏曲 第3番》作品55の冒頭のユニゾン(Cis-Dis-Gis)(調性も同じ)と類似している(※注)。再びユニゾンによる主要動機の強奏の後、デュラン版練習番号4の八小節前より一つ目の抒情的な主題が登場する。第一主題の短い変奏の後、第二の抒情的な主題が現れるが、管弦楽伴奏版では管楽器によるコラールで始まり、モルト・トランクイロではパイプ・オルガンのような荘重な響きとなる。練習番号7の後のダブル・バーから始まるアレグロにおいては主要動機を元に展開され、練習番号8からの再現部、コーダによって長調で華々しく締め括られる。  独奏版の初演のピアニストはもちろん1884年6月22日のコンクールに参加した19人のピアニストたちであるが、一等賞(プルミエ・プリ)を取ったのは、それぞれマティアスとマルモンテルの弟子のアンリ・ファルク(1866-1901)とフィリップ・クラス(1863-?)であった。管弦楽伴奏版は1905年3月に出版されており、この頃編曲したものと考えられる。こちらの初演は同年12月24日、コンセール・コロンヌにてマリー=エメ・ロジェ=ミクロス女史による。 (※注)上田泰史氏の御教示による。1846年に10歳でピアニストとしてデビューしたサン=サーンスがこの曲の存在を知らなかったとは考えにくい。

執筆者: 中西 充弥