概説
9曲からなる《音の絵》作品39は、1916年11月29日(以後日付は露暦)にペトログラードで行われたラフマニノフの自作自演リサイタルで、第8番を除く8曲揃いで初演された(情報が残っている限り、第8番を含む全曲は2月21日のペトログラードでのリサイタルで初演されたと思われる)。
それ以前、この曲集がいつどのように創作されたかに関する情報は少ないが、ラフマニノフによる自作目録では、1916年8月から11月に作曲されたと記されている。ただし、第9番ニ長調、第5番変ホ短調の自筆譜に書かれた日付はそれぞれ1917年2月となっており、このことから初演の演奏後に楽譜として書き起こされた作品もいくつかあると思われる。また、ラフマニノフ研究者アンティーポフは、この作品の構想やスケッチにラフマニノフが携わった時期は、本格的な作曲から数年遡るのではないかと推測している。その根拠は、第2番イ短調のスケッチが1913年のカンタータ《鐘》作品35のスケッチの中に含まれていたことにある。これは、作品33の《音の絵》が1914年の初版に向け、演奏会活動の中で徐々に現在の形へと醸成されていた時期に当たる。そのためアンティーポフは、作品33と作品39のふたつの曲集がそれほど間を開けずに構想された可能性を示唆している。なお、ラフマニノフは十月革命後の1917年末、ストックホルムへと出発し、そのまま亡命者となる。そのため、1917年2月に完成したこの楽曲が、ラフマニノフがロシアで作曲した最後の作品となった。
初版は1917年の春にロシア音楽出版社からピースの形で出版されたが、1920年代前半以後、1947年の「全集版」に作品33とともに収録されるまで再版されなかった。
判明している限り、ラフマニノフは作品39の《音の絵》の録音を3度行っており、1921年3月5日(ピアノロール)と1925年12月16日に行われた第6番イ短調の録音、1925年12月16日に行われた第4番ロ短調の録音がそれぞれ残っている。
ラフマニノフの小品作曲に対する姿勢や、標題性については、作品33の解説に詳説したので、そちらを参照されたい。
各曲解説
第1番 ハ短調 アレグロ・アジタート
荒々しい曲調の練習曲。無窮動的な造作ながら幅広い音程の跳躍を要求する右手と、うねるような、シンコペーションを含んだ律動を刻む左手オクターブが絶え間ない力動感を生み出している。また、拍子の変更や不規則なフレーズ構造(たとえば最初の楽節は5小節からなる)は聞き手の無意識の期待を裏切り、強い情動を表現する。中間部では調を転々としながら、右手の頭拍のスタッカートと左手内声部による二つの旋律が、緩やかに下行する分散和音を描く。
第2番 イ短調 レント・アッサイ
ラフマニノフ本人によると「海とかもめ」を標題としてもつ練習曲。主部では2小節単位でC音とA音を巡る素朴な伴奏音形に乗せ、5度と4度の上下行を主とする物悲しい旋律が高音と低音を行き来しながら奏でられる。徹頭徹尾執拗に現れる伴奏音形にはソヴィエト時代から「怒りの日」との関連が指摘されているが、明らかにそれと言える引用の作例(後年の《パガニーニの主題による狂詩曲》や《交響的舞曲》)と比べると、この箇所は「引用」というよりもあくまでイメージの連想・示唆程度のものと言えるだろう。中間部では曲調が一変し、転調を繰り返しながら熱情を高め、しかし徐々に冒頭部の哀感を取り戻していく。
第3番 嬰ヘ短調 アレグロ・モルト
3/8、4/8、6/8を行き来する拍子が標示され、ヘミオラをふんだんに含んで提示される冒頭には、アレグロの速度による拍感が求められる。また、右手の二音による反行跳躍(ときに対位法的に進行する)と左手の和音を含む跳躍に、高い技巧が求められる。全体を通して激烈な動きと表現が特徴的な練習曲だが、ここでの激しさは、激しさそのもののためや超絶技巧の発露のために存在しているのではない。その中にはしっかりと、ラフマニノフによって彫琢されたニュアンスある和声進行や旋律が存在している。そのことは聴き手にとっての魅力にも、弾き手にとっての難所にもなっている。
第4番 ロ短調 アレグロ・アッサイ
諧謔のこもった幻惑的な練習曲。「非常に快活に」と指示されたテンポに乗せ、絶え間なく不規則に延び縮みして変化する楽節構造が特徴的。一方で、音の並びを取り出してみると、宮廷舞曲を思わせる軽やかな律動感すら持っている。ラフマニノフ死後の編集版では拍子の変化に合わせて逐一拍子記号が標示されているが、原典版では拍子記号は示されておらず、おそらく作曲者自身の意図は「無拍子」にあったと思われる。
第5番 変ホ短調 アパッショナート
ラフマニノフは同音の和音連打によって感情の昂りやクライマックスを示すことが多い。ピアノ協奏曲第2番第1楽章の展開部末尾、《チェロ・ソナタ》、〈前奏曲〉作品32-10、歌曲〈なんという幸福!〉作品34-12、《パガニーニの主題による狂詩曲》第14変奏、ピアノ協奏曲第4番の各楽章のクライマックス……など、その作例に暇はない。その作法が練習曲として活かされているのがこの作品である。主部の絶え間なく両手で奏でられる和音連打は熱情的でありながらも、伴奏として単調にならず、さらにソプラノ声部の切れ目ない旋律を効果的に響かせられるような工夫が求められる。中間部は調性が不安定になる推移的部分でもあり、左手の分散和音の伴奏とデュナーミクの点で主部と対比をなし、さらに穏やかなコーダへの伏線ともなる部分である。
第6番 イ短調 アレグロ
「赤ずきんと狼のイメージにインスパイアされた」とラフマニノフが語る有名な楽曲。作品33の《音の絵》から撤回された後、改訂を加えて本作に収録された。低音で奏でられる半音階上行とトッカータ的な内容により、童話の残酷で恐怖に満ちたムードが具現化されている。各拍に置かれ、スタッカートで示された旋律を軸に、同音連打を含む跳躍進行によって疾走感を生み出している。中間部の作りも巧みで、一度テンポを落とし、そこからどんどんと切迫感を増していくという構造が二度繰り返される形になっている。主部の主題そのものの輪郭は保ちつつも、主部と異なる奏法によって発展させられている点にも着目したい。
なお、主部の旋律が、同時期に構想が進められていた協奏曲第4番の最終楽章の主題に類似している点も興味深い。
第7番 ハ短調 レント.ルグブレ
ラフマニノフの解説によると、「葬送行進曲」。確かに冒頭から様々な調で繰り返される付点音形のリズムは、重々しい葬送行進曲のそれである。長くなるが、ラフマニノフ自身もこの楽曲の解釈の難解さは自覚していたようで、レスピーギに宛てて詳細な解説を付け加えている。やや長くなるが引用しよう。曰く、「主要主題は行進曲で、もう一つの主題は合唱による歌唱です。ハ短調と、そのあと変ホ短調の16分音符で動き始める場面は、絶え間なくどうしようもない小雨を連想しました。この運動が発展していき、ハ短調のクライマックスに至りますが、これは鐘の音です。最後の部分は最初の主題、あるいは行進曲です」。この解説をそのまま楽曲に当てはめると、三連符を交えて副次主題的に現れる並行和音(第26小節以降)は葬礼の合唱ということになろう。「雨」の場面は39小節以降で、16分音符のセンプレ・スタッカートが音空間を支配する。この雨の音が次第にボリュームを増しながら、転調とともに荘厳できらびやかな鐘の音へと変貌する。そして雨とともに、冒頭の行進曲が回帰して終わる、という具合だ。
以上のようなプログラム性を拡大解釈し、批評家マックス・ハリソンはこの楽曲の「雨」のシーンは1915年のスクリャービンの葬儀の記憶に霊感を受けているという(信憑性はともあれ)興味深い説を唱えている。実際、4月16日に行われたスクリャービンの葬儀には雪混じりの冷たい雨が降っていた。
第8番 ニ短調 アレグロ・モデラート
右手の重音に重きが置かれた練習曲。9/8拍子による主題は仄暗い舟歌を思わせる穏やかなもの。同様の旋律が異なる和声進行に乗せて繰り返し立ち現れるが、機械的な音の連続にならないよう、それぞれの音が不透明にならないよう、また旋律を旋律として聴かせられるような努力が求められる。明白な三部形式をなし、中間部を経て盛り上がった曲調は、情熱的な和音の連打を伴う主題の再現によりクライマックスを迎える。
第9番 ニ長調 アレグロ・モデラート.テンポ・ディ・マルチャ
ラフマニノフ曰く、作品33-7と同様の「市場の場面」であると同時に、「東洋の行進曲を想起させる」という。確かに、賑々しくきらびやかな雰囲気は先行作品に近く、主部のリズムは行進曲的である。ただし、何を持って東洋的要素と言えるのかを判断するのは難しい。おそらく増2度を含む旋法の使用だろうか。この楽曲と同年の1917年に《オリエンタル・スケッチ》変ロ長調も作曲されており、そちらも照らし合わせてラフマニノフの作品に表現された東洋性を読み解くのもまた演奏解釈において興味深い試みとなるだろう。ラフマニノフにとっての「東洋的要素」は、19世紀のロシア作曲家の創作にみられるオリエンタリズム的な要素とは少し離れた場所にあるようだ。
楽曲は作品39の《音の絵》の中で唯一の長調の作品である。行進曲を連想させる主部ののち、自由に拍子が伸び縮みする、比較的落ち着きのある中間部を経て、壮麗なクライマックスを迎え、ツィクルスとしても盛大なフィナーレの役割を果たしている。