総説
わずか2ヶ月という短期間で一気に書き上げられた第1集と異なり、第2集は1910年から1913年の間に粛々と進められた。完成までに時間がかかった要因としては、同時期に《聖セバスティアンの殉教》(1911年)やバレエ曲《遊戯》(1912-13年)のような大きな作品を手がけていたことが挙げられる。さらに、「常により高み」[1]を目指していたドビュッシーのモットーを考慮すれば、第1集とは異なる新しい様式を開拓しようとしていたことも考えられる。現に、第2集では三段譜を積極的に取り入れた記譜上の実験が行われ、また、同時代のストラヴィンスキーのバレエ音楽との影響関係も指摘されている。このように2つの曲集の間にはスタイルの変化が見られつつも、ドビュッシーは自らの前奏曲集を、ショパンの《24の前奏曲》のような一貫した構想のもとに捉えてもいた。各曲の最後に括弧付けで標題を記す方法は第1集からそのまま引き継いでいる。さらに、第11曲〈交代する3度〉の成立経緯に見られるように、気に入らないアイデアに対しては代替曲を当てがい、曲集を12曲で成立させることに拘っていたからである。
各曲の解説
第1曲 〈霧〉
標題の由来は不明である。曲の開始から現れる黒鍵のアルペッジョに装飾された白鍵による平行三和音のモチーフ(第1-2小節)は、霧のようなはっきりとしない曖昧な情景を描く。対して、第18小節からは動きの少ないシンコペーションのリズムが登場する(譜例)。この楽曲はこれら2つのモチーフの対比で構成される。第24小節から冒頭のモチーフが再出現し、強弱やテンポの変化によって霧の濃度が変わっていく。第38小節からシンコペーション・モチーフが現れ、2つのモチーフは交錯しながら次第に消えていく。
【譜例:シンコペーション・モチーフ、第18-21小節】[1]
第2曲 〈枯葉〉
マルセイユ出身の詩人で評論家のガブリエル・ムレ(1865-1943)の初期の詩集『散りぢりの声−アダージョ、枯葉、夢に見たスケッチ』[2](1883年出版)から着想を得たと言われる。ドビュッシーとムレは親交が深く、フルート独奏曲《シランクス》(1913年作曲、1927年出版)はこの詩人の韻文劇《プシュケー》の付随音楽として書かれたものである。冒頭4小節では、ゆったりしたテンポで徐々に下降する舞い散る落ち葉のモチーフが現れる。このモチーフに常につきまとう静けさは、否が応でも哀愁を呼び起こす。対して中間部は、重々しさがありつつも、スタッカートや32分音符のパッセージが加わることでどこか推進力と躍動感を備えている(第19-40小節)(譜例)。
【譜例】第19-23小節
第3曲 〈ヴィーノの門〉
標題はスペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿に実在するワインの門の名前に由来する。ドビュッシーは、マニュエル・デ・ファリャ(1876-1946)やリカルド・ビニェス(1875-1943)といったスペインの作曲家から、この門の載ったハガキを受け取り、その光と影のコントラストに触発されたという。「コントラスト」に対するこだわりは、「極端な激しさと情熱的な心地よさの唐突な対比とともに」[3]という冒頭の楽想指示に表れている。そして、実際の楽曲においては、ハバネラのリズムに乗せて奏される変ニ音(Des)と変イ音(As)の5度音程のバス(譜例)と、イスラム王朝時代に建設された宮殿の起源を想起させるアラビア風の旋律という、スペインの郷土に強く関連した音楽の特徴を対比させることで示された。
【譜例:ハバネラのリズムによるバス、第5-10小節】
第4曲 〈妖精は良い踊り子〉
1912年のクリスマスに、友人ロベール・ゴデからドビュッシーの娘シュシュへ、ジェームス・マシュー・バリー(1860-1937)による『ケンジントン公園のピーター・パン』の美装本が贈られた。そこには、アーサー・ラッカムの挿絵が入っており、その中の1枚である、蜘蛛の糸の上で踊る妖精の絵からこの曲のアイデアは採られた。両手の反進行で作られるアルペッジョ・モチーフ(第1-5小節)と上声のトリルによるモチーフ(第6小節以降)による素早く軽快な妖精の舞いに対して、中間部では自由でダイナミックな舞いが展開される(第24-59小節)(譜例)。最後は再び軽快な舞いが戻り、その余韻を残して終わる。
【譜例】ダイナミックな中間部の開始部分、第24-27小節
第5曲 〈ヒースの茂る荒れ地〉
静かに、優しく表現豊かに。ヒースとは一般にイギリスやドイツなどのヨーロッパ北部にある荒野、あるいはそこに植生するツツジ科エリカ属の小低木を指すが、標題の正確な由来は判っていない。全体は6つのモチーフによって構成される[4]。右手の単旋律で始まる素朴なモチーフa(第1-5小節)は、両手の反進行によって緊張感の高まるモチーフb(第6-7小節)へ発展し、音高のピークとそこからの下降という運動が2回繰り返されるモチーフc(第8-14小節第2拍)、そして波打つような右手旋律によるモチーフd(第14第3拍-22小節)が続く。モチーフe(第23-28小節)は「柔らかく、軽く(doux et léger)」という楽想のもと静かに順次的に進行し、より活発で喜びに満ちた変ロ長調によるモチーフf(第29-32小節)へ至る。第33小節以降は、既出のモチーフが逆の順で登場する。第33-37小節ではモチーフe、第38-44小節(第2拍)ではモチーフd、第44(第3拍)-51小節では、モチーフaが用いられる形で曲の冒頭が回想されて静かに終わる。したがって楽曲全体は、第29-32小節のモチーフfを中心に、対称性を持った構造で作られている(見取り図)。
【見取り図】 [2]
第6曲 〈風変わりなラヴィーヌ将軍〉
標題は1910年と12年にパリのマリニー劇場で公演したアメリカのピエロ、エドワード・ラヴィーヌの名前をもじったものとされる。警笛のようなモチーフによる序奏に続いて、アメリカ由来の軽快な2拍子のダンス、「ケークウォーク」のモチーフが提示される(第11-16小節)(譜例)。この2つのモチーフは主要モチーフとして組み合わされて曲の展開に寄与する。中間部は、警笛モチーフが引き伸ばされて用いられ、ややゆったりした性格となるが(第46-69小節)、第70小節のケークウォークのモチーフの再現から小気味の良さが取り戻される。第94小節でケークウォークのモチーフが緩やかに提示されたのち、再び活気付いて、最後は警笛モチーフで力強く曲が締めくくられる。
【譜例:ケークウォークのモチーフ、第12-16小節】
第7曲 〈月の光がふりそそぐテラス〉
1912年12月の『ル・タン』紙に、ジャーナリストのルネ・ピュオ(1878-1937)が、イギリス王ジョージ5世のインド皇帝戴冠式の記事を寄せた。そのテクストの文言から着想を得たとされる。冒頭2小節のフランス民謡《月の光に》に基づく和音のモチーフと空から地上を照らし出す下降旋律による月の光は、付点リズムによる活気あるパッセージを経て(第10-12小節)、次第に音域を広げて光の強さを増していく。その強さは第28-31小節でピークを迎えたのち、かそけき光へと戻っていく。
【譜例:冒頭】
第8曲 〈オンディーヌ〉
1912年、ドビュッシーは娘シュシュとともに、パリで開催された挿絵画家アーサー・ラッカムの展覧会へ出かけ、ドイツの作家フリードリヒ・ド・ラ・モット・フーケ(1777-1843)の童話『ウンディーネ』の挿絵を見て着想を得た。水の精の気まぐれな動きは、異なる性格を持つ4つのモチーフによって表現される。10小節の序奏に続いて煌めきと優しさを持ったモチーフa(第11-13小節)が現れ、順次的に上下降するモチーフb(第16-17小節)、跳ね回るアルペッジョを伴ったアルト声部のモチーフc(第18-19小節)へと引き継がれる。楽曲の半ばからは、同音反復によるモチーフd(第30-31小節)が登場し、既出のモチーフb、cを挟み込みながら、発展していく。最後はモチーフaへと回帰し、水中に消え去る水の精を描写するように静かに閉じられる(見取り図)。
【見取り図】
第9曲 〈ピックウィック卿を讃えて〉
標題はイギリスのチャールズ・ディケンズ(1812-1870)の長編小説『ピックウィック・クラブ』に登場する主人公、サミュエル・ピックウィックから付けられた。ビジネスマンの彼はピックウィック・クラブを創設し、終身会長兼会員(P.P.M.P.C.)となった。冒頭はイギリス国歌《God Save the King(神よ国王を守り給え)》が引用されて、荘厳な雰囲気を湛える。しかし、これはパロディであり、「aimable(愛想のいい)」という楽想指示と増三和音に導かれて軽やかな付点リズムが顔を出し、主人公の陽気で人懐こいキャラクターの描写が前面に現れる。
【譜例:冒頭】
第10曲 〈カノープ〉
カノープとは、古代エジプトの都市名に由来するミイラの臓器を収める壺のことを指す。ドビュッシーは自身の机にその壺を飾っていたという。その標題からイメージされるように、この曲はpやppの指示を伴いながら常に穏やかで寂しげな雰囲気を保っている。全体は短い33小節ながら、3つのモチーフと2つの経過句によって構成される[5]。厳かな平行和音によるモチーフa(第1-6小節)は、平行和音で〈沈める寺〉(《前奏曲集》第1集第10曲)の中間部を思い起こさせる。一方、モチーフb(第7-10小節)はバスの保続音と半音階的な旋律によって、モチーフaとは異なるテクスチュアを見せる。モチーフc(第11-15小節)では、半音階的旋律にバスの平行和音が加わり、a、bモチーフが融合されていく。広い音域の中を和音が行き交う第1経過句(第16-19小節)に続いて、第20-23小節ではモチーフbが再登場する。そして、第2経過句(第24-25小節)ののち、第26-29小節ではモチーフaが再現され、第30-33小節ではモチーフcによってゆったりと楽曲が閉じられる(見取り図)。
【見取り図】 [3]
第11曲 〈交代する3度〉
ドビュッシーは、1913年1月7日のデュラン宛の手紙の中で、イギリスの作家キプリングによる『ジャングル・ブック』の一編、「象使いのトゥーマイ」から着想得た曲が仕上がらず、代わりの曲を用意する旨を告げた。その曲こそが〈交代する3度〉であると考えられている。序奏を経て、第11-14小節に主要モチーフが登場し、両手の交代で成す3度和音のトレモロのパッセージが続く。一方、中間部では3度和音の交代は保たれつつも、甘く優雅な趣となる(第91-115小節)(譜例)。一貫したパッセージ・ワークから多様な音色を引き出すことが要求されるという点において、1915年に書かれる《練習曲集》に通じる特徴を持っている。
【譜例:中間部の開始、第91-94小節】
第12曲 〈花火〉
7月14日の革命記念日(パリ祭)を描いたものである。ドビュッシーは1912年夏に、その花火を見たのかもしれない。粒の揃った急速な3連符パッセージの上方に、和音の花火が打ち上がり、その情景は徐々に近づいてくる(第1-18小節)。トレモロや上下降するスケールの合間を縫ってようやく主要モチーフが現れる(第27-30小節)。このモチーフは変奏されて、色とりどりの光が繰り出される(第35-40小節、第41-56小節)。中間部ではゆったりした、ルバートでゆらめく花火が描かれるが(第57-64小節)、第65小節からの主要モチーフの回帰によって、鋭い閃光が戻ってくる。そのモチーフは、さらに力強く増大されて、もっともクライマックスを迎え(第79-89小節)、はるか遠くから聞こえる国歌《ラ・マルセイエーズ》とともに音と光と色の祭典は締めくくられる(第90-98小節)(譜例)。
【譜例:第90-94小節】
[1] ジャン・バラケ 1969『ドビュッシー』、平島正郎訳、東京:白水社、121頁。
[2] 松橋麻利 2007『ドビュッシー』(「作曲家・人とシリーズ」)、東京:音楽之友社、189頁。
[3] 翻訳は以下を参照(松橋麻利 2007『ドビュッシー』(「作曲家・人とシリーズ」)、東京:音楽之友社、188頁)。
[4] Cf. Bourion, Sylveline. 2011. Le style de Claude Debussy : duplication, répétition et dualité dans les stratégies de composition, Paris: Vrin, pp. 432-436.
[5] Cf. Bourion, Sylveline. 2011. Le style de Claude Debussy : duplication, répétition et dualité dans les stratégies de composition, Paris: Vrin, pp. 437-440.
[2] この見取り図はBourionの以下の文献に基づいている(Bourion, Sylveline. 2011. Le style de Claude Debussy : duplication, répétition et dualité dans les stratégies de composition, Paris: Vrin, p. 436)。
[3] この見取り図はBourionの以下の文献に基づいている(Bourion, Sylveline. 2011. Le style de Claude Debussy : duplication, répétition et dualité dans les stratégies de composition, Paris: Vrin, p. 440)。