総説
《24の前奏曲》Op. 17は1907年にパルムグレンが29歳の時に書いた作品である。題名が示す通り、ショパンの《24の前奏曲》Op. 28をモデルとして作曲したと推察される。しかし直接的には自身がピアノの指導を受けたブゾーニの《24の前奏曲》Op. 37(1881年出版)に触発された可能性もある。ショパンのように調性順に曲集を構成する手法を取らず、表題付きの作品(13曲)と無題の作品(11曲)が混在する。
この曲集はオペラ《ダニエル・ヒョールト》の制作と並行して作曲された。パルムグレンは20代最後の年にこの作品を作曲する上で、かなり実験的な技法も試みている。民族ロマン主義の作品から、印象主義の萌芽の認められる作品、不協和音を連続して使用し、ピアノを打楽器的に扱う近代音楽の手法を試みる作品など書法は多岐に渡る。各曲は一つの技法に依って制作されている。和音の発想の豊かさが特徴として挙げられる。音域を低音域あるいは高音域にのみ偏向させる楽曲が初めて見られるようになる。そこには新たな書法を確立させようとするパルムグレンの意思が明確に伺える。
パルムグレンは、当時ロシアで活躍していた作曲家の中でラフマニノフを特に意識していたという定説(Korhonenなどの研究者の意見)が示す通り、ラフマニノフの作品に強い関心を示していた。従って、ラフマニノフが発表した《前奏曲集》Op. 23(1901〜1903)を知っていたものと推察されている。ラフマニノフが28歳から30歳にかけて《前奏曲集》を完成させていたことも、パルムグレン自身が29歳の間に前奏曲集の完成を望む動機となった。但し、出版社の経営事情により24曲全作品の出版が完了するのが1920年と、作曲年代とかなり隔たりがあり、《24の前奏曲》として認識されたのは後年であった。パルムグレンは1〜11番をフィンランドで作曲し、1907年に分冊で出版した。12〜24番をイタリアで作曲した。こちらは1913年、1915年、1920年と時期が分かれて出版された。
各曲の解説
1番 ホ短調 Andante
17小節のごく小規模な詩的作品。1907年6月フィンランドで出版された。物憂げな旋律が移ろい、左手と右手が和声を形成しながら推移する。単一動機の主題を反復して用いる。調性はフレーズ毎に転調して曖昧に進行し、12小節で主調に回帰し終結する。
2番 「民謡風に」 イ長調 Andante semplice
二部形式。冒頭が三声で書かれるのに対し、徐々に声部が増加して四声から六声で書かれる。パルムグレンが合唱曲で頻繁に用いた書法による。主旋律は簡素で親しみやすい民謡を素材としており、和音は合唱曲の作曲技法と同様に左右同一のリズムによって構成される。
3番 ホ長調 Allegretto con grazia
明るく軽快な民族舞曲の性格を明確に打ち出し、旋律線をはっきりと描き、高音域を多用することで生ずる「光」を感じさせるピアニスティックな手法を用いる。
4番 嬰ハ短調 Tempo di Valse (poco moderato)
四小節を一単位とし、付点二分音符の同一音を連打する旋律が反復して描写される。伴奏の和音が半音ずつ上行し、色彩感の微妙な濃淡を和音の推移で表現している。旋律(特に八分音符による表現)は、移ろうように内省的で不安気である。印象主義の手法に接する途上の作品であると考えられる。
5番 ト長調 Presto
調性を明確に打ち出した爽快感、疾走感溢れる楽曲。高音域を多用した煌めきのある作品である。A楽節ではみずみずしい旋律が流麗に歌われる。9小節からのB楽節では内声がリズムを変化させながら下降する。13−17小節のゼクヴェンツで切迫感をもたらす。26−31小節の経過句に於いて翳りのある描写を見せるものの、31小節以降の再現部で透明感のある表現に回帰する。
6番 「サラバンド」 ト短調 Andante cantabile
パルムグレンはサラバンド、ミュゼット、ポロネーズ、メヌエット、タランテラ、ポルスカと生涯に渡り舞曲を何作か書いている。Op . 17-6は舞曲の中でも初期に書かれた作品である。ポリフォニックな書法であり、静寂に旋律が流れる。A—B—A—coda、主題は哀愁を帯びている。非和声音を多用し、内声に半音階を使用して、曖昧な雰囲気を醸し出している。
7番 ニ長調 Un poco mosso
簡素で清澄な旋律が四声で淡々と流れて進行する。内声は裏拍で、提示部では2度、展開部の途中より部分的に3度を保持する。素朴な旋律は10小節より高音域に移り、再現部は中音域で静寂に終結する。
8番 ロ短調 Allegro feroce
不協和音が連続し、葛藤する内面を顕にするような激しさを持つ。属音を半音下げて用いる旋律に特徴を持つ。増4度、減5度の音程が随所に表れ、半音進行と共に不穏で張り詰めた雰囲気が浮かび上がる。
左右ユニゾンの旋律は低音域で開始し、徐々に上行する。19小節より右手がオクターブとなり、三声となった旋律と和音の掛け合いとなる。43小節からのオクターブの旋律は情熱的で狂気をはらむ。Prestoより和音の連打で転調を繰り返し、Prestissimoへと疾走する。
9番「子守歌」 嬰ト短調 Tranquillo
民謡をモチーフとして使用し、和音を連結させている。バスに嬰ト音がオルゲルプンクトとして使われている。和音は哀愁を帯びた旋律に絡まり淡々と推移していく。静寂でモノクロームな世界観を提示している。
10番「民謡風に」 変イ長調 Andante semplice
民族ロマン主義的作品であり、温和な民謡風の旋律がコラール風に多声で描かれる。11小節より変ニ長調に転調し、郷愁を感じさせる。17小節より主調に回帰し、21〜23小節のコーダで素朴な主題がオルガンでの演奏を想起させる重厚な和音を響かせる。
11番 「夢影」 ハ長調 Vibrato (non troppo presto)
16分音符のヴィブラートで往還し、揺らめきを示す。冒頭に全音階を使用して転調を繰り返し、3和音を転回形で連結させ、終結部で初めて主調であるハ長調のⅠ度の和音を用いる。とめどもなく幻影のように展開する。この曲には、印象主義の書法にアプローチして作風の変化を試みるパルムグレンの挑戦が表れている。
12番 「海」イ短調 Allegro feroce
12番以降は1907年の夏にイタリアで作曲されている。雄大で迫真的な楽曲の主題に全音階を使用している。アルペジオの連続で激しい内面の葛藤を吐露するように表現している。アルペジオは16部音符による三連符と32分音符を組み合わせて構成される。全音階の特徴である「調性の曖昧さ」「不安さ」が全体を支配し、主題のモティーフを反復させ、中音域、高音域、低音域と鍵盤を幅広く使用して表現している。
尚、パルムグレンはイタリアのペーザロへ到着する直前、右手中指を負傷したことから、この曲は右手中指を除いても演奏が可能であるように描かれている。また、左手のアルペジオが曲を支配するのは右手への負担を回避するためであったと考えられる。
13番 ロ長調 veloce
冒頭はニ短調で開始するが、ニ長調、嬰ニ短調、ロ長調、ホ長調、嬰へ長調、ロ長調とめまぐるしく転調する。帰着点を明確にしない旋律は、従来の「和音の推移による移ろい」に加えて「漂泊的な旋律」という手法を試みた実験的な作品であると断定する。
14番 ニ短調 Pesante
短前打音の付加されたオクターブを主体とする旋律が、マルカートで激しく描写される。伴奏は8度から10度の間で構成される豊かな和音の響きで決然と表される。荒々しい旋律が緊張感をもたらしている。旋律は低音域と高音域を往還している。和音の色彩感の豊潤さが際立っている。暗い情念を叩きつけるように和音が高揚する。
15番 「輪舞」 変ロ長調 Con grazia (Allegro)
舞踏的性格の強い曲である。A-B-Aの構成で、親しみやすい軽快な旋律が主題となっている。中間部から変ロ短調に転調し、バスがオスティナートで描写される。暗く神秘的な森林を放浪するような内省的なフレーズである。再現部で明るさを回復し、穏やかに終結する。
16番 へ長調 Andante con moto
主調はへ長調であるが、増3和音を数多く使用し調性を曖昧にしている。主題は和音もしくはオクターブで二度音程の間を上下行して揺らいでいる。和音はひたすら思い煩うように漂泊する。バスラインも調性を明確にしていない。17小節から外声はユニゾン、内声が裏拍の和音となる。37小節より不安を強調するようなアクセントを用いる。47小節から再現部となり、コーダに於いてバスを属音で連打した後、へ長調の主和音が初めて現れる。
17番 へ短調 Allegro agitato
4分の5拍子、和音をオクターブ間に配置して連打し、オスティナートで進行する。14番と同様ピアノを打楽器的に扱っており、近代的な和音による音楽を模索している。旋律は伴奏に反行し、暗い心情を吐露する。主題は低音域で、6小節から左右とも1オクターブ上の中音域で演奏され、徐々に高音域に移動する。ユニゾンによる上行で緊迫感を漲らせ、16小節で左右が逆転して反行する。終結部で再び右手に上行形の旋律が表れハ長調で締め括る。
18番 「デュエット」 嬰へ短調 Rubato
旋律がソプラノとバスを交互に往還して対話する。和音が中音域で三拍子のリズムを刻み続ける。13番同様旋律は漂泊し、浮遊感のあるものとなっている。
主調は嬰へ短調であるが、冒頭より15小節までハ長調、嬰ハ長調、ニ長調と転調し続け、曖昧な雰囲気で進行し続ける。非和声音を含む和音を多用し、41小節で頂点に達する。52小節からの再現部では旋律はバスで奏され放浪するように歌う。
19番 「鳥の歌」 嬰へ長調 Allegro giocoso
拍子記号、小節線を記譜から外し、旋律が自由に駆け巡る。変拍子的な手法で伸び伸びとした筆致で描かれている。16分音符で疾走して、和音で停止する。即興的と呼べる楽曲。
20番 「追悼曲」 変ホ短調 Lugubre
1899年に自死した父に対する追悼曲であると推察される。家業の没落に歯止めをかけられず、絶望して自死を選んだ父に対する思いを如実に反映するように、憂愁と苦悩に満ちた重々しい心理を描写している。
低音域を多用し、左手は重苦しくオクターブで順次上行する。暗鬱な旋律は和音で左手に寄り添う。途中よりユニゾンとなる。15小節で頂点となり、高音域から和音で重厚な雰囲気を保ったまま下降し沈静する。
21番 ハ短調 Un poco mosso
左手は(f-es-d-es, f-es-d-g)のオスティナートでバスラインを形成し、内声は三連符で絡む。右手はasとesが持続音となり淡々と進む。24小節でバスのリズムに変化を生ずる。27小節より右手で持続音がシンコペーションでリピートされる。簡素な書法であり、全体的に静かな動きで陽炎を想起させる。
22番 「民謡風に」 変ホ長調 Alla marcia
舞踏的な性格を持つ。明快な親しみやすい旋律で歌われる。民族舞踊のステップを踏むような歯切れのよいリズムで構成される。
23番 「ヴェネツィア」 変ロ短調 Malinconico
パルムグレンによる「ヴェネツィア」を題材とした作品、〈ヴェネツィアのゴンドラ漕ぎ〉Op. 64-a-1(1918)と比較すると相当暗鬱で悲愴感の漂う曲である。8分の9拍子、波の揺らぎを感じさせる和音の伴奏が進行し、幻想的な旋律を描写している。増四度、増五度音程で進行する旋律は、不安げに彷徨するかのようである。
24番 「戦い」 変ニ長調 Allegro marziale
ポロネーズのリズムでオクターブ間に配置した和音が推進力を以って響く。冒頭より16小節まで右手が伴奏でポロネーズのリズムを刻む。各フレーズの終わりで8度の重音をffzで激しく打ち鳴らす。18小節より変ト長調に転調する。左右が役割を交替し、旋律が高音域を支配する。28—32小節の経過句の後、33小節より再現部となる。勇壮で爆発的な和音を連打し、壮麗なfffzで終結する。この曲はショパンの「英雄ポロネーズ」を想起させるものの、当時ロシアの支配下にあったフィンランドの英雄と思われた青年、オイゲン・シャウマンに捧げたと推察される。勇壮的で喜び溢れるように和音を連打し、壮麗なfffzで終結する。