ムソルグスキー : 組曲「展覧会の絵」
1873年、急進的な建築家であり画家でもあったヴィクトル・ハルトマン(ロシア語発音では「ガルトマン」とも。1842〜1873)が若くして亡くなった。4年前に出会って以来、親友として付き合いのあったムソルグスキーは、この出来事に大きなショックを受けた。その翌年の一月、ペテルブルクの美術学校にて遺作展が開かれ、そこでハルトマンが残した数多くのスケッチや設計図、デザインを目にしたことが、この組曲の作曲動機となったと言われている。
後の研究によると、第2、4、7曲に相当するものが遺作展のカタログに見当たらず、さらに第1、3、8曲についても原画不明ということで、ムソルグスキーが組曲中の曲全てをハルトマンの遺作の忠実な印象として作曲したとは言いにくい。むしろ、ハルトマンの作品をはじめ、自分が見てきたあらゆる絵画作品にインスピレーションを受けて作られた曲だといえよう。
今日では、ラヴェルの管弦楽編曲版で演奏されることが多く、その風俗的描写や表現力の豊かさ、国民主義的な内容に焦点があてられがちである。しかし、19世紀ロシアの生んだ 独創的なピアノ音楽のひととして、注目すべき作品であることに間違いはない。
《プロムナード Promenade》
5/4拍子と6/4拍子が交替しながら、冒頭から素朴で力強い主題があらわれる。これはロシアの旋法によるもので、「ハルトマンの遺作展に足を運んだムソルグスキーの歩く様子」を表したものである。つまり、この《プロムナード》は形を変えながらこの後も曲間で挿入されるが、それはムソルグスキーが次の絵へと移動している様子を表現している。管弦楽版では、各々の《プロムナード》が異なる楽器で奏されていくという点も、興味深い。
第1曲《小人 Gnomus》
《プロムナード》の後に休みなく続けて奏される。グノムスとはロシアのおとぎ話に登場する小人の妖怪で、奇妙な格好で動き回りながら、地の底の宝を守っているという。この悪賢くいたずらっぽい小人は当時のロシア人たちに親しまれていた。ムソルグスキーの「グノムス」からはややグロテスクな印象を受ける。奇妙な足取りで歩き回る姿、地底のどこか陰鬱な雰囲気を描き出すような動機ではじまり、やがて重々しい音色となって彼らの痛ましい感情を描写しているかのようである。
第2曲《古城 Il vecchio castello》
冒頭のものより幾分やさしげな《プロムナード》を挟んでから、場面は中世の幻想へと変わる。題名の通り「古城」の前で、吟遊詩人がリュートを奏でながら歌っているのだろう。初めから終わりまで、左手が奏す哀愁ただよう音型はリュートの音色そのものである。管弦楽版ではこの左手部分はファゴット、右手の甘美な旋律はアルトサックスで演奏されている。
第3曲《テュイルリー, 遊んだあとの子供のけんか Tuilleries - Dispute d'enfants apres jeux》
テュイルリーとは、パリの中心にある公園の名である。今日でも、遊びまわる子ども達やその親たちの憩いの場として、親しまれている。この作品は重厚な《プロムナード》の後に、そんなテュイルリー公園で遊び疲れた子ども達の公論を描写している。冒頭のめまぐるしい動機は、子ども達ががやがやと言い合うさまを表しており、中間部でほんの少しだけ、表情の落ち着いた動機(14小節)があらわれるものの、またすぐに騒然とした場面に切り替わってしまう。子どもらしい描写が楽しい作品である。
第4曲《ブイドロ Bydlo》
ポーランド語で「牛の集団」を意味するブイドロであるが、終始重々しく、暗い曲調で統一されたこの曲をきけば、これが単なる「牛の集団」の描写でないことに気付くかもしれない。この言葉には「家畜のように虐げられた(ポーランドの)人々」という意味がある。この曲は「虐げられた人々」への同情と、人々の暗く激しい感情の表出なのかもしれない。しかし、この作品がそのようなものとして発表されることは、当時のロシアではタブーであった。実際、ムソルグスキー自筆の楽譜には、最初につけた題名をナイフで削り取り、書き直した痕があった。その意味をスタソフ(1824-1906 高名な芸術評論家)に問われた時、彼は「ここは『牛車』ということにしておこう」と答えたという。
第5曲《卵の殻をつけたひなどりのバレエ Ballet de poussins dans leurs coques》
第4曲の悲しげな余韻を受け継いだプロムナード、その終結部にはこの作品の動機である「ひなどり」の鳴き声が予感のように奏され、この作品に続く。今日、この組曲中で最も親しまれ演奏される機会の多い作品である。この作品の原画は、バレエ《トリルビ》の衣装デザイン画であるとはっきりしており、音楽もきわめて描写的なものになっている。冒頭での主題はひなどりの鳴き声と小刻みな動きが表現されており、後半のトリオ部分では、バレエ音楽のようなユーモラスな響きとなっている。
第6曲《ザムエル・ゴルデンベルクとシュムイレ Samuel Goldenberg und Schmuyle》
「ふたりのユダヤ人~太った男と痩せた男」という副題がついているとおり、裕福で傲慢な男ゴルデンベルクと、貧しく卑屈な男シュムイレの会話を描写した作品である。ユダヤ人の典型的な名前をもった二人と、この曲のみドイツ語表記となっているところが興味深い。
まず、威張りぶったような冒頭の主題は、ゴルデンベルクであろう。その後9小節目から、細かい音符でぺちゃくちゃと喋り出すのが、シュムイレである。やがて低音に威圧的なゴルデンベルクの声(15小節目〜)が鳴り響き、シュムイレを圧倒してしまう様子が描かれている。
第7曲《リモージュの市場 Limoges, le marche》
冒頭と同じテンポの《プロムナード》(編曲版では省略されることもある)に続いて、アタッカで始められる。この曲に相当する絵はないが、市場に集まった女性達の会話や、行き交う人々の様子を描写した曲であると解釈出来る。休みなしに動く十六分音符のリズムが特徴的であるが、管弦楽版ではそのめまぐるしく楽器を入れ替えてその動機を演奏させることで、せわしなさを表現している。
第8曲《カタコンブ-ローマ時代の墓 Catacombae - Sepulcrum romanum》
カタコンベとは、ローマ時代に弾圧されたキリスト教徒の地下の墓場のことである。ハルトマン自身が灯をともしながらその中を調べている様を描いた絵によったと考えられているが、その絵が実存したかどうかは不明である。しかし、第4曲にも通じるような重々しい和音の連続には、どこか不気味で時に怒りさえ描写されているように感じる。強弱の変化が幅広く、30小節の短い曲でありながら、印象深い余韻を残している。
これに続くのが、「死せる言葉を以て死者と共に」と題された部分である。《プロムナード》の変形であるが、《カタコンベ》の余韻から逃れがたい気持ちが表現されているのだろう。重苦しい 気分の和声から、右手のトレモロを響かせつつ次第に明るい和声へと展開していくところが印象的である。
第9曲《鶏の足の上に建っている小屋 La cabane sur des pattes de poule》
一見奇妙な題名だが、原画は時計のデザイン画で、グロテスクな鶏の二本足が台をふまえていて、その上にバーバ・ヤガーの小屋が建っているというものだ。バーバー・ガヤーもまたロシアのおとぎ話に登場する魔女のことで、ムソルグスキーはこの魔女についても空想を膨らませているようだ。
冒頭、音楽はたたきつけるような鋭い動機ではじまる。やがてその力は持続的に大きくなり、和音の連打による激しい主題となる。怪しげな時計が時を刻んでいるようにも思われるが、魔女という不気味な存在も、この曲全体のテーマとして独特な世界観を作り上げている。
第10曲《キエフの大きな門 La grande porte de Kiev》
第9曲から休みなく続けられるこの曲は、キエフに建造されることとなった大門の設計図にインスピレーションを得たと言われている。《プロムナード》にも通じるどっしりとしたこの組曲の主題にはじまり、大きく盛り上がってゆく。すると突然、31小節目からは静かなコラール風の音楽が流れる。これは、親しかった友人ハルトマンと、その才能への賛美の歌なのかもしれない。冒頭の主題とこのコラール風の主題は壮大な変奏を繰り返しながら折り重なっていき、最後にもう一度、冒頭の主題がこれまでにないエネルギーを放出させるかのようなコーダ部分となって、組曲の大きな幕を閉じる。