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ショパン : スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 Op.39

Chopin, Frederic : Scherzo no.3 cis-moll Op.39

作品概要

楽曲ID:468
作曲年:1839年 
出版年:1840年
初出版社:Breitkopf und Härtel
献呈先:Adolpho Gutmann
楽器編成:ピアノ独奏曲 
ジャンル:スケルツォ
総演奏時間:8分00秒
著作権:パブリック・ドメイン
ピティナ・コンペ課題曲2025:F級

ピティナ・ピアノステップ

23ステップ:発展1 発展2 発展3 発展4 発展5 展開1 展開2 展開3

楽譜情報:6件

解説 (3)

執筆者 : 大嶋 かず路 (2833 文字)

更新日:2022年3月3日
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フレデリック・ショパン(1810-1849)はスケルツォと題する単独の作品を生涯において4曲書き残した。《スケルツォ 第1番》ロ短調作品20《スケルツォ 第2番》変ロ短調作品31《スケルツォ 第3番》嬰ハ短調作品39《スケルツォ 第4番》ホ長調作品54である。

スケルツォ(Scherzo:諧謔曲)は冗談、ユーモアなどを意味するイタリア語を語源とする。音楽史においては、1780年代以降、交響曲や室内楽曲など、多楽章形式の楽曲の中間楽章に用いられるようになった。

スケルツォの音楽的な特徴は4分の3拍子や軽快なテンポなど、従来中間楽章に頻繁に挿入されたメヌエットの特徴を踏襲することが挙げられる。多くの場合A-B-Aの3部形式もしくは複合3部形式で書かれ、中間部のトリオには前後の楽想と対照的な旋律が用いられる。こうした伝統に倣って、ショパンもまた《ピアノ・ソナタ 第2番》作品35《ピアノ・ソナタ 第3番》作品58《ピアノ三重奏曲》作品8などにスケルツォを挿入した。

これらに加えて、ショパンはスケルツォを単独の作品として完成させることを試み、ピアノ音楽の歴史に新たな境地を切り開いた。言うなれば、スケルツォはショパンによって一個のピアノ作品として構想され、芸術作品として完成した音楽ジャンルの一つであるといっていい。

4つのスケルツォは、速いテンポと4分の3拍子、3部形式などを基本構造としているが、形式はより複雑であり、ソナタ形式に近いものもある。感情的、情緒的な表現や、高度な技巧を要求することもまた、主たる特徴の一つである。

ショパンはこれらスケルツォの具体的な意味や理念について、明確に述べてはいない。しかし、そのタイトルと「陰と陽」の明確な楽曲の構成に、19世紀当時の文学的、芸術的な傾向とのつながりが垣間見られる。

18世紀末期、ヨーロッパでは絶対主義に基づく従来の体制への不満が高揚し、「自由」への覚醒が起こった。表現の場においても革新的な活動が盛んとなり、文学の場では愛や理想、失望、幻滅などの感情を自由に、露骨に表現した作品が書かれるようになった。ユーモアや諧謔を定義づける試みもまた、このような中で行われた。

ユーモアの意味については、ヨーロッパ各国の文学者らが様々な見解を述べている。例えば、ドイツの作家ジャン・パウル(1763-1825)は次のように述べる。

「ユーモアにとっては、個々の愚かさとか、一人びとりの愚人といったものは存在せず、愚かさ及び愚かな一世界が存在するのみである。(……)人間が、この世ならぬ世界からこの世をながめおろせば、この世は、みみっちく、あだにうごめいている。ユーモアがやるように、小さなこの世を尺度にして、無限の世界を測り、それと小さな世界とを結びつければ、笑いが生じ、この笑いのうちには、やはりある苦痛と、ある偉大さとが存在している」

相反する二つの感情もしくは二つの次元の狭間で泣き笑いする人間は、ロマン主義時代の諧謔の主要なテーマの一つである。それは、神の示した美の世界を傍らに、欲にまみれた現実世界から抜け出すことのできない人間に対する強烈な皮肉でさえある。

これらの言葉は、ショパンのスケルツォを理解する上で、大きなヒントとなるだろう。ショパンが誰よりも深く文学者たちの思索した諧謔の理念を理解していたことは、4つのスケルツォが証明している。

《スケルツォ 第3番》嬰ハ短調は1838年にマジョルカ島で作曲され、1839年に出版された。出版に際し、ショパンはこの作品を愛弟子のアドルフ・グートマン(1819-1882)に献呈した。同時期に作曲された作品として、《前奏曲集》作品28、《ピアノ・ソナタ 第2番》作品35、《バラード 第2番》作品38《マズルカ》作品41などが挙げられる。

バルデモサの修道院の神聖な空間で作曲されたこの作品には、整然とした美と奇妙な歪、神秘的な宗教性と狂気にも近い激情とが混在している。

プレスト・コン・フォーコ。先の2つのスケルツォ同様、序奏に先行されて、第1主題が呈示される。24節に及ぶ序奏は陰鬱な影を帯び、移り気な転調を繰り返す。四分の三拍子の中に嵌め込まれた4つの音が、不気味な物語の始まりを告げる。力強いオクターブから弾きだされる第1主題は、エネルギッシュな躍動感に満ちている。ユニゾンで反復される烈しい下行音型はやがて伴奏に転じ、右手が緩やかに上行する旋律を奏する。

第2主題はmeno mossoと指示がなされ、緊張感に満ちた楽想は一転して穏やかなものとなる。ここでは、変二長調のコラール風の静かな旋律とそれに応答するきらびやかな分散和音が神秘的な世界を作り出す。細かな宝石をちりばめたような音は天上の美を彷彿とさせる。ライヒテントリットはこの分散和音を「千の繊細な声を思わせる妖精の妖麗な呪文」と表現している。

第1主題の繰り広げる荒々しい世界と、それに相対する神々しい第2主題——この相反する世界観の完全な表出はショパンがスケルツォにおいて試みたものであり、そのコントラストこそショパンならではの諧謔として見ることも可能だ。

この第2主題は異なる調で3度繰り返される。再現部では第1主題に引き続き第2主題が唐突に再現される。ホ長調の美しい第2主題はここではホ短調へと転調する。鬱々とした影が色濃くなる中、コラールの主題が嬰ハ長調で奏せられ、穏やかに上行しながら楽曲を美の極致に導く。この至福の瞬間は長続きせず、崩れるような下行音型によってコーダに導かれる。鍵盤を駆け巡る嵐のようなパッセージに続き、嬰ハ長調の重厚な和音が神々しい音響を響かせ幕を閉じる。

参考文献(※本文中の引用はすべてこれらの文献に基づく。)

・ショパン スケルツォ集: New Edition 解説付(大嶋かず路 解説)、東京:音楽之友社、2015年。

・Huneker, James, Chopin: The Man and His Music, New York: Dover Publications, 1966.

・Leichtentritt, Hugo, Frédéric Chopin, Berlin: Harmonie, 1905.

・Tomaszewski, Mieczysław, Chopin: Człowiek, Dzieło, Rezonans, Kraków: Polskie Wydawnictwo Muzyczne, 2005.

・Willeby, Charles, Frederic François Chopin, London: Sampson low, Marston & Company, 1892.

・The 18th Chopin Piano Competition/Compositions https://chopin2020.pl/en/compositions

執筆者: 大嶋 かず路

執筆者 : 朝山 奈津子 (2732 文字)

更新日:2008年7月1日
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ショパンがピアノ曲に用いたスタイルを観察する方法は幾通りもあるが、抒情的なものと物語的なもの、という分類がひとつ可能だろう。前者の代表は《ノクターン》、《マズルカ》であり、後者の典型が《バラード》と《スケルツォ》である。

抒情的な構成において各フレーズや音型は羅列的で、その連結がきわめて緩やかであるのに対し、物語的な構成では、1曲の中にいわば起承転結を感じることができる。なぜ明確なドラマ性が生じるかといえば、まず、和声の進行が明解で、とりわけドミナント-トニック(転から結へ進む部分)の定型がよく守られるからである。また、各動機は変奏や転回、反復、拡張などの手法を用いて発展することもあり、ヴィーン古典派のソナタのような労作はなされなくとも、複数の主題が複雑に組み合わされて曲が作られている。

つまり、《バラード》、《スケルツォ》、《舟歌》、《ボレロ》など物語的構成を持つ作品では、ダイナミックでドラマティックな、始まりから終わりへ必然をもって突き進むような音楽的時間が生み出されるのであり、こうした要素が鑑賞上のポイントとなっている。(蛇足ながら、抒情的な作品では、わずかずつ変容しながらも留まり続け、戻りも進みもそれほど明確でない、いわば音楽的空間の中に、鑑賞者の耳を遊ばせることになる。)

さて、では、各4曲が残されている《バラード》および《スケルツォ》の違いはどこにあるのか。

これらがジャンルとしてショパンの創作の中で隣接していることは、音楽を見れば何より明らかである。しかも、両ジャンルを形式から明確に区別することはほとんどできないように思われる。ひとつには、これがショパンに固有のジャンルであるからで、それぞれが由来すると思われるジャンルの伝統を調べても、両者を結びつけるものは出てこない。しかし、音楽の外形からは区別できなくとも、それぞれの音楽内容、いわば物語の内容はやや異なっている。

《スケルツォ》はイタリア語で「冗談」を意味し、従来は簡明な形式で明るく軽く小規模な曲を指した。ベートーヴェンがメヌエットに代えてソナタの第3楽章に取り入れた時も、やはり極めて急速でユーモアに富んだ性格が与えられた。ショパンの《スケルツォ》は、一見するとこうした伝統にまったく反し、暗く深刻なうえに大規模である。だが、《バラード》と比べてみると、《スケルツォ》がいかにユーモアを内包しているかがよく判る。4つの《スケルツォ》にはいずれも、きわめて急速でレッジェーロな動機がひとつならず登場し、随所で「合いの手」を入れている。また、各部で激烈なまでの音量のコントラストが指定されている。

こうした手法が《バラード》にはほとんどない。各動機、各音は前後のしがらみに囚われており、逸脱を許されない。沈鬱な主題が次々と現われ、それらは鬱積して怒濤をなし、ついには破滅的な終末を迎える。《スケルツォ》が軽妙な音型や滑稽なまでのコントラストでこの種のストレスを解消するのとは、対照的である。

なお、《バラード》4曲はすべて複合2拍子、《スケルツォ》は3拍子で書かれており、これが唯一の外形的な特徴といえなくもない。が、《スケルツォ》は全篇を通じてほとんどが2小節で1楽句を作るため、やはり2拍子の強烈な推進力を内包している。

《スケルツォ》は第4番を除いてA-B-Aの形式をとる。これはハイドンやベートーヴェンが用いたメヌエット楽章の代替としてのスケルツォを踏襲している。しかし、A部分には2つの対照的な主題が現わること、A部分の後半は前半部分のほぼ完全な反復となっていることから、ソナタ形式を志向することが見て取れる。さらに、ストレッタを含む華々しいコーダが曲の規模をさらに増し、格調を高めている。

このようにみると、ショパンの《スケルツォ》は、ベートーヴェンが完成させたピアノ・ソナタの第3楽章の格式を継ぎ、これを敷衍したものと考えることもできる。一方、自身の《ピアノ・ソナタ》第2番および第3番においてはヴィーン古典派の伝統から一歩を踏み出し、スケルツォを第2楽章に置いた。特に第2番Op.35では、複数主題を持つ規模の大きなスケルツォが用いられている。ショパンはおそらく、キャラクターピースとして《スケルツォ》を書き、そのように命名したのではない。むしろ、彼自身のソナタへの布石だったのである。

もっとも第3番は、前奏とコーダ、また2つの対照的な主題を持つことは自明であるが、どのようなセクション構造を見出すかについて様々な可能性がある。まず一見して、A-B-A-B-Codaという2部形式を考えることができる。

しかし実際には、2つめの主題がいわゆるソナタ形式提示部の第2主題のような印象をあたえる。というのも、第1の主題から第2の主題への移行は、きっぱりとした終止定型を作らない。第1の主題が130小節程度と短く、対して第2の主題は内部で更に3つと結尾部に分けられるほどに長いからである。従って、ソナタ・アレグロ形式のような(A-B)-B'-(A-B)ーCodaとみるならば、展開部は第236小節以降となる。ここから次々と調が変わり、第327小節からは提示部に戻るためのブリッジのように、最初の主題が顔を出し、テンポアップしていく。

とはいえ、このような図式に無理が感じられるとすれば、それはこの曲の基本的な構想がもっぱら「コントラスト」にあるからだろう。ごく小さなレベルでは、最初の主題の中でも音量の対照が効果的に用いられている。また、2番目の主題は低音からゆっくりと上行する動機と、最高音域から急速に下行する動機を組み合わせて作られている。また、大きなレベルでは、2つの主題はあらゆる点で対照的であり、また調も、第155小節以降が変ニ長調(即ち嬰ハ長調の異名同音長調)、2回目の登場となる第448小節からはホ長調(平行調)と、関連の深い近親長調が選ばれている。

このようにみると、A-B-A+B+Coda、という図式が最も自然であるように思われる。つまり、いわゆる2回目のB部分(第448小節以降)は、A-B-Aの基本的な図式とCodaを結ぶとき、Codaをいっそう引き立たせるために取り入れられた。ここでは、スケルツォの原形であるメヌエットとトリオにおけるコントラストの原理が生きている。それは、反復と確保を旨とする2部形式ではなく、また闘争と克服を命題とするソナタ形式ともやや異なっている。そして、他の3曲をみても判る通り、「コントラスト」こそがショパンのスケルツォにおける基本原理なのである。こうした意味で、第3番はきわめて典型的なショパンの《スケルツォ》であるといえよう。

執筆者: 朝山 奈津子

演奏のヒント : 大井 和郎 (1769 文字)

更新日:2018年3月12日
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技術的には2番や4番よりは楽とは言え、油断ならないスケルッツオです。このスケルッツオは4曲中、最も固く聞こえてしまいがちなスケルッツオでもあります。では冒頭から見ていきましょう。  1-7小節間、これらの4連符や、和音など、メトロノームのように演奏するとこの冒頭は台無しになります。この冒頭も、2番の冒頭と同じく、はっきりとした音質を使わず、風の様にぼやけた音をイメージさせる音質を使います。そして、7小節目の和音がゴールとなります。そこに向かうまでの課程が重要です。  この8小節間、極端にagitatoでもないのですが、in tempoでもありません。失敗例としては、休符を十分に取らずに先走ってしまうことや、逆にメトロノームに近い演奏になってしまうことです。7小節目がゴールとして導かれるのですが、7小節目に近づくに従って緊張感を増していきます。音量も増していきます。1-2小節間は1つのモーションで、一気に弾くようにします。3-4小節間も同じです。学習者は、多くの音源や動画を参考にし、自然な流れを作ってください。  これらのフレーズは当然ですが、1-8小節間よりも9-16、9-16よりも17-20が大きくなり、よりテンションが高まるようにし、そしてようやく25小節目の主和音に到達します。  25小節目に到達したら、25-26とフォルテシモの和音になりますが、そのあとすぐに音量を下げ、31小節目のGisに向かうようにします。その際、クレシェンドをかけ、27-30に書かれてある4分音符が2つとして同じ音量にならないようにしてください。堅さの原因となります。ルバートもかけて、タイミングがメトロノームのようにはならないようにしてください。  奏者が陥る技術の問題が39-41小節間のオクターブです。あらゆるコンビネーションを考え、部分練習をしますが、問題は40小節目の2拍目から3拍目に飛ぶ、Fis-Eが離れているので、ここが外れやすくなります。FisからE、今度は逆にEからFIs、行ったり来たりしながらこの7度に慣れます。慣れてきたら39小節目の2拍目から弾いて、40のEで止めます(決して41には行きません)。40のEが多の音に触れること無く綺麗に当たったら、しばらく2-3秒指をその場に置いてください。場所を覚えさせるためです。  57小節目はpから始まりますが、104-105という遠いゴールを目指します。その間、クレシェンドをかけていきますが、75小節目で1度音量を落とします。そして再びクレシェンドをかけていきます。音量を落としたとき、テンションまで落ちないように、緊張感を保ってください。  155小節目からのBセクションは、テンポを1つにすることが重要です。つまり、159小節目よりはじまる8分音符でテンポを変えないことです。そしてこの8分音符は2拍目から始まります。多くの奏者はここで時間を取り過ぎてしまい、拍が分からなくなってしまいます。159小節目の1拍目から2拍目は確かに距離が離れているのですが、ルバート等を利用して、必ず2拍目から8分音符を弾き始めるようにします。そのためには、155-158小節間をあまり速く弾きすぎないことが大事です。  192-196小節間、この4つのDesは、①同じタイミングで演奏しない ②同じ音量で演奏しないことを守ります。ゴールは4つめのDesで、これを目指して進んでいくと良いでしょう。  245小節目から拍を失いがちで、このセクションが速くなってしまいます。原因はメロディーラインが1拍目の裏拍に登場するからです。1拍目の表拍を感じながら練習すると良いでしょう。以下同様です。  筆者は現在ヘンレー版を見ていますが、541-544小節間、ペダルは1本で踏みっぱなしの指示が書いてあります。個人的にはそれで良いと思います。少しぼやけた感じが欲しいので多少の濁りは気にしないで進みます。以下同様です。  コーダの部分(573小節目以降)は、テンションが最も高まるところです。597-605小節間、テンションを失わないようにしてください。  最後の小節にはフェルマータが書いてありますが、音自体が長めに伸びれば良いので、筆者個人的には腕を上に上げて華やかに終わります。

執筆者: 大井 和郎

参考動画&オーディション入選(3件)

ミハウ・ソブコヴィアク
鈴木 隆太郎
下川 知穂(入選)