フレデリック・ショパン(1810-1849)はスケルツォと題する単独の作品を生涯において4曲書き残した。《スケルツォ 第1番》ロ短調作品20、《スケルツォ 第2番》変ロ短調作品31、《スケルツォ 第3番》嬰ハ短調作品39、《スケルツォ 第4番》ホ長調作品54である。
スケルツォ(Scherzo:諧謔曲)は冗談、ユーモアなどを意味するイタリア語を語源とする。音楽史においては、1780年代以降、交響曲や室内楽曲など、多楽章形式の楽曲の中間楽章に用いられるようになった。
スケルツォの音楽的な特徴は4分の3拍子や軽快なテンポなど、従来中間楽章に頻繁に挿入されたメヌエットの特徴を踏襲することが挙げられる。多くの場合A-B-Aの3部形式もしくは複合3部形式で書かれ、中間部のトリオには前後の楽想と対照的な旋律が用いられる。こうした伝統に倣って、ショパンもまた《ピアノ・ソナタ 第2番》作品35、《ピアノ・ソナタ 第3番》作品58、《ピアノ三重奏曲》作品8などにスケルツォを挿入した。
これらに加えて、ショパンはスケルツォを単独の作品として完成させることを試み、ピアノ音楽の歴史に新たな境地を切り開いた。言うなれば、スケルツォはショパンによって一個のピアノ作品として構想され、芸術作品として完成した音楽ジャンルの一つであるといっていい。
4つのスケルツォは、速いテンポと4分の3拍子、3部形式などを基本構造としているが、形式はより複雑であり、ソナタ形式に近いものもある。感情的、情緒的な表現や、高度な技巧を要求することもまた、主たる特徴の一つである。
ショパンはこれらスケルツォの具体的な意味や理念について、明確に述べてはいない。しかし、そのタイトルと「陰と陽」の明確な楽曲の構成に、19世紀当時の文学的、芸術的な傾向とのつながりが垣間見られる。
18世紀末期、ヨーロッパでは絶対主義に基づく従来の体制への不満が高揚し、「自由」への覚醒が起こった。表現の場においても革新的な活動が盛んとなり、文学の場では愛や理想、失望、幻滅などの感情を自由に、露骨に表現した作品が書かれるようになった。ユーモアや諧謔を定義づける試みもまた、このような中で行われた。
ユーモアの意味については、ヨーロッパ各国の文学者らが様々な見解を述べている。例えば、ドイツの作家ジャン・パウル(1763-1825)は次のように述べる。
「ユーモアにとっては、個々の愚かさとか、一人びとりの愚人といったものは存在せず、愚かさ及び愚かな一世界が存在するのみである。(……)人間が、この世ならぬ世界からこの世をながめおろせば、この世は、みみっちく、あだにうごめいている。ユーモアがやるように、小さなこの世を尺度にして、無限の世界を測り、それと小さな世界とを結びつければ、笑いが生じ、この笑いのうちには、やはりある苦痛と、ある偉大さとが存在している」
相反する二つの感情もしくは二つの次元の狭間で泣き笑いする人間は、ロマン主義時代の諧謔の主要なテーマの一つである。それは、神の示した美の世界を傍らに、欲にまみれた現実世界から抜け出すことのできない人間に対する強烈な皮肉でさえある。
これらの言葉は、ショパンのスケルツォを理解する上で、大きなヒントとなるだろう。ショパンが誰よりも深く文学者たちの思索した諧謔の理念を理解していたことは、4つのスケルツォが証明している。
《スケルツォ 第3番》嬰ハ短調は1838年にマジョルカ島で作曲され、1839年に出版された。出版に際し、ショパンはこの作品を愛弟子のアドルフ・グートマン(1819-1882)に献呈した。同時期に作曲された作品として、《前奏曲集》作品28、《ピアノ・ソナタ 第2番》作品35、《バラード 第2番》作品38、《マズルカ》作品41などが挙げられる。
バルデモサの修道院の神聖な空間で作曲されたこの作品には、整然とした美と奇妙な歪、神秘的な宗教性と狂気にも近い激情とが混在している。
プレスト・コン・フォーコ。先の2つのスケルツォ同様、序奏に先行されて、第1主題が呈示される。24節に及ぶ序奏は陰鬱な影を帯び、移り気な転調を繰り返す。四分の三拍子の中に嵌め込まれた4つの音が、不気味な物語の始まりを告げる。力強いオクターブから弾きだされる第1主題は、エネルギッシュな躍動感に満ちている。ユニゾンで反復される烈しい下行音型はやがて伴奏に転じ、右手が緩やかに上行する旋律を奏する。
第2主題はmeno mossoと指示がなされ、緊張感に満ちた楽想は一転して穏やかなものとなる。ここでは、変二長調のコラール風の静かな旋律とそれに応答するきらびやかな分散和音が神秘的な世界を作り出す。細かな宝石をちりばめたような音は天上の美を彷彿とさせる。ライヒテントリットはこの分散和音を「千の繊細な声を思わせる妖精の妖麗な呪文」と表現している。
第1主題の繰り広げる荒々しい世界と、それに相対する神々しい第2主題——この相反する世界観の完全な表出はショパンがスケルツォにおいて試みたものであり、そのコントラストこそショパンならではの諧謔として見ることも可能だ。
この第2主題は異なる調で3度繰り返される。再現部では第1主題に引き続き第2主題が唐突に再現される。ホ長調の美しい第2主題はここではホ短調へと転調する。鬱々とした影が色濃くなる中、コラールの主題が嬰ハ長調で奏せられ、穏やかに上行しながら楽曲を美の極致に導く。この至福の瞬間は長続きせず、崩れるような下行音型によってコーダに導かれる。鍵盤を駆け巡る嵐のようなパッセージに続き、嬰ハ長調の重厚な和音が神々しい音響を響かせ幕を閉じる。
参考文献(※本文中の引用はすべてこれらの文献に基づく。)
・ショパン スケルツォ集: New Edition 解説付(大嶋かず路 解説)、東京:音楽之友社、2015年。
・Huneker, James, Chopin: The Man and His Music, New York: Dover Publications, 1966.
・Leichtentritt, Hugo, Frédéric Chopin, Berlin: Harmonie, 1905.
・Tomaszewski, Mieczysław, Chopin: Człowiek, Dzieło, Rezonans, Kraków: Polskie Wydawnictwo Muzyczne, 2005.
・Willeby, Charles, Frederic François Chopin, London: Sampson low, Marston & Company, 1892.
・The 18th Chopin Piano Competition/Compositions https://chopin2020.pl/en/compositions