作品概要
解説 (3)
解説 : 大嶋 かず路
(2974 文字)
更新日:2022年3月3日
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解説 : 大嶋 かず路 (2974 文字)
フレデリック・ショパン(1810-1849)はスケルツォと題する単独の作品を生涯において4曲書き残した。《スケルツォ 第1番》ロ短調作品20、《スケルツォ 第2番》変ロ短調作品31、《スケルツォ 第3番》嬰ハ短調作品39、《スケルツォ 第4番》ホ長調作品54である。
スケルツォ(Scherzo:諧謔曲)は冗談、ユーモアなどを意味するイタリア語を語源とする。音楽史においては、1780年代以降、交響曲や室内楽曲など、多楽章形式の楽曲の中間楽章に用いられるようになった。
スケルツォの音楽的な特徴は4分の3拍子や軽快なテンポなど、従来中間楽章に頻繁に挿入されたメヌエットの特徴を踏襲することが挙げられる。多くの場合A-B-Aの3部形式もしくは複合3部形式で書かれ、中間部のトリオには前後の楽想と対照的な旋律が用いられる。こうした伝統に倣って、ショパンもまた《ピアノ・ソナタ 第2番》作品35、《ピアノ・ソナタ 第3番》作品58、《ピアノ三重奏曲》作品8などにスケルツォを挿入した。
これらに加えて、ショパンはスケルツォを単独の作品として完成させることを試み、ピアノ音楽の歴史に新たな境地を切り開いた。言うなれば、スケルツォはショパンによって一個のピアノ作品として構想され、芸術作品として完成した音楽ジャンルの一つであるといっていい。
4つのスケルツォは、速いテンポと4分の3拍子、3部形式などを基本構造としているが、形式はより複雑であり、ソナタ形式に近いものもある。感情的、情緒的な表現や、高度な技巧を要求することもまた、主たる特徴の一つである。
ショパンはこれらスケルツォの具体的な意味や理念について、明確に述べてはいない。しかし、そのタイトルと「陰と陽」の明確な楽曲の構成に、19世紀当時の文学的、芸術的な傾向とのつながりが垣間見られる。
18世紀末期、ヨーロッパでは絶対主義に基づく従来の体制への不満が高揚し、「自由」への覚醒が起こった。表現の場においても革新的な活動が盛んとなり、文学の場では愛や理想、失望、幻滅などの感情を自由に、露骨に表現した作品が書かれるようになった。ユーモアや諧謔を定義づける試みもまた、このような中で行われた。
ユーモアの意味については、ヨーロッパ各国の文学者らが様々な見解を述べている。例えば、ドイツの作家ジャン・パウル(1763-1825)は次のように述べる。
「ユーモアにとっては、個々の愚かさとか、一人びとりの愚人といったものは存在せず、愚かさ及び愚かな一世界が存在するのみである。(……)人間が、この世ならぬ世界からこの世をながめおろせば、この世は、みみっちく、あだにうごめいている。ユーモアがやるように、小さなこの世を尺度にして、無限の世界を測り、それと小さな世界とを結びつければ、笑いが生じ、この笑いのうちには、やはりある苦痛と、ある偉大さとが存在している」
相反する二つの感情もしくは二つの次元の狭間で泣き笑いする人間は、ロマン主義時代の諧謔の主要なテーマの一つである。それは、神の示した美の世界を傍らに、欲にまみれた現実世界から抜け出すことのできない人間に対する強烈な皮肉でさえある。
これらの言葉は、ショパンのスケルツォを理解する上で、大きなヒントとなるだろう。ショパンが誰よりも深く文学者たちの思索した諧謔の理念を理解していたことは、4つのスケルツォが証明している。
《スケルツォ 第1番》ロ短調は1830年代初頭、ウィーン滞在中に着手され、1834年から1835年に完成されたと考えられる。この作品が作曲された当時、ショパンは独立の気運の高まる不穏なワルシャワを離れ、ウィーンに居を定めて音楽家としての将来を模索していた。不安、焦燥、愛、郷愁など、相対する二つの感情の狭間で揺れ動く心情を表出するかのようなその作風は、先に述べたロマン主義文学の諧謔とのつながりを思わせる。
当時のショパンの関心は、音楽の都における音楽的、芸術的な傾向と、ワルシャワの情勢の2点に集中していた。同時期には《エチュード》作品10のいくつかの作品が作曲されている。
プレスト・コン・フォーコ、4分の3拍子。冒頭で呈示される激しい、荒れ狂うようなロ短調の主題は、戦争状態にあるポーランドを思う当時のショパンの心情を映し出すかのように、緊迫感に満ちている。序奏の二つの和音が唐突に「激しい叫び声」(ライヒテントリット)を思わせる音響を発し、荒々しい主題が提示される。この主題についてライヒテントリットは「衝動的に押し寄せるように上行し、ところどころ真の怒りの境地に達する」と表現する。この縦横無尽に動き回る熱狂的な主題は、趣の異なる楽節をはさんで(44-64小節)、反復される。
モルト・ピウ・レントの中間部に、ショパンはポーランドのクリスマス・ソング(コレンダ)《眠れ、幼子イエス》の旋律を引用している。ロ長調のゆったりした神聖な響きが、第1主題とのコントラストを鮮やかに浮かび上がらせる。規則的に響き渡る低音のHと高音のFis音が、第一主題部と対照的な落ち着いた安定感をもたらす。
《眠れ、幼子イエス》はポーランドの有名なクリスマス・ソングであり、現代においても12月の降誕祭週間に頻繁に歌われる。喜びに溢れ、家族で祝うクリスマスはショパンにとっても特別な思い出であったと考えられる。
聖歌の引用によって、天上と地上の対比という諧謔的な世界観がより鮮明となることにもまた留意したい。信仰と愛に溢れた本来的な世界とそれを失った現実――その狭間で苦悩しあがく人間は滑稽な存在としてしばしばロマン主義文学において諷刺されたが、ショパンの作風もそれに相通じるものがある。
美しい聖歌が次第に断片化し、遠ざかっていくと、再現部に移行する。ドラマチックな第1主題が激しく回想され、コーダでは劇的な不協和音が強音fffで9回繰り返される。嵐のような半音階をユニゾンで駆け上がり、終曲となる。
ショパンはこの作品を友人トマス・アルブレヒトに献呈した。
参考文献(※本文中の引用はすべてこれらの文献に基づく。)
・ショパン スケルツォ集: New Edition 解説付(大嶋かず路 解説)、東京:音楽之友社、2015年。
・Huneker, James, Chopin: The Man and His Music, New York: Dover Publications, 1966.
・Leichtentritt, Hugo, Frédéric Chopin, Berlin: Harmonie, 1905.
・Tomaszewski, Mieczysław, Chopin: Człowiek, Dzieło, Rezonans, Kraków: Polskie Wydawnictwo Muzyczne, 2005.
・Willeby, Charles, Frederic François Chopin, London: Sampson low, Marston & Company, 1892.
・The 18th Chopin Piano Competition/Compositions https://chopin2020.pl/en/compositions
執筆者 : 朝山 奈津子
(2435 文字)
更新日:2008年7月1日
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執筆者 : 朝山 奈津子 (2435 文字)
ショパンがピアノ曲に用いたスタイルを観察する方法は幾通りもあるが、抒情的なものと物語的なもの、という分類がひとつ可能だろう。前者の代表は《ノクターン》、《マズルカ》であり、後者の典型が《バラード》と《スケルツォ》である。
抒情的な構成において各フレーズや音型は羅列的で、その連結がきわめて緩やかであるのに対し、物語的な構成では、1曲の中にいわば起承転結を感じることができる。なぜ明確なドラマ性が生じるかといえば、まず、和声の進行が明解で、とりわけドミナント-トニック(転から結へ進む部分)の定型がよく守られるからである。また、各動機は変奏や転回、反復、拡張などの手法を用いて発展することもあり、ヴィーン古典派のソナタのような労作はなされなくとも、複数の主題が複雑に組み合わされて曲が作られている。
つまり、《バラード》、《スケルツォ》、《舟歌》、《ボレロ》など物語的構成を持つ作品では、ダイナミックでドラマティックな、始まりから終わりへ必然をもって突き進むような音楽的時間が生み出されるのであり、こうした要素が鑑賞上のポイントとなっている。(蛇足ながら、抒情的な作品では、わずかずつ変容しながらも留まり続け、戻りも進みもそれほど明確でない、いわば音楽的空間の中に、鑑賞者の耳を遊ばせることになる。)
さて、では、各4曲が残されている《バラード》および《スケルツォ》の違いはどこにあるのか。
これらがジャンルとしてショパンの創作の中で隣接していることは、音楽を見れば何より明らかである。しかも、両ジャンルを形式から明確に区別することはほとんどできないように思われる。ひとつには、これがショパンに固有のジャンルであるからで、それぞれが由来すると思われるジャンルの伝統を調べても、両者を結びつけるものは出てこない。しかし、音楽の外形からは区別できなくとも、それぞれの音楽内容、いわば物語の内容はやや異なっている。
《スケルツォ》はイタリア語で「冗談」を意味し、従来は簡明な形式で明るく軽く小規模な曲を指した。ベートーヴェンがメヌエットに代えてソナタの第3楽章に取り入れた時も、やはり極めて急速でユーモアに富んだ性格が与えられた。ショパンの《スケルツォ》は、一見するとこうした伝統にまったく反し、暗く深刻なうえに大規模である。だが、《バラード》と比べてみると、《スケルツォ》がいかにユーモアを内包しているかがよく判る。4つの《スケルツォ》にはいずれも、きわめて急速でレッジェーロな動機がひとつならず登場し、随所で「合いの手」を入れている。また、各部で激烈なまでの音量のコントラストが指定されている。
こうした手法が《バラード》にはほとんどない。各動機、各音は前後のしがらみに囚われており、逸脱を許されない。沈鬱な主題が次々と現われ、それらは鬱積して怒濤をなし、ついには破滅的な終末を迎える。《スケルツォ》が軽妙な音型や滑稽なまでのコントラストでこの種のストレスを解消するのとは、対照的である。
なお、《バラード》4曲はすべて複合2拍子、《スケルツォ》は3拍子で書かれており、これが唯一の外形的な特徴といえなくもない。が、《スケルツォ》は全篇を通じてほとんどが2小節で1楽句を作るため、やはり2拍子の強烈な推進力を内包している。
《スケルツォ》はいずれもA-B-Aの形式をとる。これはハイドンやベートーヴェンが用いたメヌエット楽章の代替としてのスケルツォを踏襲している。しかし、A部分には2つの対照的な主題が現わること、A部分の後半は前半部分のほぼ完全な反復となっていることから、ソナタ形式を志向することが見て取れる。さらに、ストレッタを含む華々しいコーダが曲の規模をさらに増し、格調を高めている。
このようにみると、ショパンの《スケルツォ》は、ベートーヴェンが完成させたピアノ・ソナタの第3楽章の格式を継ぎ、これを敷衍したものと考えることもできる。一方、自身の《ピアノ・ソナタ》第2番および第3番においてはヴィーン古典派の伝統から一歩を踏み出し、スケルツォを第2楽章に置いた。特に第2番Op.35では、複数主題を持つ規模の大きなスケルツォが用いられている。ショパンはおそらく、キャラクターピースとして《スケルツォ》を書き、そのように命名したのではない。むしろ、彼自身のソナタへの布石だったのである。
第1番はヴィーン時代のごく初期に書かれた作品のひとつである。
ショパンは1829年に学生仲間とともにひと夏をウィーンに過ごし、自作を演奏して喝采を浴びた。帰国してからは、彼の個性的な作品にいまひとつ反応の鈍いワルシャワよりも、帝都ヴィーンでの本格的成功を夢見るようになり、2曲の《ピアノ協奏曲》ほか大規模な作品の準備に取りかかった。ドイツの政治情勢のため出発は何度か延期され、1830年11月にようやく国境を越えることになった。しかしこの数週間後にワルシャワで武装蜂起が起こった。同道した親友ティトゥスは闘いに加わるため帰国したが、ショパンは両親とティトゥスの説得に応じて、芸術家としての使命を全うすべくヴィーンへ向かった。
しかし、カトリックの牙城であるヴィーンに居ながらクリスマスを一人で過ごす寂しさと、祖国の情勢不安は、ショパンを格別の郷愁へと駆り立てた。この《スケルツォ》中間部に現われるポーランドのクリスマス・キャロル〈眠れ、幼子イエス〉は、まさにその表れである。
ここで旋律を担うオクターヴ跳躍の音型は、実はA部分の第2主題末部、右手高音に予示されている。とはいえ、A部分とB部分の関連は、ソナタ形式の「展開部」ほどには明確でない。むしろ、調、テンポ、雰囲気、何もかもが対照的で、互いに引き立てあう。
なお、この作品について、ショパンの熱狂的な支持者であったシューマンは、「《冗談》が黒いヴェールを被って歩き回るなら、《真摯》はどのように装えばよいのか」と、タイトルに対する困惑を表明している。
演奏のヒント : 大井 和郎
(1786 文字)
更新日:2018年3月12日
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演奏のヒント : 大井 和郎 (1786 文字)
ショパンのスケルッツォは4曲とも、4拍子で数えると良いでしょう。つまり1小節を1拍と数え、4小節で1つのフレーズとします。拍子記号は3/4拍子ですが、テンポがかなり速いので、とても3拍子では数えきれません。この1番にしろ、2番にしろ、冒頭の和音やタイの付いてる音符は(タイミングは)しばしば不正確になりがちです。むしろ4拍子で数えることで正確なタイミングが得られます。 ここから箇条書きによって、奏者が陥りやすい問題を挙げていきます。 ◎ 9-16小節間が1つのフレーズですが、右の小節に進むに従い音量を上げていきます。故に最初はスフォルツアンドの後(9小節目)すぐにpに落とします。17-24小節間、これと全く同じ事が行われます。重要なことは、9-16と17-24のダイナミックの差を付けることにあり、当然ですが、17-24の方がダイナミックは大きくなります。 奏者が怖いのは、各フレーズの最後の音です。9-16はH、17-24がEで、これを外す(ミスタッチする)訳にはいきませんね。練習方法としては9-16の場合、15小節目の最後の右手の音符Hを1の指でとり、その1の指を残したまま16小節目のHを弾いて練習します。1の指を残すのはオクターブ上の次のHとの距離を測るためで、小指が1の指を頼ってより正確に位置を覚えてくれます。 しかしながら、17-24の最後の右手の音であるEは、前のHからオクターブ以上離れているので、このテクニックは使えません。練習方法はまず、前の小節の最後の音である右手のHと左手のHをそれぞれ右1、左5の指で押さえておきます。次に、そこから両手とも然るべき音に飛びます。当たったら、2-3秒手をそのままその音に置いてください。失敗したらもう一度前のHから練習します。それを数回繰り返します。当たったら2-3秒、その音に指を置くことで、指が場所を覚えてくれます。くれぐれもスタッカートなどで練習しないようにします。 ◎ 43-44小節間の和音3つを弾いたとき、汚い音が出ていると感じた場合、多くの場合、それは右手の1の指が原因しています。大きな音を出そうと思うとどうしても1の指が一番音量を上げてしまい、バランスが悪くなるのです。このような場合、1の指の力を抜き、右手の4や5の指に神経を集中させてください。そして一番上の音がはっきりと出ていれば綺麗なフォルテになるはずです。 ◎ 69-76小節間、leggiero pp の限りを尽くしてください。 ◎ 技術的に大変困難な上、奏者が自分でも気がつかないうちに誤魔化してしまう場所が、94小節目からスタートします。原因は左手1拍目の和音と次の単音にあります。問題は和音の後の単音が掴みづらいのです。そしてどうしてもこの左手がテンポを落としてしまい、時には左手の裏拍が出遅れて、2拍目に入ってしまうことさえあります。これはまず、和音をきちんとつかめるか、色々とテストをして、次に、単音に素早く飛べるかという事になるのですが、ユニットによって状況が1つ1つ違いますので、全てのユニットを丹念に練習する必要があります。恐らくこのスケルッツオでは最も難所となる部分では無いかと思います。 ◎ さて、124小節まで弾ければ、このスケルツォはほぼ弾けると考えて構いません。あとは全てが繰り返しになり、異なっているセクションはコーダのみです。なんとか124までを頑張りましょう。 ◎ 305小節目からBセクションになります。Molt piu lento の表示があり、sotto voce e ben legato とあります。さて、多くの誤解として、このセクションにルバートをたっぷりかけて演奏する奏者がいますが、このセクションのメロディーは実はポーランドのクリスマスソングです。よって、ルバートをかけることをせず、淡々と進んでください。320小節目からは多少のルバートは必要であると感じます。 ◎ 569小節目からはコーダになりますが、 sempre piu animatoになりますので、テンポはさらに上がります。609小節目からの半音階の上行は、拍を認識しながら演奏すると安定します。そうでなくてもかなり取り乱しやすいセクションですので、拍を認識して落ち着いて進むくらいが丁度良い結果となります。
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