作品概要
解説 (3)
執筆者 : 大嶋 かず路
(2984 文字)
更新日:2022年3月3日
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執筆者 : 大嶋 かず路 (2984 文字)
フレデリック・ショパン(1810-1849)はスケルツォと題する単独の作品を生涯において4曲書き残した。《スケルツォ 第1番》ロ短調作品20、《スケルツォ 第2番》変ロ短調作品31、《スケルツォ 第3番》嬰ハ短調作品39、《スケルツォ 第4番》ホ長調作品54である。
スケルツォ(Scherzo:諧謔曲)は冗談、ユーモアなどを意味するイタリア語を語源とする。音楽史においては、1780年代以降、交響曲や室内楽曲など、多楽章形式の楽曲の中間楽章に用いられるようになった。
スケルツォの音楽的な特徴は4分の3拍子や軽快なテンポなど、従来中間楽章に頻繁に挿入されたメヌエットの特徴を踏襲することが挙げられる。多くの場合A-B-Aの3部形式もしくは複合3部形式で書かれ、中間部のトリオには前後の楽想と対照的な旋律が用いられる。こうした伝統に倣って、ショパンもまた《ピアノ・ソナタ 第2番》作品35、《ピアノ・ソナタ 第3番》作品58、《ピアノ三重奏曲》作品8などにスケルツォを挿入した。
これらに加えて、ショパンはスケルツォを単独の作品として完成させることを試み、ピアノ音楽の歴史に新たな境地を切り開いた。言うなれば、スケルツォはショパンによって一個のピアノ作品として構想され、芸術作品として完成した音楽ジャンルの一つであるといっていい。
4つのスケルツォは、速いテンポと4分の3拍子、3部形式などを基本構造としているが、形式はより複雑であり、ソナタ形式に近いものもある。感情的、情緒的な表現や、高度な技巧を要求することもまた、主たる特徴の一つである。
ショパンはこれらスケルツォの具体的な意味や理念について、明確に述べてはいない。しかし、そのタイトルと「陰と陽」の明確な楽曲の構成に、19世紀当時の文学的、芸術的な傾向とのつながりが垣間見られる。
18世紀末期、ヨーロッパでは絶対主義に基づく従来の体制への不満が高揚し、「自由」への覚醒が起こった。表現の場においても革新的な活動が盛んとなり、文学の場では愛や理想、失望、幻滅などの感情を自由に、露骨に表現した作品が書かれるようになった。ユーモアや諧謔を定義づける試みもまた、このような中で行われた。
ユーモアの意味については、ヨーロッパ各国の文学者らが様々な見解を述べている。例えば、ドイツの作家ジャン・パウル(1763-1825)は次のように述べる。
「ユーモアにとっては、個々の愚かさとか、一人びとりの愚人といったものは存在せず、愚かさ及び愚かな一世界が存在するのみである。(……)人間が、この世ならぬ世界からこの世をながめおろせば、この世は、みみっちく、あだにうごめいている。ユーモアがやるように、小さなこの世を尺度にして、無限の世界を測り、それと小さな世界とを結びつければ、笑いが生じ、この笑いのうちには、やはりある苦痛と、ある偉大さとが存在している」
相反する二つの感情もしくは二つの次元の狭間で泣き笑いする人間は、ロマン主義時代の諧謔の主要なテーマの一つである。それは、神の示した美の世界を傍らに、欲にまみれた現実世界から抜け出すことのできない人間に対する強烈な皮肉でさえある。
これらの言葉は、ショパンのスケルツォを理解する上で、大きなヒントとなるだろう。ショパンが誰よりも深く文学者たちの思索した諧謔の理念を理解していたことは、4つのスケルツォが証明している。
《スケルツォ 第4番》ホ長調。プレスト、4分の3拍子。1842年に着想され、1843年に完成した。ショパンの作曲家としての最盛期の作品であり、ジャンヌ・ド・カラマン嬢に献呈された。同時期に書かれた作品に《バラード 第4番》作品52、《ポロネーズ 第6番》作品53がある。最高傑作を次々と生み出す一方、ショパンは体調不良と精神的な落ち込みに悩まされていた。とりわけ幼年時代の恩師ヴォイチェフ・ジヴヌィ(1756-1842)や親友ヤン・マトゥシンスキ(1809-1842)の死は、ショパンにとって破壊的な打撃となった。ジョルジュ・サンドの計らいでノアンで静養したショパンは、体調の回復を待ってパリに戻り、秋にはレッスンや作曲を再開した。
《スケルツォ 第4番》はこのような苦境の中で着想されたが、その作風は私生活の苦悩を感じさせない。スケルツォ4曲中唯一の長調であり、全体的に明るい、幸福な雰囲気に満たされている。ショパンならではのエレガンスと洗練された細部の美しさに際立った作品であり、先の三曲に見られた怒り、葛藤、痛み、慟哭などの表現は希薄である。
ABAの形式をとるが、形式はより複雑かつ自由であり、ソナタ形式にも類似する。第1主題部では、ゆったりとした穏やかな旋律と笑い声を思わせる素早いパッセージが交互に現れ、高雅で軽やか、柔軟性に富んだ曲調を提示する。このように第4番のスケルツォは他の3曲と曲想の上で違いはあるが、ニークスの言葉を借りれば、調和の妙、旋律の狡猾さ、リズムの機敏さにおいては、無視できないほど強力である。
チャールズ・ウィルビーはまた、17小節目の上行するフレーズについてバラード第3番の冒頭との類似性を指摘している。そのうえで、「この作品の絶対的な価値はアイデアの独創性以前に、細部の絶妙な処理にある」と述べる。
レチタティーヴォ風のパッセージに導かれて展開する中間部では、美しいカンタービレが切々と甘い旋律を歌う。愛の語らいを思わせるその旋律は幅広い音域を上行下行する伴奏に合わせてゆっくりと上行し、高音域に達した瞬間、うねるような素早いパッセージにかき消される。二重持続低音が緊張感を高める中で、再現部に移行する。ここでは最初の第1主題部同様、第1主題が転調を繰り返しながら多様な表情を見せる。聞き手を欺き、嘲笑うかのような素早い転調は、ショパンが仕掛けたある種のトリックであり、素直さと茶目っ気を併せ持つ作品の性格を露呈する。コーダでは力強いオクターブが第1主題を断片的に繰り返し、素早いスケールが華麗な響きを残し、終曲となる。
参考文献(※本文中の引用はすべてこれらの文献に基づく。)
・ショパン スケルツォ集: New Edition 解説付(大嶋かず路 解説)、東京:音楽之友社、2015年。
・Huneker, James, Chopin: The Man and His Music, New York: Dover Publications, 1966.
・Leichtentritt, Hugo, Frédéric Chopin, Berlin: Harmonie, 1905.
・Tomaszewski, Mieczysław, Chopin: Człowiek, Dzieło, Rezonans, Kraków: Polskie Wydawnictwo Muzyczne, 2005.
・Willeby, Charles, Frederic François Chopin, London: Sampson low, Marston & Company, 1892.
・The 18th Chopin Piano Competition/Compositions https://chopin2020.pl/en/compositions
執筆者 : 朝山 奈津子
(2065 文字)
更新日:2008年7月1日
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執筆者 : 朝山 奈津子 (2065 文字)
ショパンがピアノ曲に用いたスタイルを観察する方法は幾通りもあるが、抒情的なものと物語的なもの、という分類がひとつ可能だろう。前者の代表は《ノクターン》、《マズルカ》であり、後者の典型が《バラード》と《スケルツォ》である。
抒情的な構成において各フレーズや音型は羅列的で、その連結がきわめて緩やかであるのに対し、物語的な構成では、1曲の中にいわば起承転結を感じることができる。なぜ明確なドラマ性が生じるかといえば、まず、和声の進行が明解で、とりわけドミナント-トニック(転から結へ進む部分)の定型がよく守られるからである。また、各動機は変奏や転回、反復、拡張などの手法を用いて発展することもあり、ヴィーン古典派のソナタのような労作はなされなくとも、複数の主題が複雑に組み合わされて曲が作られている。
つまり、《バラード》、《スケルツォ》、《舟歌》、《ボレロ》など物語的構成を持つ作品では、ダイナミックでドラマティックな、始まりから終わりへ必然をもって突き進むような音楽的時間が生み出されるのであり、こうした要素が鑑賞上のポイントとなっている。(蛇足ながら、抒情的な作品では、わずかずつ変容しながらも留まり続け、戻りも進みもそれほど明確でない、いわば音楽的空間の中に、鑑賞者の耳を遊ばせることになる。)
さて、では、各4曲が残されている《バラード》および《スケルツォ》の違いはどこにあるのか。
これらがジャンルとしてショパンの創作の中で隣接していることは、音楽を見れば何より明らかである。しかも、両ジャンルを形式から明確に区別することはほとんどできないように思われる。ひとつには、これがショパンに固有のジャンルであるからで、それぞれが由来すると思われるジャンルの伝統を調べても、両者を結びつけるものは出てこない。しかし、音楽の外形からは区別できなくとも、それぞれの音楽内容、いわば物語の内容はやや異なっている。
《スケルツォ》はイタリア語で「冗談」を意味し、従来は簡明な形式で明るく軽く小規模な曲を指した。ベートーヴェンがメヌエットに代えてソナタの第3楽章に取り入れた時も、やはり極めて急速でユーモアに富んだ性格が与えられた。ショパンの《スケルツォ》は、一見するとこうした伝統にまったく反し、暗く深刻なうえに大規模である。だが、《バラード》と比べてみると、《スケルツォ》がいかにユーモアを内包しているかがよく判る。4つの《スケルツォ》にはいずれも、きわめて急速でレッジェーロな動機がひとつならず登場し、随所で「合いの手」を入れている。また、各部で激烈なまでの音量のコントラストが指定されている。
こうした手法が《バラード》にはほとんどない。各動機、各音は前後のしがらみに囚われており、逸脱を許されない。沈鬱な主題が次々と現われ、それらは鬱積して怒濤をなし、ついには破滅的な終末を迎える。《スケルツォ》が軽妙な音型や滑稽なまでのコントラストでこの種のストレスを解消するのとは、対照的である。
なお、《バラード》4曲はすべて複合2拍子、《スケルツォ》は3拍子で書かれており、これが唯一の外形的な特徴といえなくもない。が、《スケルツォ》は全篇を通じてほとんどが2小節で1楽句を作るため、やはり2拍子の強烈な推進力を内包している。
《スケルツォ》はいずれもA-B-Aの形式をとる。これはハイドンやベートーヴェンが用いたメヌエット楽章の代替としてのスケルツォを踏襲している。しかし、A部分には2つの対照的な主題が現わること、A部分の後半は前半部分のほぼ完全な反復となっていることから、ソナタ形式を志向することが見て取れる。さらに、ストレッタを含む華々しいコーダが曲の規模をさらに増し、格調を高めている。
このようにみると、ショパンの《スケルツォ》は、ベートーヴェンが完成させたピアノ・ソナタの第3楽章の格式を継ぎ、これを敷衍したものと考えることもできる。一方、自身の《ピアノ・ソナタ》第2番および第3番においてはヴィーン古典派の伝統から一歩を踏み出し、スケルツォを第2楽章に置いた。特に第2番Op.35では、複数主題を持つ規模の大きなスケルツォが用いられている。ショパンはおそらく、キャラクターピースとして《スケルツォ》を書き、そのように命名したのではない。むしろ、彼自身のソナタへの布石だったのである。
第4番は、「コントラスト」の原理はそれほど強烈ではない。むしろ、どのセクションの主題も俊敏で明るい。966小節と比類ない規模ではあるが、音楽のアフェクトからは、「スケルツォ」という言葉の本来の意味をよく保っている。
この曲の中間部は冒頭主題をパラフレーズしたもので、ソナタ形式の展開部のように始まる。また再現部(第601小節移行)は、重厚な伴奏が現われて提示部よりもテクスチュアの厚みが増すが、ほぼ完全な反復が行なわれている。つまり、伝統的なソナタ形式にはそぐわないレッジェーロな主題を用いながらも、きわめてソナタ形式に近い図式をとっているということができる。
演奏のヒント : 大井 和郎
(1362 文字)
更新日:2018年3月12日
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演奏のヒント : 大井 和郎 (1362 文字)
技術的にも音楽的にも大変難しいスケルッツオです。このスケルッツオに求められるのは即興的な軽さです。あたかも鍵盤上で指が遊んでいるように、軽やか、かつ即興的でなければなりません。4曲中、最もルバートが必要とされるスケルッツオです。では冒頭から見ていきましょう。 5小節目の和音に「吸い寄せられるように」進んでください。この和音がゴールとなります。11小節目右手にH、左手にEが連打されます。決して誤魔化さず、はっきりと2つ聞こえるように弾いてください、しかしながらppで柔らかく、しかし遅くなく。17-25小節間、トップの音を綺麗に聴かせ、軽やかに跳ねているようにppで演奏します。この素材は以降、随所に見られますが、決して重たくならないように注意してください。 66-72小節間、左手の一番上の音がメロディーラインになりますのでこれらの音を聴かせるようにします。また右手はこれ以上は速く弾けないくらい、軽やかに一気に弾いてください。以降この素材は随所に見られます。異なった和音による音色の変化もつけなければなりませんが、基本的な奏法は同じです。 また、これ以降、右手の8分音符がずらりと並んでいるとき、左手はメロディーラインになりますので、このラインをもっともはっきり聴かせるようにします。 217小節目以降、まず右手にメロディーラインが来て、220小節目で左手に入れ替わります。以降232小節目まで左手がメロディーラインとなります。233から再び右手にメロディーラインが移り、236小節目で左手に入れ替わります。 249小節目以降、右手の付点4分音符がメロディーですのでこれだけが鳴っていればよく、他の全ての音はppで弾いてください。 393小節目からBセクションに入ります。シンプルなメロディーラインが色々な調によって奏でられます。たとえば、393小節目のムード、401小節目のムード、409小節目のムードなどそれぞれ異なるはずですので、それを表現してください。決して同じような演奏にならないようにすることが大事です。 423-424小節間、レゾネンスです。できる限りpppで。 433から2重唱と考えます。449小節目、下の声部はAセクションの素材です。少し強調しても良いでしょう。 再びAセクションに戻りますが、8分音符のトレモロがあるからと言って決してテンポを緩めないように。最初と同じテンポで進んでください。技術的に大変困難な場所は、917-925小節間です。2つや3つに分けたり、異なったリズムをつけたり、3拍目で止めるなど、あらゆる方法を駆使して部分練習をしてください。 961-965小節間のスケールは華やかに終わりたいものです。しかし頑張れば頑張るほど、ここは固くなりがちです。このようなパッセージはこの曲に限らず、あらゆる作曲家のあらゆる曲に出てきますね。そこでコツを伝授します。このような長いスケールがある場合、力の入る音は最初の音と最後の数個の音のみにします。この場合、961小節目にEがあり、この和音はわりとはっきりと弾き、あとは本当にぼやけた音で鍵盤の奥深くではなく、上っ面をなでるように進み、最後の3-4個の音をはっきり聴かせます。そうすると流暢に聴かせることができます。
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