本作は、1913年に作曲された楽曲、そしてそれ以前の習作とその改作とをまとめた曲集である。曲集の全体的な特徴として挙げられるのは、第6曲の〈伝説〉を除き、17世紀から18世紀の古典的な形式と様式が用いられていることだろう。そこに旋律や和声面での意図的な歪み(プロコフィエフ研究者はしばしばこれを「ウロング・ノート Wrong Note」と呼ぶ)が加えられることで、ばらばらな時期に作曲されたにも関わらず、全体に不思議な統一感が生まれている。このような伝統と革新が入り混じった特徴を、ソヴィエトの音楽学者デリソーンは「伝統を下地にした新しさ」と、ネースティエフは「1920年代に西欧で人気を博した衒学的『新古典主義』とは一線を画した」、「古風な形式で新しい、『こんにちの』内容を表現しようとしている」と評価している。ネースティエフはまた、後年の作品、とりわけ交響曲第1番(《古典交響曲》)やバレエ音楽でプロコフィエフが採用する様式が先立って本曲集に採用されていると指摘している。
第1番 行進曲(アレグロ、ヘ短調)
きびきびとしながらもどこかおどけた冒頭の楽想は、1906年5月に作曲され、幼少期の《小歌集》第5集に第6番として所収された〈行進曲〉を元にしている。本曲はそこから新しい副次主題の導入など、大幅な加筆修正が行われており、より成熟した書法が駆使されている。ちなみにプロコフィエフは幼少期に本曲の原曲も含め多数の行進曲を書き残しているのだが、ソ連の音楽学者デリソーンはその根拠を、日露戦争の戦意発揚のために軍楽が盛んに演奏されていたことに求めている。全体に、付点音符と規則正しい二拍子によって行進曲の様式が遵守されているが、急激な転調や不協和音の多用により、プロコフィエフならではのグロテスクな雰囲気が生まれている。
原曲の1906年の行進曲と同じく、獣医学者で幼少期から40年以上交友が続いた親友、ヴァシーリイ・ミトロファーノヴィチ・モロリョーフ(1880〜1949)に献呈された。
第2番 ガヴォット(アレグレット、ト短調)
プロコフィエフ本人の談によると、本曲は1908年にリャードフ・クラスで書いたガヴォットを編曲したものだという。均整がとれ、抑制された主部は古典的な美を湛えており、装飾音や和声的な色合いによって生まれ出るニュアンスには、プロコフィエフの腕が遺憾無く発揮されている。トリオではト長調に転調し、やや穏やかな楽想が提示されるが、内声部の半音階進行が音楽に影を落とす。
学友のピアニストで、のちに日本にも来航し、最終的に上海音楽院で教鞭を執った「ボリューシャ」ことボリース・ステパーノヴィチ・ザハーロフ(1887〜1943)に献呈された。
第3番 リゴドン(ヴィヴァーチェ、ハ長調)
リゴドンとは17世紀から18世紀にかけて人気を博した2拍子か4拍子系の快活なプロヴァンスの民俗舞踊(のち舞踏会や舞台でも踊られるようになった)。主部では4拍子の1拍目と3拍目が強調される。一方、ピアニッシモで提示される諧謔的な中間部ではこのアクセントの図式が反転し、偶数拍が強調されることで奇妙な印象を受ける。また、何処か調子外れな旋律の跳躍進行、非機能的な和声進行も特徴的である。
青年期の作曲家の恋人だった「フャーカ」ことニーナ・アレクセーエヴナ・メッシェールスカヤ(1895〜1981)に献呈。
第4番 マズルカ(カプリッチョーゾ、ロ長調)
モダニスト・プロコフィエフの面目躍如と言うべき楽曲。2・3拍目が強調されるマズルカ特有のリズムや形式感は活かされてこそいるが、全体に平行四度で占められた旋律と伴奏は伝統的な舞曲の音色とはかけ離れている。また、全体のテクスチャはほとんど変化しないものの、一方楽想の変化は細かく、指示も「アニマート」、「トランクイロ」、「ブリリアント」とさまざまに変化する。本曲の斬新な響きは発表当初から物議を醸したらしく、作曲者の親友アサーフィエフですら、「標準的音楽の趣味の戒律に反して大胆さを誇示する甘ったれた若者の愚行」(1915年、雑誌『音楽』第209号より)と断じている。
音楽院の学友で生涯の親友の作曲家ミャスコーフスキイに献呈。
第5番 奇想曲(アレグレット・カプリッチョザメンテ、ト長調)
A-B-A-C-B-A-C-B-Aという構造を持つやや大規模な楽曲。A部分はなだらかな旋律をもつ前半部分と、並行三度と跳躍進行が特徴的な後半部分に分かれる。B部分では左手によって広い音域を持つ諧謔的な旋律が奏でられる。打楽器的な付点音符がアクセント。C部分では、和音による伴奏に乗せ、それぞれリズムの異なる対位法的な三声部が入り組んで奏でられる。
第3番の被献呈者の姉妹にあたる「ターリャ」、ナターリヤ・アレクセーエヴナ・メッシェールスカヤに献呈された。
第6番 伝説(アンダンティーノ、ヘ長調)
小気味よくきびきびとした作品が多い曲集の中で、和声の語彙の豊かさや繊細さ、プロコフィエフの音楽の叙情的側面がひときわ光る小曲。「センプリーチェ(素朴に)」と記された主部では、並行五度と不思議な和声進行による開始が、「アダージョ」と指示された楽節の最終小節で静かに解決する。短い楽曲ながら、アゴーギクは非常に柔軟で、細かな指示によってテンポが様々に伸び縮みする。
第7番 前奏曲(ヴィーヴォ・エ・デリカート、ハ長調)
〈ハープ〉という副題をもつ。ハーピストで学友のエレオノーラ・アレクサーンドロヴナ・ダームスカヤに献呈されており、彼女が演奏するためにプロコフィエフ自身が書いたハープ版も存在する。まさしくハープ的な主部の右手の16分音符の分散和音による伴奏は、急速だがなめらかで、楽曲の穏やかで楽しげな雰囲気を作り出している。中間部ではスタッカートやグリッサンドによっっておどけた曲調へと変化するが、「デリカティッシモ(極めて繊細に)」の標示にあるとおり、主部の優美さは失われない。
第8番 アルマンド(アレグロ・リゾルート、嬰ヘ短調)
16世紀のドイツの舞曲の様式に沿った本曲は、荘重さと踊り手の足取りを感じさせる曲調が特徴的。一方で大胆な和声書法と、調子外れに響かんばかりに幅広く用いられる音域は、《ロミオとジュリエット》などの後の作品にみられる様式の萌芽をすでに感じさせる。
それまで毎日のようにプロコフィエフの日記に登場したほどの親友で、1913年にプロコフィエフに別れの手紙を残して拳銃自殺した「マックス」ことマクシミリアーン・シュミッドゴーフ(1892〜1913)に献呈された。
第9番 ユーモラスなスケルツォ(アレグレット、ハ長調)
グリボエードフの有名な喜劇『知恵の悲しみ』第3幕冒頭の主人公の台詞から「あいつらは嗄れ声の奴、首吊り野郎、ファゴット……」という断片が、エピグラフとして引かれている。加えて本曲はのちに4本のファゴットのために編曲されており(作品12bis)、全体が四声体の声部で分かち書きされていることも併せ、ある程度この楽器を念頭に置いていたと考えてもよいだろう。主部では小気味よいスタッカートと前打音による伴奏から、同じくスタッカートを基調とする跳躍音程による二声部の主題が奏でられる。対比的な中間部は、コラール的な和声進行により、荘重さを醸し出している。
プロコフィエフがペテルブルク音楽院で薫陶を受けた名伯楽、ニコライ・チェレプニーン(1873〜1945)に献呈。
第10番 スケルツォ(イ短調、ヴィヴァチッシモ)
主部は一定の三拍子のリズムを刻む伴奏と急速なパッセージによる。ハ長調の中間部は軽妙だが高度な技巧を求められるポリフォニックな右手が鮮烈であると同時に、伴奏は2拍単位の進行に変わり、右手と左手でポリリズムが形成される。このポリリズムは主部の再現にも引き継がれ、強烈な印象とともに楽曲を締めくくる。
ペテルブルク音楽院の学友で、ピアノ曲《レール》(1926)やオペラ《氷と鋼》(1929)で知られることになる作曲家、ヴラディーミル・デシェヴォーフ(1889〜1955)に献呈。