ペヤチェヴィチ 1885-1923 Pejačević, Dora
解説:西井 葉子 (1364文字)
更新日:2015年2月12日
解説:西井 葉子 (1364文字)
ドラ・ペヤチェヴィッチは、1885年9月10日ブダペストに生まれ、クロアチア東部のナシツェという町にあるお城で少女時代を過ごしました。ペヤチェヴィッチ家はクロアチアの由緒ある貴族の家系に属し、父親・祖父はクロアチアの伯爵で総督などを務め、母親はハンガリーの貴族で、ドラは、「ナシツェのプリンセス」として知られています。ドラは、イギリス人の家庭教師エディット・デイヴィソンから一般教養を学び、優秀なピアニストで歌手でもあった母親から音楽の手ほどきを受けた後、ザグレブ、ドレスデン、ミュンヘンで作曲を勉強しました。ドレスデンでは、ヴァイオリンをアンリ・ペトリ、作曲をペルシー・シェルウッドに師事、ミュンヘンでは、作曲をヴァルター・クルヴォワジエに師事しています。1921年秋オーストリアの将校オットマル・フォン・ルンベ(Ottomar von Lumbe)と結婚後、主にドレスデンとミュンヘンに住み、1923年1月30日に息子テオドルを出産しましたが、その約1か月後の3月5日、腎不全により、37歳で亡くなりました。生前には、彼女の作品は、クロアチアのみならず、ロンドン、ドレスデン、ブダペスト、ストックホルム、ウィーン、ミュンヘンなどヨーロッパ各地で頻繁に演奏されており、彼女は、クロアチア初の本格的な女流作曲家として、同国では大変有名な存在です。
彼女の芸術遺産は、子守歌Op. 2から弦楽四重奏曲ハ長調Op. 58まで、57の作品番号が記録され成り立っていますが(Op. 1は紛失、未登録)、その内24作品がピアノ曲です(Op. 12は紛失のため、現存するのは23作品)。2つのソナタを除いて、ほかの全ての作品が、彼女が生涯作曲し続けたミニアチュール(または性格的小品)と呼ばれる小品です。彼女のピアノ作品は、響きや色彩がとても豊かであり、思いがけない急な転調や展開が頻繁に用いられています。メンデルスゾーン(1809-1847)、シューマン(1810-1856)、グリーグ(1843-1907)、チャイコフスキー(1840-1893)などの影響が顕著な初期のロマン派的な作品から、印象主義の色彩豊かな中期の作品、さらに表現主義が加味された後期の作品に至るまで、彼女は、彼女独自の個性を円熟させていきました。
彼女は、ヨーロッパ各地への旅行・滞在により文化的視野を広げ続けましたが、故郷ナシツェのお城に戻って来ては、スラヴォニア地方の豊かな自然や静寂の中からインスピレーションを受けながら作曲に励み、多くの作品がナシツェで書かれています。また、『マルテの手記』の作者ライナー・マリア・リルケ(1875-1926)やウィーン世紀末文化の代表者カール・クラウス(1874-1936)等、同時代の文化人との交流も深く、イプセン(1828-1906)、ドストエフスキー(1821-1881)、トーマス・マン(1875-1955)、ショーペンハウアー(1788-1860)、キルケゴール(1813-1855)、ニーチェ(1844-1900)等の文学や哲学の世界も、彼女の芸術的感性の発展に、大きな影響を与えました。彼女の作品は、ヨーロッパのモダニズム文学や美術におけるアール・ヌーヴォー、セセッションなどの動きと並行して発展していきました。
作品(30)
ピアノ独奏曲 (14)
ソナタ (2)
曲集・小品集 (5)
即興曲 (2)
無言歌(ロマンス) (2)
カプリス (2)
ベルスーズ(子守歌) (2)
室内楽 (2)
種々の作品 (3)
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