スクリャービンが若い頃に傾倒していたショパンの《24の前奏曲 作品28》にならい、平行調の組み合わせによって5度圏をめぐる構成となっている。24曲はまとめて作曲されたわけではない。1895年とその翌年の二度にわたる西欧旅行の際に作曲されたものと、それ以前に作曲されていたものとが編みあわされている。楽譜は、1897年に6曲ずつの分冊の形で出版された。
第1曲目 ハ長調 2分の2拍子 ヴィヴァーチェ
23歳の時にモスクワで作曲した作品。5連音符の3つ目の音が拍頭にくるクロス・フレーズが用いられている。また、6度音を付加した和音の使用も、ショパンの前奏曲の第1曲目に通じるものとなっている。25小節という短さのこの曲は、その中にルバートやアッチェレランドの指示があり、全体を把握した構築をすることが求められる。
第2曲目 イ短調 4分の3拍子 アレグレット
前の曲と同じく、23歳の時にモスクワで作曲された。多声的な書法で書かれており、半音階的な音の動きが多用されている。メロディーは、順次進行と跳躍音程が組み合わさったものになっている。
第3曲目 ト長調 4分の3拍子 ヴィーヴォ
ハイデルベルクに滞在している時に作曲された。23歳の時のことである。スクリャービンは、この作品の出版を手助けしたべリャーエフのすすめにより、この地で神経症の治療を受けた。2対3や3対4のポリ・リズムによって書かれたこの曲は、左右の手のどちらも、うねるような動きが特徴的である。
第4曲目 ホ短調 8分の6拍子 レント
モスクワ音楽院に入学した年に作曲された。スクリャービンが16歳のときのことである。おそらく、この曲集の中では最も早い時期に作曲された作品と考えられる。主として、低音にメロディーがあり、その上で和音が刻まれる。
第5曲目 ニ長調 2分の4拍子 アンダンテ・カンタービレ
2度目の西欧旅行中に作曲された。スクリャービンが24歳の時の作品である。息の長いメロディーに、たゆたうような伴奏のラインが付けられている。
第6曲目 ロ短調 4分の2拍子 アレグロ
モスクワ音楽院在学中、17歳の時に、旅行先のキエフで作曲された。左右どちらの手もオクターヴを基調としている。付点4分音符と8分音符からなるリズムを、1拍ずらしてもう一方の手が追いかける形になっているが、実際には、付点4分音符の代わりにタイで結ばれた4分音符と8分音符で記譜されているため、このリズムのずれが視覚的にわかりやすいものになっている。
第7曲目 イ長調 8分の6拍子 アレグロ・アッサイ
23歳の時にモスクワで作曲された。順次進行と跳躍音程の組み合わせからなるメロディー、同じく順次進行と跳躍音程の組み合わせからなる内声、しばしばオクターヴに重ねられる低音の3つの声部による書法で書かれている。低音は、拍節からずらされたスラーによるフレージングが特徴的である。
第8曲目 嬰ヘ短調 4分の3拍子 アレグロ・アジタート
2度目の西欧旅行の最初の訪問地、パリで作曲された。スクリャービンが24歳の時のことである。この地で、スクリャービンはデビュー・コンサートも行っている。2対3のポリ・リズムを基調としている。メロディーは、オクターヴを超える跳躍音程の上昇、3連音符による下降のモティーフが特徴的である。
第9曲目 ホ長調 4分の3拍子 アンダンティーノ
23歳の時にモスクワで作曲された。左手が右手のメロディーを誘い出すようにして始まる。冒頭にはルバートの指示が、左手には所々にテヌートの指示があるため、アゴーギグがポイントとなると考えられる。
第10曲目 嬰ハ短調 8分の6拍子 アンダンテ
22歳の時にモスクワで作曲された。この曲では、後の神秘和音に通じる響きを垣間見ることができる。左右どちらの手も重音を弾く曲である。
第11曲目 ロ長調 8分の6拍子 アレグロ・アッサイ
23歳の時にモスクワで作曲された。ショパンを思わせる甘美な曲想となっている。半音と全音が効果的に配置されたメロディーに、幅広い音域をしなやかに動く分散和音が添えられている。この分散和音は、内声の対旋律をくまどることもあり、この声部を浮き立たせる技術が求められる。
第12曲目 嬰ト短調 8分の9拍子 アンダンテ
最初の西欧旅行でスイスと訪れた際に作曲された。スクリャービンが23歳の時のことである。左右が対話をするかのように始まり、後半になると、左右の手が同時に話すようになる。冒頭の対話を想起させる部分では、右手のメロディーの各フレーズの最後の3つの音が順々に残されていきながら和音を形成し、左手の合いの手を引き出している。
第13曲目 変ト長調 4分の3拍子 レント
23歳の時にモスクワで作曲された。息の長いメロディーに、様々な音程で動きまわる左手が添えられている。
第14曲目 変ホ短調 8分の15拍子 プレスト
最初の西欧旅行でドレスデンに滞在していた際に作曲された。スクリャービンが23歳の時のことである。スクリャービンはこの曲について、ヨーゼフ・ホフマンに「スイスのバステイで橋の上に立っていた時にこの曲のアイディアが浮かんだ。」と語っている。この曲は、1小節を8分の5×3拍子と捉えることができる。右手は和音を、左手はオクターヴを基調としている。また、右手は5つの8分音符の1つ目に、そして左手は4つ目に、8文休符かタイで結ばれた音符が置かれている。
第15曲目 変二長調 4分の4拍子 レント
23歳の時にモスクワで作曲された。左手の重音による8小節の楽節に続き、右手により上声部で新しいメロディーが提示される。このメロディーは息が非常に長い。後半は左右の役割が交替し、低音に単音のメロディー、上声部に重音パートが充てられる。終結部では再び上下が入れ替わったあと、両声部の静かな和音で締めくくられる。
第16曲目 変ロ短調 8分の5拍子/8分の4拍子 ミステリオーソ
23歳の時に作曲されたが、スイスのヴィツナウで作曲されたという説と、モスクワで作曲されたという説がある。8分の5拍子と8分の4拍子が1小節ずつ交互に現れる独創的な構成となっている。また、左右の手がユニゾンで弾くというテクスチュアも印象深い。
第17曲目 変イ長調 2分の3拍子 アレグレット
23歳の時に作曲されたが、スイスのヴィツナウで作曲されたという説と、モスクワで作曲されたという説がある。僅か12小節の短い曲であるが、アッチェレランドとリタルダンド、ア・テンポの繰り返しで始まる構成や、音程の絶妙な組み合わせによるメロディーのために、印象の薄い作品に終わることはない。
第18曲目 ヘ短調 4分の2拍子 アレグロ・アジタート
23歳の時にスイスのヴィツナウで作曲された。2対3のポリ・リズムでオクターヴを弾く曲である。オクターヴによる倚音が多用されている。
第19曲目 変ホ長調 4分の2拍子 アッフェットゥオーソ(愛情を込めて)
23歳の時に作曲されたが、ハイデルベルクで作曲されたという説と、モスクワで作曲されたという説がある。5対3のポリ・リズムと、5連音符1個分を拍節とずらしたクロス・フレーズの手法が併用されている。
第20曲目 ハ短調 4分の3拍子 アパッショナート
23歳の時にモスクワで作曲された。オクターヴと3連音符を基調とした曲である。アウフタクトによって引き出され、まい進し続けるこの曲は、最後は静かに終わる。
第21曲目 変ロ長調 4分の3拍子 アンダンテ
23歳の時にモスクワで作曲された。4分の3拍子を基調としているが、ほぼ1小節毎に4分の3拍子、4分の5拍子、4分の6拍子のいずれかに変化する。メロディーは上昇する音型が特徴的で、時折みられる下降音形は、あたかも上昇するエネルギーを蓄えるためのものであるかのようだ。
第22曲目 ト短調 4分の3拍子 レント
24歳の時にパリで作曲された。多声的な書法で書かれたこの曲は、半音階的な音の動きが随所に散りばめられている。
第23曲目 ヘ長調 4分の3拍子 ヴィーヴォ
23歳の時にスイスのヴィツナウで作曲された。3連音符を主体とし、活き活きとした右手のメロディーに、のびやかな左手が添えられている。
第24曲目 ニ短調 8分の6拍子/8分の5拍子 プレスト
23歳の時にハイデルベルクで作曲された。8分の6拍子と8分の5拍子が1小節ずつ交互に現れる。右手の和音は徐々に音域を広げていき、左手の単音はやがてオクターヴに重ねられる。そして、曲全体を通して1つの大きなクレッシェンドを築く、スクリャービン愛用のディナーミクの手法により、この曲集が締めくくられる。