総説
本楽曲は、シューベルトがショーバー家に滞在していた1817年に作曲に取り掛かった6曲のピアノ・ソナタのうち、最後の作品である。自筆草稿譜に「1817年8月」と記載されているのに対し、完成したソナタが書き写された2つの筆写譜には「1818年8月」と書かれている。これらが誤植でないとすれば、シューベルトは、本楽曲を1817年に構想したのち、およそ1年後にハンガリー貴族エステルハージ伯爵の音楽教師として雇われたツェレス(Zseliz)滞在中に浄書を完成させたと考えられる。自筆草稿譜の段階では、第2楽章にスケルツォ、第3楽章に緩徐楽章を置くという変則的な楽章順序を取っていたが、2つの筆写譜では両中間楽章の順序が入れ替わり、通常の楽章順序となっている。
なお、特に彼の中期時代に成立した断章作品の扱いの相違により、本ソナタは、マルティーノ・ティリモ校訂によるウィーン原典版では第10番、『新シューベルト全集』に基づくベーレンライター版では第9番という通し番号が与えられている。
各曲解説
第1楽章:アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ロ長調、4分の4拍子
本楽章には、ソナタ形式の枠組みを取りつつ、それを転調や複数の主題の導入によってしようとする試みが見て取れる。
冒頭では、主調であるロ長調の三和音が分散和音としてユニゾンで提示され、第3小節で突然に嬰ハ短調の属七が現れる。この主題が再度提示されると、総休止を挟んでハ長調へと逸脱し、ト長調で新たな主題が提示される(第15小節)。この第2主題は、スタッカートの付いた第1主題とは対照的に、レガートで流れるように奏される。第2主題は最後の3小節でホ長調へと転じ、穏やかな第3主題がホ長調で提示される(第30小節)。ここまで、ロ長調―ト長調―ホ長調と三度ずつ下へと進む調進行となっている。この第3主題は嬰ヘ長調へと転じ、第42小節で第4主題が現れて嬰へ長調のまま提示部を閉じる。このように、提示部はロ長調の主題で始まり属調の主題で閉じるため、大枠はソナタ形式と同じだが、その間に更なる2つの主題領域が挟まれている点に注目したい。後年のシューベルトは、提示部の主調と属調との間に三度調領域を1つ挟むことで、通例のソナタ形式が持つ主調―属調の緊張感を打ち崩したことで知られる(詳細はピアノ・ソナタ第21番D 960を参照)。本楽章のソナタ形式には、まさにこの特徴が見て取れる。
展開部は二部分に分かれる。前半は第1主題の動機を繰り返すことで、三度調関係でロ短調からニ長調、ヘ長調、変イ長調へと転じる。そして変ホ長調を経て、ロ長調で第2主題に由来する後半部が現れる。再現部を待たず、展開部後半で主調が回帰するのは、通例のソナタ形式からすると稀なケースだが、これには理由がある。本楽章では、すでにピアノ・ソナタ第2番D 279・第3番D 459・第4番D 537で試みられたように、再現部が下属調のホ長調で現れるのである。そして提示部での調関係を保ちつつ、第2主題がハ長調、第3主題がイ長調で再現され、第4主題が主調のロ長調で回帰して幕となる。
第2楽章:アンダンテ、ホ長調、4分の3拍子
大枠ではABA’の形式を取り、A部も更にaba’の三部分からなる複合三部形式を取る。
A部はaba’の三部から成り、ホ長調の静かなa部の間に、転調を重ねつつ高揚するb部が挟まれている。
静的なA部に対し、B部は一貫して十六分音符が用いられることでコントラストをなしている。ホ短調に始まってハ長調へと転じる調構造を持っており、B部末(第46小節)では、B部の主題冒頭を特徴づけていた半音進行が前景に押し出され、A部の再現を準備する。
第52小節では冒頭主題が回帰し、Aの再現部となる。ここでは、スタッカートによる半音階進行の十六分音符が内声に組み込まれており、主部と中間部の要素が統合されている。再現されたa’部では、三度調のト長調で開始されたり(第70小節)、短調が顔を覗かせたり(第80小節)など、単なる再現に留まらない工夫がみられる。なお、ト長調は次の第3楽章を予告する機能も持ち合わせている。
第3楽章:スケルツォ:アレグレット、ト長調、4分の3拍子
主部(ABA’)―トリオ部(CDC’)―主部のダ・カーポから成り、主部もトリオ部もスケルツォ楽章に典型的な三部形式を取る。
スケルツォ楽章に特有のユーモアは、強拍に置かれて重点が置かれるはずの付点四分音符が、スラーの真ん中に置かれるため強調されずに始まる点や、4小節単位で進行する冒頭セクションが10小節で2小節足りずに一区切りとなる点などに表れている。第11小節から両手がカノン風に進行し、その後両手が一緒にクレッシェンドを伴って向かうのは、解決せず総休止へと放り出す減七和音である(第19小節)。そしてA部は、属調のニ長調で終止する(第28小節)。
B部は三度調の変ロ長調で始まり、カノン風に進行する。変ロ音を嬰イ音に読み替え、ト長調の半終止で宙に浮いたように総休止を挟むことで、A部の再現を準備する。A’部はA部の再現だが、主調のまま閉じるよう和声的な調整がなされている。
トリオ部はニ長調を取り、民族音楽的な二分音符+四分音符のリズムと、常に流れる八分音符のリズムとのコンビネーションから成っている。8小節から成るC部に続き、同じく8小節のD部を経て、C部が4小節のみ1オクターヴ高く回帰される構造となっている。
第4楽章:アレグロ・ジュスト、ロ長調、8分の3拍子
本楽章は、2つの主題領域が五度離れて提示され、両者とも主調で回帰するため、大枠では展開部のないソナタ形式とも捉えられる。だが実際には、第1主題領域の内部が三部形式となっているため、ソナタ形式というより緩徐楽章の形式に近いABA’B’と解釈するのが妥当だろう。
A部は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第15番の第4楽章のような四分音符+八分音符が基調となったロ長調の部分に、スタッカートによる軽いニ長調の中間部が挟まれている。
B部は嬰へ長調で始まり、ドルチェで柔らかく奏される(第51小節)。嬰ヘ短調の部分が挿入されたり(第67小節)、長短調が急に転換されたり(第81小節)など、後年のシューベルトに典型的な特徴も垣間見える。軽やかな主題がト長調で提示された後(第133小節)、移行部を経て(第173小節)、A部の主調回帰となる(A’部・第195小節)。
A’部をホ長調で終止させることにより、続くB’部は主調であるロ長調で回帰する(第255小節)。長短調のせめぎ合いにより暗雲が立ち込める中、フォルティッシモのロ長調の三和音で幕を閉じる。