ベートーヴェン晩年の作曲技法的特徴として、対位法(フーガ)と変奏がしばしば指摘されるが、このOp.109以降においては、ロマン的で自由な楽想の中にあって圧縮されたソナタ形式、という特徴も指摘できよう。
1820年秋頃に完成したと推定されるこのソナタにおいては、第1楽章はストイックなまでに切り詰められ、それに対して変奏形式による第3楽章は大きな広がりをもっている。
第1楽章 ホ長調 4分の2拍子/4分の3拍子 ソナタ形式
8小節の主要主題の後、すぐにAdagioにテンポを落として副次主題があらわれる。冒頭のテンポを回復し、主要主題による展開部(第16小節~)がおかれる。
ふたたびAdagioにテンポを落とし、主調での副次主題の再現(第58小節~)を先に行い、主要主題の再現(第66小節~)とコーダで楽章を閉じる。第2楽章とは終止線ではなく複縦線によって区切られており、2つの楽章は分かち難く結びついている。
このロンド的な性格をもつ楽章を、ソナタ形式の枠組みにはめ込むことには無理があるかもしれないが、調性構造の点ではソナタ形式が念頭に置かれていることは確かである。
第2楽章 ホ短調 8分の6拍子
この楽章もやはり、ソナタ形式的な調性構造を念頭に作曲されたように思われる。決然とした主要主題は、下降するバスの上に成り立っており、これは第1楽章の主要主題へ通底している。推移(第9小節~)を経て、この推移楽想から紡ぎ出された副次主題と思わしき楽想があらわれる(第33小節~)。パッセージ風であり、推移楽想との親近性からも主題的性格は希薄だが、調性は明確に属調(ロ短調)をとっている。
展開部(第66小節~)はロ短調での主要主題で開始され、バス声部の動機がオクターヴ・トレモロのオルゲル・プンクト上に展開された後、ウナ・コルダの指示でコラール風の楽想に転じる。
再現部(第105小節~)では推移が大幅に縮小され、簡潔に両主題の主調再現を終えて楽章を閉じる。
第3楽章 ホ長調 4分の3拍子
属調へむかう前半8小節と、属調から主調へ落ち着く後半8小節がそれぞれ反復される、計32小節による主題に、6つの変奏がつづく。
第1変奏:ワルツ風の単純な3拍子の伴奏の上に、音型的な変奏が行われる。
第2変奏:和声的な変奏で、前半と後半が異なる手法によって変奏される。
第3変奏:4分の2拍子へと拍子を変化させ、和声的枠組みを保持しながらも、第2変奏以上に主題の旋律から離れた、2声対位法的な変奏。
第4変奏:8分の9拍子で、「主題よりもややゆるやかテンポで」と指示されている。主題の和声的枠組みは保たれているものの、それとわかるような動機や音型はもはや姿をあらわさない。3声部(ところにより4声部)書法による模倣的部分と、和音のトレモロと分散和音という2つの対照的な性格による変奏。
第5変奏:2分の2拍子となり、3声の対位法的処理によって開始される。拍子の選択からも、古風なフドート様式を意識したのかもしれないが、すぐに完全8度の連続(第119小節)があらわれてしまうことなどからも、厳密な意味での対位法ではなく、そうした性格をもっているという程度のものであろう。
第6変奏:4分の3拍子で、4声部書法で開始され、はじめの4小節で内声に主題の旋律線が回帰する。属音の二重トリル、低音域や高音域に絶え間なくあらわれる、やはり属音による長大なトリルの上や下に主題の断片があらわれる。最後に主題が完全な形で再現されて楽曲を閉じる。
アリア風の主題と、旋律線から離れたいくつもの和声的、技巧的変奏、そして最後の主題回帰などは、バッハの『ゴールトベルク変奏曲』を思い起こさずにはいられない。また、一度は着手しながらも、この当時作曲を中断していた『ディアベリ変奏曲』との関連も見過ごすことはできまい。