ホフマン・ヨゼフ 1876-1957 Hofmann, Józef Kazimierz
解説:PWM Edition(翻訳:平岩 理恵) (1196文字)
更新日:2022年9月30日
解説:PWM Edition(翻訳:平岩 理恵) (1196文字)
ユゼフ・カジミェシュ・ホフマン Józef Kazimierz Hofmann
(1876年クラクフ[ポーランド]~1957年ロサンジェルス[米国])
ポーランドのピアニスト、発明家。アントン・ルビンシテインの弟子で、19世紀末から20世紀初頭にかけての時期における最高のピアニストの一人とされている。
10歳に満たないうちからポーランドでピアニストとしてのキャリアをスタートさせた。11歳の時にはアメリカ東部を巡る長期間の演奏旅行に出ると、52回ものコンサートを行った。彼の名は世界的に知れ渡り、アメリカの芸術庇護者アルフレッド・コーニング・クラークは彼に5万ドルにおよぶ奨学金を提供した。ホフマンは数年間ドレスデンに住み、アントン・ルビンシテインからピアノの個人レッスンを受けた。彼は師を慕い、後年にもベルリンの師匠をたびたび訪ねている。
ホフマンのピアノ演奏の芸術性はラフマニノフにも高く評価され、彼をして「世紀末の最高のピアニストの一人」と言わしめた。
音楽だけでなく、物理学、数学、化学といった学問にも熱中し、彼の発明は100件近い特許を取得している。その多くは自動車(連動ワイパー、空気圧式ダンパーなど)や音楽に関連するものであった(蓄音機に関してトーマス・エジソンと意見交換するなどした)。現在もスタインウェイ社ではホフマンが開発したピアノのメカニズムの改良に関する特許技術が用いられている。また彼は掌が小さかったため、鍵盤の幅を狭くした自分用のピアノを特別にあつらえた。ユゼフ・ホフマンは70歳で音楽家としての活動からは退いたが、その後も音声の録音に関する新技術をはじめとする様々な特許に関して研究開発を続けた。81歳、アメリカで没する。
<主要作品>
[管弦楽曲]
《交響曲 ホ長調》(1916年)
《5つのピアノ協奏曲》(1916年)
《ピアノと管弦楽のためのクロマティコン》(1916年)
交響詩《幽霊城》(1918年)
[ピアノ曲]
《ポロネーズ》(1888年頃)
《変奏曲とフーガ》作品14(1892年)
《2つの小品》作品15(1892年)
《マズルカ》作品16(1892年)
《アンダンテとプレスト》作品17(1892年)
《雲間から》作品18(1893年)
《5つの小品:即興曲、エコー、メヌエット、子守歌、エレジー》作品20(1893年)
《ソナタ ヘ長調》作品21(1893年)
《3つの小品:ノクターン、ボレロ、舟歌》作品22(1894年)
《2つのコンポジション》作品23(1896年)
《ソナタ》作品24(1897年)
《ノヴェレッテ 嬰ヘ長調》作品27(1897年)
《ノヴェレッテ イ長調》作品28(1897年)
《8つの前奏曲》作品30(1903年)
《バレエの情景》作品33(1903年)
《性格的なスケッチ》作品40(1908年)
《ヴァルス=カプリス》(1902年)
《3つの印象》(1915年)
作品(5)
ピアノ独奏曲 (2)
種々の作品 (3)
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