このソナタの愛称「告別」は、作曲者自身が自筆譜に書き込んだ「告別。1809年5月4日ウィーン、敬愛する皇帝陛下の大公ルドルフの出発に際して。Das Lebe Wohl . Vien am 4ten May 1809 bej der Abreise S.Kaiserl. Hoheit des Verehrten Erzherzogs Rudolf.」という献辞に由来している。各楽章にはそれぞれ表題のように「告別Das Lebewohl」、「不在Die Abwesenheit」、「再会Das Wiedersehen」と記された。
この1809年は、ちょうどナポレオン軍によってウィーンが包囲されていた時期であり(第2次ウィーン包囲)、ベートーヴェンの良きパトロンであると同時に、作曲の弟子でもあった大公は地方へ疎開することとなった。ベートーヴェンが書き記した「告別Lebewohl」という言葉が、この別れが決して再会を約束したものではないこと物語っている。
(第1楽章)変ホ長調 4分の2拍子/2分の2拍子 ソナタ形式
[序奏+提示部]
まず16小節の序奏(Adagio)がおかれる。その冒頭は3度順次下降する自然ホルンの音型(長3度→完全5度→短6度の2声部進行)による動機で開始され、各音にLe-be-wohlと歌詞のように言葉が付されている。この動機に続いてバス声部の半音階下降とソプラノ声部の4度→5度→6度と拡大されてゆく跳躍音型が組み合わされた動機が、この楽章全体を構築する動機となる。
またドミナントから同主短調のVI度へ進行する転調方法(第7~8小節)も、この作品全体の1つの特徴である。
主部(第17小節~)はAllegro2分の2拍子となり、主要主題が提示される。半音階下降するバスと4度跳躍の動機による開始、幅広い分散和音の上にオクターヴ奏による跳躍・順次下降音型からなるこの主題は、まぎれもなく序奏の動機を発展させたものである。この順次下降音型や、続く推移(第29小節~)以降しばしばあらわれる半音低められた音階の第6音によってつけられる調的響きの陰影は、作品全体に作用している。
副次主題(第35小節~)は属調である変ロ長調で提示される。まず3度順次上行と下降が組み合わされ、半音低められた第6音(変ト音)と内声部の刺繍音型が陰影をつける。躍動的な跳躍音型の変形、3度順次下降の動機に続いて、3度順次下降の拡大形と刺繍音型の組み合わされた主題があらわれる(第50小節~)。
コデッタは下降音型が付点リズム化された動機によっており、冒頭の3度下降音型が長い音価で再びあらわれると、提示部が反復記号によってくり返される。
[展開部+再現部]
展開部(第70小節~)は提示部主部の開始を模しているが、主部では開始音が変ホ長調のIV度であったのに対し、ここではハ短調のV度ではじまる。
順次下降音型と跳躍上行音型が交互にあらわれ、変ロ短調、変ホ短調、変ト長調を経由してハ短調に行き着く。ソプラノが下降線を描く和声的な進行とバスの跳躍音型が組み合わされ、変ホ長調のIV度の和音が再現部を準備する。
再現部(第110小節~)は伝統的なソナタ形式に則り、主要主題、副次主題はともに主調である変ホ長調で再現されるが、これに続くコーダは展開部以上の規模をもつ。
[終結部]
終結部(第162小節~)は展開部と同様主部の開始を模してはじめられるが、ここでは主要主題をほとんどまるごとハ短調で提示し、変ホ短調でも主題の一部をくり返す。
3度下降音型が単音で、山彦がこだまするかのように模倣的にあつかわれ、徐々に和声づけがなされてゆく。これはまるで動機が生成されてゆくさまを見てゆくようであり、楽曲の核となっている動機の誕生秘話が後から語られているような印象すら受ける。
下降音型は延々と鳴り響き続け、その背後に音階パッセージがあらわれ、また消えてゆく。下降音型が自然ホルンの音型で再現されると(第227小節~)、これも山彦のごとく模倣され、再び音階パッセージをともなって楽章を閉じる。
ベートーヴェンの楽曲終止において動機が執拗にくり返されることは珍しくないが、ここでの音型反復は「告別」の標題とあいまって独特の表現を勝ち取っている。
(第2楽章)ハ短調 4分の2拍子
「不在」と記されたAndante楽章。付点リズムの主題の中に織り込まれた跳躍音型は、第1楽章で用いられた跳躍音型に他ならない。第1楽章では音階の第6音を半音低めた他、主要サブドミナント中心に作曲することで調性感をぼかしていたが、この楽章では主和音「不在」の主題と逸音の使用が調性感を曖昧にしている。
主題がようやく主和音に落ち着くのは第8小節においてであるが、すぐにVI度の和音を経由してヘ短調へ向かってしまう。
単音の音階・分散和音のパッセージに続いて和音のトレモロ音型を伴奏とするト長調(属調の同主長調)の主題があらわれる(第15小節~)。スタッカートの分散和音伴奏の上に断片的にあらわれる和音のソプラノ声部は3度下降をたどっており、第1楽章の動機がここにも姿をあらわしている(第19-20小節)。
冒頭の主題が長2度低く再現され(第21小節~)、続いて2つ目の主題も長2度低いヘ長調であらわれる(第31小節~)。
最後にもう一度冒頭の主題があらわれるが、ハ短調のドミナントを思わせる和声づけ(ニ-ロ-ヘ-変イ)から変ホ長調のドミナント(変ロ-ニ-ヘー変イ)へバスが半音階的に変化(ロ→変ロ)し、切れ間無く第3楽章へ移行する。
(第3楽章)変ホ長調 8分の6拍子 ソナタ形式
[序奏+提示部]
変ホ長調の属七和音によって決然と開始されるフィナーレは、ソナタ形式によっている。10小節にわたって延々と属七和音の分散和音による序奏が続き、主部でようやく主和音に至る。主要主題(第11小節~)は拍頭を刻む和音と八分音符の分散和音からなる。装飾をともなって2度確保されると、和音の連打と分散和音のffに到達する。
副次主題は主調の属調である変ロ長調で提示され、すぐに確保される。2度下降の動機と上行音階パッセージによってコデッタを駆け抜けると、反復記号によって主部がくり返される。
[展開部+再現部]
まず主要主題の断片が変ホ短調であらわれ、平行調の変ト長調を経由し、異名同音への読み替えを駆使してロ長調で副次主題があらわれる。さらに同主短調のVI和音を介してト長調にて副次主題の動機があらわれ、これが主要主題の動機へと変化する。ハ長調からハ短調のVI度和音を経て変ホ長調に戻り主要主題がオクターヴ奏であらわれ、再現部となる。
主要主題が提示部とは異なる伴奏形であらわれ、やはり異なる伴奏形で1度だけ確保されてffの和音連打に到達する。副次主題も主調の変ホ長調であらわれ、外形としては古典的なソナタ形式を保持しているが、この後に主要主題の再提示ともいえる終結部が置かれる。
[終結部]
Poco Andanteに速度を落としたコーダは、主要主題が主部冒頭と同様の形で再現され、再現部において大きく変形して再現された主要主題の再提示とも思える。
主要主題の分散和音動機が執拗にくり返され、ppでドミナント上にフェルマータで留まると、突如冒頭のテンポにもどり(Tempo Iおよびfの指示)、主和音の連打とオクターヴ・トレモロ奏によって決然と楽曲を閉じる。