1735年の『クラヴィーア練習曲集 第II部』においてバッハは、フランスとイタリアの二大様式を対決させることを意図した。この当時すでに、ふたつの様式の差異は決まり文句のように言われるだけで、実際には互いにかなり近づいていた。バッハはそれだけに一層、両者の特徴が明確になるよう注意を払った。この《フランス風序曲》では、曲種の選択と配列、序曲の形式にそれが顕著である。古典的な鍵盤組曲のA-C-S-(挿入舞曲)-Gという定式は放棄された。古めかしいアルマンドを省き、序曲にはクーラントがつづく。サラバンドとの間にガヴォットとパスピエが挿入され、ジーグの後にエコーが置かれている。こうした自由な配列は、バッハ自身の4つの管弦楽組曲にもみられ、従ってこの《フランス風序曲》は――鍵盤組曲ではなく――管弦楽のジャンルを二段鍵盤のチェンバロにうつしかえたものということができる。(同じく『クラヴィーア練習曲集第II部』に含まれる《イタリア協奏曲》は合奏協奏曲をモデルとする。ちなみに、《イタリア協奏曲》のヘ長調と《フランス風序曲》のロ短調は3つの全音を含む減5度、すなわち全音階上もっとも遠隔な調関係にあることも、両者の対比を象徴している。)
冒頭の序曲は、緩‐急‐緩の伝統的な形式を踏まえている。両端の緩徐部分はまったく同じ長さ、それぞれ20小節ずつで、特徴的な付点リズムが回帰する。《パルティータ 第4番》の冒頭楽章を「序曲 Ouverture」と呼びながら緩徐部分の再現を放棄したことを考えれば、バッハはここで、より厳格に形式に従おうとしている。
フランス風の序曲を演奏する際、一般には、付点四分音符を長めに、ほとんど複付点として演奏すべきであると言われている。これに関し、『バッハの鍵盤音楽』(邦訳:小学館、2001)において鍵盤作品を網羅的にとりあげたデイヴィッド・シューレンバーグは、テンポとアーティキュレーションの誤解に基づく無用の議論であると主張している(第2章、および該当作品の項目)。序曲には遅いテンポが指定されることはほとんどなく、多くの場合はアラ・ブレーヴェで記譜されている。すなわち、適切なテンポをとり、付点の前後に明瞭なアーティキュレーションが施されるなら、付点と複付点の演奏に大きな差はない。むしろテンポにこそ注意を払うべきで、序曲を不必要にゆっくりと弾いてしまうと、生気が失われて退屈になってしまう。
荘重な序曲に続くのは、どれも小規模でリズムのはっきりした舞曲である。(《パルティータ》のように様式化を進めるよりも、各舞曲の典型を明確に示そうとする意図が窺える。)クーラントは2分の3拍子でゆったりとしたフランス風のもの。ガヴォットとパスピエはいずれも長短調一対でダ・カーポの指定がある。ジーグのあとに置かれたエコーでは、鍵盤の切替を表す「forte」と「piano」の指定が多数書き込まれており、ここに至ってようやく二段鍵盤の特性を活かす楽章が登場する。