「クラヴィーア練習曲集第3部。教理問答歌その他の讃美歌に基づく、オルガンのための種々の前奏曲から成る。愛好家、および、特にこの種の労作に造詣の深い人々にとっての心の慰楽のために。ポーランド国王兼ザクセン選帝侯宮廷作曲家、ならびにライプツィヒ音楽隊監督、ヨハン・ゼバスティアン・バッハこれを完成す。作曲者により刊行」
のちに「ドイツ・オルガン・ミサ」の異名をとった『クラヴィーア練習曲集 第3巻』、すなわち極めてスケールの大きなオルガン・コラール集に4つのデュエットが含まれていることは、作品の宗教的意味に鑑みてちょっとした謎であり、さまざまな憶測や学説によって議論されてきた。曲集は1739年、ライプツィヒの宗教改革200年記念の年に出版された。コラールの定旋律は、キリエ、グローリア、十戒、信経(クレド)、主祷文、洗礼、悔悛、聖餐という、ミサとルター派教理問答の中心に関わるものが選ばれている。全体は21曲で、これは三位一体の「3」と主の恵み(あるいは天地創造の七日間)を象徴する「7」を掛けた数である。また、曲集の冒頭と末尾に配された前奏曲とフーガは変ホ短調で、3つのフラットを持ち、やはり三位一体を象徴している。ここになぜ4つのデュエットが登場するのか。曰く、『地水風火の四大元素を表す』(R.シュテークリヒ)――しかし、どれが何に相当するのかは判然としない――、『出版のさいに誤って紛れこんだ』(A.シュヴァイツァー)、『出版譜の売れ行きを心配してより一般向けのクラヴィーア作品を入れることにした』(H.ケラー)等々。真実はもはや確かめることができない。現在のところは、ケラーも述べるように、序文の中の文言を裏切らないため愛好家向けにバッハが急遽これらを追加した、と考えられている。
作品が完全な2声部から成ること、あとから急に曲集に加えられたらしいこと、宗教的な関連性や象徴が見出せないこと、などから、19世紀以来4つのデュエットはオルガンではなくクラヴィーア用作品とみなされ、シュミーダー作成のバッハ作品目録でもオルガン作品の項目から外された。そのため、前奏曲とフーガがBWV552、オルガン・コラールが600番台のBWVを持つのに対し、この4つは800番台を割り振られている。
ところで、オルガン用のコラール作品集にチェンバロ曲が含まれているということは、一方では、『クラヴィーア練習曲集 第3巻』のペダルを使わない曲、いわゆる「小教理問答」をチェンバロで弾くという可能性も閉ざされてはいないわけである。D.シューレンバーグは、ペダルを使用しないコラール編曲がすべてチェンバロ用であるなどとはもちろん言えず、むしろペダルのないオルガン、あるいはペダル技術に未熟なオルガニストを想定して書かれたとしながらも、〈いと高きところの神にのみ栄光あれ〉(BWV677)、〈これぞ聖なる十戒〉(BWV 678)、〈われらみな、唯一の神を信ず〉(BWV681)は他の曲と比較してよりチェンバロ的な語法を含んでいることを指摘している。
1. ホ短調 / BWV802
半音階を含むトッカータ風の主題で始まる。バッハにとってホ短調は、半音階的な響きにもっとも近い調であったようだ。トッカータ(BWV914)、平均律第I巻のフーガ(BWV855)、ロ短調ミサ曲の〈クルチフィクス〉、あるいはオルガン用のフーガ(BWV548)などもホ短調で書かれている。
2. ヘ長調 / BWV803
明確なABA、即ちダ・カーポ形式をとる。前半の主題は歯切れの良いリズムによる三和音と順次進行を組み合わせたもので、中間部ではまったく対照的に、増2度を含んだ変則的なリズムによる主題が現れる。
3. ト長調 / BWV804
4曲中では唯一、半音階的な要素をほとんど持たず、あくまで明るく清澄な響きのなかに展開される。しかし、主題労作はきわめて入念で、後半部には動機の拡大や見事な連結がみられる。
4. イ短調 / BWV805
9小節を越える長い主題による。この主題後半部のうねるような八分音符は、対位句としてあるいは間句として様々な変形を加えられて登場し、陰翳を演出している。