2種類の自筆譜が残る。そのうちドレスデンに伝えられるものにはフーガが途中まで書き込まれている。曲集や音楽帖の体裁をとっていないため、バッハがこの曲にどのような計画を持っていたのかは判らない。《平均律》第II巻に組み入れようとした可能性もあり、実現しなかったのは、この曲の華やかな雰囲気ゆえかも知れない。
全体は二部に分かれ、整然とした形式を持っている。両手の分散和音動機がX字型を描くきわめて魅力的な主題で始まる。この4小節の主題は現れるたびに音が増えていく(このような主題労作の手法を「紡ぎ出し」と呼ぶ)。前半の後半部分は手の交差が起こり、鍵盤の上でもX字が描かれることになる。5度音で開始する後半では、X字となるはずの各素材がさまざまに組み替えられる。手の交差のセクションを経て主調で主題を再現する。こうした流れは、提示-展開-再現のソナタ形式に似ている。実際、後世のソナタと同様、再現部の手前に5度調であるト短調の領域に留まって、再現を準備するような部分がある(一般にはこうしたものを推移部と呼んでいる)。
この曲のもうひとつの特徴は、半音階である。しかし、他のバッハの作品にみられるような苦悩の表現に満ちた悲愴感はここには表れない。それはおそらく主題がもつ坦々としたリズムによるのだろう。
続くフーガは、半音階による短い主題でさりげなく始まるが、徐々にスピード感を増し、16分音符の走句とオクターヴを超える跳躍を組み合わせたダイナミックな展開部分へと進む。ドレスデン自筆譜は、走句と主題が結合したところで途切れている。なお、第5小節に再現記号、第35小節にフェルマータの終止記号が書き込まれていることから、ダ・カーポによる大規模な構想があったことがわかる。この曲が完全な形で残っていないのは実に惜しまれる。