ピアノ・ソナタ第8番は、ソナタ三部作の最後を飾る作品であり、大規模な両端楽章と優美な緩徐楽章からなる。この楽曲の主要な主題自体は、他の2曲と並行し、1939年にすでに構想されていたが、1944年の9月、モスクワ北東の都市イヴァノヴォで完成するまでに、多くの部分が見直され、新たに主題が足され、更に調性自体もハ長調から変ロ長調に変更された。また、当初四楽章構成だった構想は、5年を経て三楽章構成に変化していた。
初演は完成と同年の1944年12月30日、モスクワ音楽院の大ホールで、名ピアニスト、エミール・ギレリスによる。ギレリスは回想で、曲のイメージを次のように陳述している。「1944年、私はプロコフィエフ氏に新作のソナタ第8番の初演を提案された。この作品の練習は私の心を奪った。ソナタ第8番は、深遠な作品で、多大な、また感情的な緊張感が求められる楽曲であり、その展開において交響性、緊迫感、広さ、叙情的なエピソードによる魅力を兼ね備えている」。
本作と交響曲第5番の業績を併せ、プロコフィエフは1946年にスターリン賞第2位を受章した。
第1楽章(Andance dolce)
変ロ長調、4/4拍子。緩徐楽章による開始は、プロコフィエフのピアノ・ソナタにとって全く新しい特徴である。この発想は、ベートーヴェンの《月光》を想起させる。しかし、ベートーヴェンの第一楽章が緩徐楽章に典型的な短い三部形式からなる一方で、プロコフィエフの第一楽章は、大規模なソナタ形式をなしている点で、先例と大きく相違している。ある者はこの楽章を指して、ピアノ・ソナタ第7番の初演者リヒテルに対し、「なんて古臭い音楽、まさかあなたがこれを弾きたいと思うのですか?」と批判したというが、当のリヒテルは別の機会に、「幾分理解しにくい作品だが、それは豊かさによるものだ」と洞察し、称えている。
第一主題は低音で奏でられるバスに乗せて、4小節という時間をかけてゆるやかに幅広いアーチを描く。四声体による対位法的に書かれており、アーチが内声の二声部とともに上昇・下降を描いており、プロコフィエフの対位法的な発想力を示している。逆方向のアーチが続いた後(なお、この旋律は映画音楽《スペードの女王》からの転用である)、変ホ長調に移り、第一主題と同様の上方向のアーチで旋律が奏でられる。(なお、以上のアーチのいずれかが「第二主題」として解釈され、本楽章は3つの主題を持つと解釈する解説がロシアでも本国でもしばしば見られるが、再現部でこれらの部分の調性がそのまま保持される点で、これらは動機でこそあれ、ソナタ形式の「主題」ではないと筆者は考える。)その後、再び第一主題がはっきりと確保され、動きを持った推移部を挟み、ト短調による、レチタティーヴォふうの第二主題が現れる。ここに、ロシアのフォークロア音楽である「泣き歌」の要素を見て取る著者もいる。
Allegro moderatoと標示され、トッカータ状の走句から始まる長大な展開部は、これまでに現れた動機が次々と変奏され、提示部に備わっていた穏やかなムードが、鋭く辛辣で、さらには幅広く熱情的な様相に変貌する。
再現部ではほとんど型通りに、二つの主題が変ロ長調で回帰し、展開部が再びたち現れるかのような辛辣なコーダを経て終結する。
第2楽章(Andante sognando)
変ニ長調、3/4拍子。変奏曲形式によるメヌエット楽章。標示の「ソニャンド」とは、「夢見るように」の意。
劇付随音楽《エヴゲーニイ・オネーギン》(作品71)の〈メヌエット〉から、その夢想的で美しい主題をそのまま転用して用いている。原曲では単純な三部形式だった楽曲を、プロコフィエフはここで拡大し、主題は変奏曲という形式で発展させられている。冒頭主題は当初変ニ長調で、次に半音高いニ長調で現れる。興味深いことにこの半音上行は以降の変奏では踏襲されず、第一変奏ではニ長調のみで、それ以降は変ニ長調のみで主題が展開されている。
第3楽章(Vivace)
変ロ長調、12/8拍子。長大な中間部を付加されたロンド・ソナタ形式による、活き活きとしたフィナーレ。三和音をベースとした跳躍の多い主題から始まる。この急速で華々しい様相は、タランテラのそれであろう。また急激で幅広い音域の変化は、初期の小品を思わせる活き活きとした鋭さを、主題に与えている。
ロンド・ソナタ形式の進行を中断して、変ニ長調の中間部が現れる。バスの歯切れのいいスタッカートの定主題を基調として、音量的にも音域的にも、徐々にダイナミックさを増し、クライマックスののち、また遠ざかっていく。この特徴は、拍子こそ違うが、スネアドラムの一定のリズムを背景として、徐々に旋律が近づく構成をもつショスタコーヴィチの交響曲第7番の第1楽章を連想させる。ピアノの独奏曲でありながら、執拗な低音連打と激烈なクライマックスをシンフォニックな形で構成した書法には、執筆時に熾烈を極めていた戦争を連想せずにはいられない。
再現部は主題の途中から再現され、提示部よりもテクスチャが濃く、デュナーミク的にも華々しさを増しており、喜ばしく祝祭的に幕を閉じる。