プロコフィエフは本曲の構想を、第6番のそれと同時期、1939年から始めていた。しかし、それ以降、他の大作に関わるなどで、筆が進まない日々が続いた。しかし、1942年4月後半に疎開先のトビリシ(現在ジョージアの首都)で大作オペラ《戦争と平和》の初稿を完成させるやいなや、プロコフィエフは驚異的なスピードでこの複雑な作品に取り掛かり、5月2日にはもうすでにそれを完成させてしまった。
初演は1943年1月18日にモスクワで行われ、プロコフィエフの希望で、若手の名手スヴャトスラフ・リヒテルにより演奏された。彼は1943年初頭にようやっと楽譜を受け取るやいなや、「非常に惹きつけられ、4日で暗譜してしまった」という。リヒテルは、当時プロコフィエフが滞在していたナショナル・ホテルの一部屋で、ピアノの前で一緒に楽譜に手を入れ、初演を大成功に導いた。プロコフィエフといい、初演者リヒテルといい、二人の天才の仕事への熱意とスピード感には驚嘆させられる。
なお、この作品により、プロコフィエフは1943年のスターリン賞第2位を受賞した。
第1楽章(Allegro inquieto)
6/8拍子。ピアノ・ソナタの冒頭楽章に典型的な、ソナタ形式による。
この楽章について、作曲者自身は「無調」と表現しているが、実際の第一主題はB♭音を中心として構成されているようにみえる。しかし、巧みな半音階、三全音の活用とポリフォニーがそれを覆い隠し、「不安げに(inquieto)」という標示どおり、調性が感じ取れない不安定な響きのまま楽曲は進行する。この主題の調性以外の要素で特筆すべきは、リズムであろう。規則的で力強さのある、6/8拍子ながら行進曲を連想させるリズム・パターンが続くことで、「無調」的な素材が、不思議と耳馴染みのいいものになっているのである。拍子とテンポを変えて(9/8拍子、Andantino)奏でられる第二主題は、やはり調性こそ不安定ながら、それぞれの部分で音階に準じて主題が構成されており、第一主題との構造上の変化がはっきりと現れている。
第二主題が非常にゆっくりと加速すると、楽曲は展開部に入る。ソナタ形式の型どおり、これまでに出現した主題によって構築されながら、縦横無尽に鍵盤上を駆け回り、プロコフィエフの楽曲に稀なほどの熱狂的なクライマックスを迎える。
再現部では第二主題のみが短く再現され、第一主題によるコーダを経て切断されたように終結する。
第2楽章(Andante caloroso)
ホ長調、3/4拍子の緩徐楽章。calorosoは「情熱的に」という意。
内声に出現する、けだるげな半音階から始まる主題は、バリトンが歌う、夢見るような旋律である。このような主題の性格、テンポの面、ホ長調という変ロ調からの最遠隔調を採用しているという点から、この楽章は両端楽章と見事な対照をなしている。Poco più animatoと指示された部分から新たな旋律が提示され、冒頭の主題の一部と組み合わされて変奏されていく。冒頭から結尾まで、対位法的に複雑に構成されており、様々な旋律が縦横無尽に行き交いながらクライマックスをなす。
第3楽章(Precipitato)
変ロ長調、7/8拍子の無窮動的なフィナーレ。標示のPrecipitatoは「性急に」という意味。この楽章のみを取り上げてアンコール曲にするほど、人口に膾炙していると同時に、いわゆる「弾き映えのする」曲であるといえる。
ロシア本国の学者の言葉を借りれば、この楽章は「ロシア的なトッカータ」、あるいは「ロシア的なスケルツォ」であるという。バスのオスティナートと力強いアクセントを伴う主要主題は、ロシア神話の英雄の力を想起させるという。この主題は終始2+3+2というリズムで奏でられるため、機械的な印象も持たれがちなこの楽章に、ロシア人は古代からの力強さを見出すようである。
主題部分が中間部を挟みこむ三部形式をとっているが、中間部も三部形式をなし、全体としてA-B-C-B-Aというシンメトリー構造をとっている。中間部はまず2+3+2というリズムを変化させる2+2+3というアクセントをもつ、主要主題を受け継ぐ力強さをもつ。それに挟まれているのは、本楽章の中で唯一はっきりとした旋律が提示される部分。この旋律は、第2楽章の関係調であるホ短調から始まり、第1楽章の主要主題を連想させる無調的な旋律、そして和声を完全に排除した旋律のオクターヴ・ユニゾンへと展開していく。
主題の再現は、提示部分よりも音域の幅が広がり、聴くものを圧倒せんばかりの迫力をもってして、コーダ最終部分の変ロ長調の主和音の響きへと突き進んでいく。