10代のころから様々な文学作品に親しんでいたプーランクは、特に第二次世界大戦中に、舞台音楽の作曲を手掛けている。ジャン・ジロドゥやジャン・アヌイなど、20世紀フランスを代表する劇作家の作品への作曲は、プーランクにとって戦時下の重要な収入源であり、ロワール地方のノワゼーに城を購入したことによる家計の苦境を切り抜けるための手段でもあった。
1940年夏、プーランクは、歌手で女優のイヴォンヌ・プランタンと、俳優のピエール・フレネーと昼食会をする機会があった。二人の役者はパリ2区にあるミショディエール劇場の監督を務めており、劇場で上演する予定の演劇作品の舞台音楽の作曲をプーランクに依頼した。作品は、20世紀フランスを代表する劇作家、ジャン・アヌイの『レオカディア』。劇の主人公のアルベール王子は、ある日レオカディアという名の芸術家と出会い恋に落ちるが、彼女は3日目の夜に事故で他界してしまった。悲しみにくれる王子は、母の公爵夫人が所有する城の中に、レオカディアと出会った場所を再現する。それから2年経ったある日、母公はアマンダというレオカディアそっくりの娘を見つけ、彼女に城の中で3日間、レオカディアのふりをするよう依頼する。王子はアマンダと過ごすうち、過去の思い出であるレオカディアの死を受け入れ、自分の目の前で生きているアマンダを愛するようになった・・・という物語である。ミショディエール劇場での公演は世界初演で、フレネーがアルベール王子を、プランタンがアマンダを演じることになっていた。プーランクは二人からの依頼を快諾し、作品は11月30日の初日から1941年4月まで173回の公演が行われ、大成功をおさめた。その成功の一端を担ったのが、〈愛の小径〉である。
多くの劇付随音楽と同様に、《レオカディア》も、芝居の全編に渡って音楽が演奏されるのではなく、必要な箇所に必要な形の音楽をつける、というスタイルだった。プーランクも、各幕の前奏曲などの計8曲を書いた。それらのうち、第3幕でプランタン演じるアマンダが歌うのが、〈愛の小径のワルツ〉である。過ぎ去った愛の思い出を歌うこの曲は、観劇客の間でたちまち話題になり、〈愛の小径〉として独立して録音され、楽譜も出版された。以降、今日もジャンルを問わず多くの歌手に愛され、また様々な楽器でも演奏されている曲である。
なお、こうした成立過程上の理由により、プーランクの全作品カタログを作成したカール・シュミットも、プーランクの伝記を執筆したエルヴェ・ラコンブも、〈愛の小径〉には独立した作品目録番号(FP番号)を与えず、《レオカディア》FP 106の一曲としている。