総説
1782年から83年にかけてベートーヴェンが11~12歳の時に作曲され、ケルン選帝侯マクシミリアン・フリードリヒに献呈された(このため、「選帝侯ソナタ」と呼ばれる)。1783年10月14日に師ネーフェ[1]の尽力で出版、「若き天才11歳の作」とされた。ベートーヴェンは1770年12月生まれであるから、1783年10月の時点では12歳だったが、実際に作曲の大部分を進めた1782年の年齢を示すとしたら「11歳」の宣伝に偽りはない[2]。
ネーフェはこの出版の前(同年3月2日)に、当時広く読まれていた音楽雑誌[3]に寄稿し、ベートーヴェンを「J. S. バッハの《平均律クラヴィーア曲集》をらくらくと演奏する」と褒めたたえた上で留学の推薦をし、「彼はかならずや第二のW. A. モーツァルトとなるであろう」と結んでいる。
このネーフェという人物は、1781年2月にボンの宮廷オルガニストに就任し、当地でベートーヴェンにオルガンやピアノの演奏や作曲を教え、教材としてJ. S. バッハの《平均律クラヴィーア曲集》や、その息子C. P. E. バッハ[4]のピアノソナタを与えた。C. P. E. バッハの音楽表現、作曲様式は「疾風怒濤」「ギャラント様式」や「多感様式(感情過多様式)」であり、それはベートーヴェンのピアノソナタ、とりわけこの《選帝侯ソナタ》に色濃い影響を及ぼしている[1]。
各曲解説
第1番 変ホ長調 WoO 47-1
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ処女作と言えるこの作品は、マンハイム楽派が確立した緩‐急‐緩の三楽章構成を取っており、師ネーフェの指導の跡がうかがえる(なお、ベートーヴェンの初出版曲は《ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲 WoO.63》である)。
マンハイム楽派の特徴には、旋律の優位性(もはや通奏低音の発想はない)、「打上げ花火」と呼ばれる息の長いクレッシェンド、ため息動機(二度下行の音型)、強弱の劇的な表現(非常に短い間隔でもfとpが交代するなど)、弦楽器から独立した管楽書法(特に木管)などが挙げられる。その演奏は一世を風靡し、全欧が熱狂した。モーツァルトもマンハイム楽派から多大な影響を受けている。この《選帝侯ソナタ》がモーツァルトに似ているように感じられるのは、「マンハイム楽派」という同じルーツを持つからにほかならない。
第1楽章 Allegro cantabile アレグロ・カンタービレ
変ホ長調、4分の4拍子。発想標語の「歌うアレグロ」に、明らかなマンハイム楽派の影響が見られる(旋律の優位性)。主要主題の書法は木管による室内楽を想起させるもので、穏やかで明るい雰囲気に包まれている。頻繁に交代する強弱も、マンハイム楽派からの影響であろうが、その楽想は演奏効果を狙ったものというよりは、少年ベートーヴェンの茶目っ気を思わせる。
第11小節からの副主題は上方二度のモルデントや前打音を伴う歌唱的な旋律で、まさに「小鳥」の歌である。展開部(第31小節~)は主要主題を属調の変ロ長調で反復するもの。第41小節で印象的にハ短調の新たな主題が登場し、華やかなアルペッジョによる経過句を経て、主要主題の再現を略し、第56小節~副主題が主調の変ホ長調で再現される。
第2楽章 Andante アンダンテ
変ロ長調、4分の2拍子。緩徐楽章。
主要主題には第1楽章の冒頭の動機(付点リズムのアウフタクトが4度上行するモチーフ)が用いられているため、楽章間に統一感がもたらされている。副主題は第13小節よりテノールの音域で奏される。展開部は第31~36小節のわずか6小節間で、左手の装飾的なパッセージに導かれて再現部に至る。再現部では副主題も主調で回帰しているため旋律はアルトの音域となっており、提示の時よりも柔和な表情である。
第3楽章 Rondo vivace ロンド・ヴィヴァーチェ
変ホ長調、8分の6拍子、ロンド形式。もっとも古典的なロンド形式の構成で、主題(A)が、三つのエピソード(B, C, D)ごとに繰り返される(A-B-A-C-A-D-A)。主題は8小節からなる木管風の軽やかな曲調。
一つ目のエピソード(第9小節~)は、主題に続いて変ホ長調ではじまり、走句的な後半では変ロ長調に転じる。
二つ目のエピソード(第45小節~)も主題と同じ変ホ長調で始まるが、左手のオクターヴが強い性格を持ち、fとpの対比が鮮やか。
カデンツァ風の右手(第56小節~)は技巧的な華やかさを持ち、第63小節で突如として現れる変ホ短調には、ベートーヴェンの激情を垣間見るようで、ハッとさせられる。
三つ目のエピソード(第80小節~)はハ短調。これはのちのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」や、交響曲第5番「運命」でも用いられる、ベートーヴェンにとって重要な意味を持つ調である。
第2番 ヘ短調 WoO 47-2
冒頭楽章に序奏部を持つ、悲愴に打ち沈んだヘ短調によるこのソナタは、三曲からなる選帝侯ソナタの中で最も秀でているばかりか、ベートーヴェンがボン時代に作曲したものの中でも最重要曲のひとつである。ハイドンとモーツァルトのクラヴィーア・ソナタに短調のものは少なく、またヘ短調のものはないため、この調選択は特異に感じられるが、師ネーフェを通じてC. P. E. バッハのクラヴィーア・ソナタに親しんだベートーヴェンにとっては、それほど異例の選択ではなかったと考えられる。
第1楽章 Larghetto maestoso - Allegro assaiラルゲット・マエストーソ - アレグロ・アッサイ
ヘ短調、2分の2拍子 - 4分の4拍子。嘆きに満ちたアルペッジョがfで奏されたあと、全てを諦めて力なく呟くようなパッセージがpで続く。そして、地の底を模したかのごとく最低音域でうごめく左手の上で、右手が這い上がろうともがきながら上行するが、思い叶わず落ちていく。たった9小節の序奏は、さまざまな種類の絶望と恐怖に彩られている。
第10小節目からアレグロ・アッサイとなり、心の枷をはずしたように感情の渦が流れ出す。
副主題(第18小節~)は、平行調である変イ長調に転じる。
展開部(第37小節~)は初めこそ変イ長調だが、すぐさま短調に陰り、激情を発露していく。第47小節で冒頭の序奏が回帰する(この構成は後のピアノ・ソナタ《悲愴》において結実する手法である)。このあとふたたび急速なアレグロ・アッサイに戻り、主要主題と副主題がともに主調のヘ短調で再現される。
第2楽章 Andante アンダンテ
変イ長調、4分の2拍子。主要主題は、第1楽章の副主題の後半(第20~21小節)を反転させたもので、第1番と同様に、この2番でも楽章間に統一性が図られている。
副主題(第19小節~)は属調の変ホ長調に転じ、右手のパッセージには細かくアーティキュレーションが施され、トリルで飾られている。若年にして綿密な彫琢が美しい。展開部(第41小節~)は主要主題を転回したものをヘ短調で展開し、左手に現れる深刻な表情「ため息音型」や、不安を煽る同音連打が、深い苦悩をあらわす。再現部(第61小節~)では主要主題の再現は省かれ、副主題が主調の変イ長調で再現され、最後に主要主題によるコーダで終わる。
第3楽章 Presto プレスト
ヘ短調、4分の2拍子。主要主題はユニゾンで、流れる涙もそのままに歩み続けていくさまを想像してしまう。気丈で強く振舞っているゆえに、切ない。16小節からなる主要主題は、続く反復では1オクターヴ上で、旋律も多少変奏されながら、左手にアルベルティ・バスの伴奏を伴う。副主題(第33小節~)は変イ長調で、第45小節目以降、30小節間にもわたる長大なコデッタが続く。その後、主要主題が変奏されて出現するため、展開部かと惑わされるが、これは再現部であり、展開部は省略されている。反復も含めると提示部では32小節を占めていた主要主題は、再現部ではわずか10小節に短縮される。これに対して、副主題以降は完全な形でヘ短調によって再現される。
第3番 ニ長調 WoO 47-3
これまでの2曲より大規模な構成をとっていて、作曲の腕前が上がったことがうかがえる。鍵盤楽器の特徴を活かした語法で書かれており、ピアノ協奏曲を彷彿とさせるきらびやかな華やかさが楽曲全体に満ちている。ここに、C. P. E. バッハの「ギャラント様式」からの影響を見ることができるだろう。楽想のアイディアも豊富に盛り込まれており、推移部やコデッタの拡充、緩徐楽章に変奏形式を用いる試み、終楽章を「スケルツァンド」としたことなど、既存の形式に対する挑戦的かつ意欲的な姿勢が見られる。少年ベートーヴェンの若々しいエネルギーと野望にあふれた作品となっている。
第1楽章 Allegro アレグロ
ニ長調、4分の4拍子。無邪気なアウフタクトが心の中に舞い降りてくる。三度の重音は温かく、フレーズの語尾(第4小節)はころころと鈴を転がすような笑い声。8小節の主要主題の後、同じく8小節からなる楽しげな会話調の推移部が続き、イ長調の副主題(第17小節~)へ。初めの1小節のみカノン風に始まり、ピアノ協奏曲風の華麗なパッセージに移行する。移行部の最後(第37小節~)に、イ短調に陰った主要主題に副主題と絡めて変奏したものを登場させるなど、聴衆の耳をそばだたせる工夫が秀逸。展開部(第50小節~)はイ長調で開始し、めまぐるしく転調しながら技巧的なパッセージをくり広げる。再現部(第73小節~)の主要主題は短縮され、推移部なしに副主題に突入するが、省略されたかに思えた推移部は協奏曲風のパッセージの後、ひょっこり顔を出す(第95小節~)。定型に近い再現部にも一工夫凝らされている。
第2楽章 Menuetto sostenutoメヌエット:ソステヌート
イ長調、4分の3拍子、変奏曲形式。素朴で優雅なメヌエットをテーマとして、六つの変奏が続く。全ての変奏が古典的な音型変奏であり、主題の和声進行を守っている。第1変奏は右手が優美なアルペッジョとなって16分音符に細分化され、それと対称に第2変奏は左手が同様に細分化され、右手は主題の旋律を奏でる。第3変奏では三連符を基調としてさらに細分化され、第4変奏では32分音符にまで細分化が進む。現代のピアノは鍵盤が重くなっているため、テーマと同じテンポを保つのは困難であろうが、作曲当時のフォルテピアノなら充分に可能であっただろうから、ここは技巧をひけらかすのではなく、あくまで音楽表現として、風が舞うように軽やかに弾かれたい。第5変奏でイ短調に転じ、シンコペーションを中心とした簡素なリズムにリセットされる。第6変奏は最終変奏らしく晴れやかな曲想。
第3楽章 Scherzando: Allegro, ma non troppo スケルツァンド:アレグロ・マ・ノン・トロッポ
ニ長調、4分の2拍子。フィナーレにスケルツァンドと表記するのは珍しい。前半はソナタ形式の提示部の構成で、後半はコーダ付きのロンド形式。これまでになく楽節構造が凝っており、とくに副主題あたりの和声進行とフレーズ構造のズレが面白く、まるで副主題がどこから始まるのか隠そうとしているよう。これは故意の仕掛けなのか、はたまた即興の名手であったベートーヴェンの自然なインスピレーションによるものなのか。第16小節で主要主題が終止していることは明白だが、第17小節からカノン風に始まる推移部の構造が気まぐれで、筆者は4+1の5小節がカデンツァ風の推移部と捉えている。したがって、副主題は第22小節から4+4+6であり、第36小節からコデッタと見ている。第58小節から12小節間の間奏を挟んで主要主題が回帰して以降はロンド形式の様相を呈する。第89小節に現れるトリルは、後期ソナタの萌芽だろうか。
[1] クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェChristian Gottlob Neefe, 1748年2月5日 - 1798年1月28日。
[2] 日本語の文献には「13歳の作」とするものが散見されるが 、日本の数え年の文化に由来するものだろうか。このような文献では、「11歳の作」の宣伝文句について「父が以前から2歳年少に言いふらしていたため」 としている。参考:属啓成『ベートーヴェンの作品(上)』東京:三省堂、1944年。『ベートーヴェン・ピアノ小品集』奏法解説=室井摩耶子、楽曲解説=野村光一、東京:カワイ楽譜出版社、1971年。伊藤義雄『ベートーヴェンのピアノ作品』東京:音楽之友社、1962年。なお、伊藤も11歳の宣伝文句に対して「作曲の年から見れば満年齢では当っている」と言っている。
[3] 「音楽雑誌 Magazin der Musik」カルル・フリードリヒ・クラーマー(1752-1807年)刊行。
[4] カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ Carl Philipp Emanuel Bach, 1714年3月8日 ヴァイマル - 1788年12月14日 ハンブルク。J. S. バッハの次男。