作品への本格的な着手は1817年秋頃と推定されており、1818年に完成、翌1819年にヴィーンのアルタリア社をはじめ、ヨーロッパ中の出版社から同時に出版され(世界同時出版といってもよいかもしれない)、作品はルドルフ大公へ献呈されている。
また「ハンマークラヴィーア」の愛称が定着しているが、これは初版楽譜のタイトルページに「ハンマークラヴィーアのための大ソナタ」と記されていることに由来する。ただし、この文句は他のソナタにも用いられている。
小島新によれば、ベートーヴェンはこの作品の第1楽章から第3楽章までを、3重弦で6オクターヴ(F0~F7)を有するヴィーンのシュトライヒャー製の楽器で作曲し、第4楽章はロンドンの友人から送られたロンドン製のピアノで作曲したという。
ヴィーンの楽器とロンドンの楽器ではアクションも異なる上、シュトライヒャーの楽器には鍵盤をずらすペダルによって、ハンマーの位置を3本の弦から1本弦まで移動することができたが、ロンドン製の楽器がもつ独特の音色が、ベートーヴェンをとらえてはなさなかった。この楽器が後期の創作に決定的な影響を与えたことは確実である。
(第1楽章)変ロ長調 2分の2拍子 ソナタ形式
[提示部]
4オクターヴを超える和音の決然とした動機と、これとは対照的なカンティレーネ風の動機からなる主要主題は、その音域を5オクターヴにまで拡大する。1小節ごとに強奏と弱奏が交差する主題確保、冒頭動機を発展させた推移を経て副次主題は短3度下のト長調で提示される。この主題から次々の楽想が紡ぎだされてゆき、ト長調でもう1つの副次主題が3連音符や長いトリルをともなってあらわれる。この主題からコデッタに接続される。
[展開部+再現部]
コデッタの動機を反復しながら転調して変ホ長調に到達すると、主要主題の動機による4声のフガートが展開される。これが動機を構成するリズム素材(八分音符+四分音符)にまで分解される。
この素材の展開が提示部の推移における音型に接続し、ロ短調で副次主題の素材が展開されるが、すぐに主要主題のリズム動機に行き着く。調性はロ長調となり、この動機の反復が主要主題の再現を導く。
再現部ではフガートで展開された要素と主要主題が対位法的に組み合わせられている。カンティレーネ風の旋律も込み入った対位法的な操作が加えられている。
副次主題はともに主調の変ロ長調で再現される。
[終結部]
提示部におけるコデッタの動機が延長され、まず第2の副次主題、次に第1の副次主題があらわれた後、主要主題の断片が幅広いダイナミクスで反復される。強奏と弱奏のダイナミクス交差は徐々に切迫して1拍単位での交差にまで達すると、消え入るように弱奏へと向かう。
主要主題の動機を断片的に徹底して扱いながら、このソナタ形式楽章は閉じられる。
(第2楽章)変ロ長調 4分の3拍子 スケルツォ
主部は付点リズムのアウフタクトをもつ短い動機の反復からなる主題による。古典的な4楽章配列において、スケルツオが第2楽章に置かれる例はソナタにおいて他になく(第18番は四分の二拍子のスケルツォが第2楽章に置かれているが、第3楽章はメヌエットであり、同じ文脈ではとらえられない)、第9交響曲op.125などにみられる。
トリオは同主短調の変ロ短調。Presto四分の二拍子、Prestissimoの使用可能な全音域を駆け上る音階パッセージの推移を経て主部へ戻る。反復記号やダ・カーポの指定はない。
(第3楽章)嬰へ短調 8分の6拍子
鍵盤をスライドさせる楽器の構造的特性を最大限に利用したアダージョ楽章。嬰へ短調は主調の3度下の調性である変ト短調の異名同音であり、ここでも3度の関係による調性構築がみられる。
嬰へ短調の和声的な冒頭主題は、主題を構成する動機を特定し難く、安易な反復を避けて長い楽想を構築している。続いて断片的な和音とシンコペーション・リズムの内声の上に奏でられる第2の主題、次にニ長調に転じ、持続的に続く二音を装飾するような音型の上下に主音と属音の特徴的なリズム動機が反復される第3の主題があらわれる。
再び嬰へ短調にもどるが、冒頭の主題はその和声進行をバス声部に残すのみで、上声部は細かく装飾されており、これによって冒頭主題には、「動機的な特徴が無いことが特徴」であったことが理解されよう。第2の主題がニ長調、第3の主題は嬰ヘ長調で再現される。
第3の主題はさらにト長調であらわれ、冒頭主題の一部が回帰し、嬰ヘ長調に終止する。
この楽章をソナタ形式として論じているものもあるが、主題の動機展開的な技法が見出せない上、この楽章の幻想曲風の楽想は、この楽章の「形式を聴く」ことを拒んでいるようでもある。あえて形式的にとらえるとすれば、たとえば3つの主題をもつ大きな2部分形式のように考えられるだろう。
(第4楽章)変ロ長調 4分の4拍子/4分の3拍子
前楽章から半音下がったヘ音の反復によって開始される序奏は、その全体が調性を探っているかのようである。変ト長調、ロ長調、嬰ト短調などを経由し、イ長調に到達する。イ音の連打の中でバスがヘ音に進行し、主部の変ロ長調のドミナントととして機能する。
主部は「3声フーガ、幾分自由にFuga tre voci, con alcune licenze」と記されている。フーガ主題は、10度の跳躍とトリル、そして16分音符の順次進行に半音階的な変化が加えられた極めて特徴的なものである。対主題は第2拍目に強勢が置かれるリズム的な特徴をもち、続く自由楽区は対主題とリズムを補完し合う関係にある。
次のセクションでは変イ長調に転調し、フーガ主題の後半と対主題の後半、そして3度/6度で順次進行する新たな対主題でフーガが展開される。続いて変ト長調、変ホ短調、変ニ長調、変イ長調などへ転じ、主題の中から紡ぎだされた楽想やトリルさえも1つの動機として利用してフガートが展開される。
新たにロ短調のセクションに入り、主題の逆行形によってフーガが展開される。ニ短調のドミナントに半終止すると、二長調で新しい主題によるカンタービレ風のフーガとなる。変ロ長調に移行し、本来のフーガ主題が入り込んでくる。これに、これまであらわれた主題の変形や対主題があらわれ、さらにバスにオルゲルプンクトのトリルをともなって動機を回想する。最後にフーガ主題の一部とオクターヴでのトリルをもって楽曲をしめくくる。