総説
シューベルトの作曲したピアノ・ソナタのうち、現存する最初の作品。19世紀末に刊行された、いわゆる『旧シューベルト全集』において日の目を見た。
ピアノ・ソナタD 157は自筆清書譜によって遺されており、その冒頭には「1815年2月18日」、第1楽章末尾には「1815年2月21日」と書き込まれている。シューベルトがすでに1811年から弦楽四重奏曲や交響曲を作曲し、ピアノ連弾曲も書いていたことを考えると、彼がピアノ・ソナタというジャンルに取り組み出したのは比較的遅かったことが窺える。
自筆譜は3楽章から成り、第3楽章の途中で筆が途切れている。第1楽章のホ長調、第2楽章のホ短調に対して、第3楽章がロ長調を取ることに鑑みれば、シューベルトはホ長調の第4楽章を想定しつつ途中で筆を置いたと想定するのが妥当だろう。ただし、第3楽章が動きのあるテクスチュアであるため、楽曲全体の主調回帰が欠けていても最終楽章とみなし、3楽章のソナタとして構想されたとする見解もある。
なお、D 154という作品目録番号が付されたピアノ・ソナタホ長調第1楽章の断章(1815年2月11日と記載)は、ピアノ・ソナタD 157第1楽章の別稿あるいは作曲段階と推定されている。これは、双方とも提示部の第2主題と展開部が同一素材から成るためである。
各曲解説
第1楽章:アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ホ長調、2分の2拍子
第1楽章の断章であるD 154は、アレグロの4分の4拍子で書かれている。概説で述べたように、第2主題と展開部はD 157と共通する素材を持つものの、D 154がD 157と最も異なるのは提示部の調構造の曖昧さである。冒頭で第1主題がホ長調で提示された後、第2主題が第30小節で現れる。この新たな主題は主調のまま提示され、ロ長調に転じて繰り返されるが(第37小節)、突然ホ長調に引き戻されたり(第56小節)、ロ短調(第59小節)やト長調(第64小節)を経てハ長調(第67小節)へ転じたりと、属調領域は安定しない。属調であるロ長調が確定されるのは、第2主題がドルチェで再び提示される、提示部末である(第73小節)。このようにD 154では、第2主題が主調で提示されてから属調へと移っていくことにより、提示部全体の調構造は見通しにくくなっている。
D 157の提示部でも、遠隔調への転調が積極的に行われる。提示部では、両主題の間に移行部が置かれ、第2主題の属調を準備するのが定石だが、ここでは第2主題の導入が摸続進行と総休止によって無理に行われている。第2主題領域においても、ロ短調からト長調、ハ長調へと転調し、音程を単にずらすことによってロ長調へと戻る点には垢抜けなさが拭えない。だが、音域が広くユニゾンの多い第1主題がホ長調で、そしてホモフォニックな第2主題がロ長調で明確に提示される点では、D 154と比べて調構造が明確になっている。この点に鑑みれば、D 154はD 157の作曲途中の状態を示すものと捉えられよう。
第2楽章:アンダンテ、ホ短調、8分の6拍子
物憂げな舟歌。長調作品の緩徐楽章として短調の舟歌を置くという構想には、W. A. モーツァルトの《ピアノ協奏曲イ長調》K. 488という有名な先例がある。
本楽章はABA’CA’’という、三部形式を拡大した構造を持つ。A部はホ短調て提示され、平行調であるト長調の優美なB部に続いて、リズム上の骨格に還元された主部が主調で回帰する(A’部)。C部は、コントラスト豊かなハ長調である。動きの少ないA部に対して、B部とC部の両中間部は、十六分音符の動きに特徴づけられている。そしてA部が最後に回帰すると、これら両中間部のリズムが伴奏音形にあらわれる。すなわち、再現された冒頭の旋律を支えるA’’部の左手は、常に十六分音符で刻んでいるのである。このように、本楽章では末尾において、主部と両中間部の一種の統合が行われている。
第3楽章:メヌエット:アレグロ・ヴィヴァーチェ、ロ長調、4分の3拍子
楽章冒頭には「メヌエット」と明記されているが、3拍子の舞踏ではなく1小節を1拍と数える急速な楽章であるため、実態はスケルツォ楽章である。このスケルツォという楽章タイプは、ハイドンがメヌエット楽章の代わりに導入し、ベートーヴェンが急速な中間楽章として様式化したものである。
主部もトリオ部も三部形式から成る。ロ長調で動きを持つ主部に対し、トリオ部は一転して静かなト長調となる。このトリオ部の調は、主部に対する三度関係調であるとともに、第2楽章とも関連している。