武満 徹 1930-1996 Takemitsu, Toru
解説:仲辻 真帆 (2371文字)
更新日:2018年4月24日
解説:仲辻 真帆 (2371文字)
武満徹は、国際的に名前が知られる日本人作曲家の一人である。
1930(昭和5)年10月8日、東京で生まれたが、生後間もなく父の勤務地であった中国(大連)に移り住む。1937年、単身帰国。同年入学した小学校で、音楽教師からピアノの手ほどきを受けた。中学生となった武満は、勤労動員に駆り出される。そして埼玉の陸軍食料基地で従事していた1945年に、音楽との決定的な出会いを果たす。若い士官が持ち込んだ手回し蓄音機から流れたシャンソン《パルレ・モア・ダムール》に衝撃を受けた。
音楽の道に進むと決めたものの、太平洋戦争が終わって間もない頃、若年の武満にピアノを購入する経済力はなかった。当時の武満は、 ボー ル紙に鍵盤をかいた紙ピアノを使って音の鳴り響きを想像していた。1946年の暮れからは、 米軍キャンプに職を得て住み込みで働き始め、 ピアノを毎日弾くようになる。
1948年の演奏会で清瀬保二の《ヴァイオリン・ソナタ第1番》を聴き、武満は清瀬に学びたいと望んだ。その後、清瀬を通して早坂文雄と知遇を得た武満は、早坂が手掛ける映画音楽の仕事を手伝うようになる。作曲の技術的な面はほぼ独学で勉強した武満であったが、清瀬や早坂の創作を間近で見ていた。 武満徹が楽壇へ登場したのは1950年。読売ホールで開催された新作曲派協会第7回作品発表会で、ピアノ曲《2つのレント》が演奏された。この作品について、音楽評論家の山根銀二は、「音楽以前である」と酷評したが、湯浅 譲二などは武満に賛辞をおくっている。
1951年、秋山邦晴、鈴木博義、園田高弘らと前衛芸術家グループ「実験工房」を結成。 「実験工房」 という名称は瀧口修造が命名した。 「実験工房」の活動が終わった後も、武満と瀧口は親密な交流を継続させる。1950年代前半、武満は結核を患う。病床にあった1954年には自宅にピアノが運び込まれた。黛敏郎から贈られたピアノであった。自らの死への意識と早坂文雄の追悼のために作曲された《弦楽のためのレクイエム》が1957年に初演される。この作品は、来日中のストラヴィンスキーの称賛を受けた。
1960年代は、赤坂にあった草月アート・センターでの活動機会が増加する。実験的な場として機能し、新しいメディアの活用なども試みられた。武満は草月アート・センターでの演奏会にあたり、図形楽譜による創作を始め、《ピアニストのためのコロナ》などを発表した。 そして1967年に初演された尺八と琵琶とオーケストラのための《ノヴェンバー・ステップス》により、武満は世界的に注目を集めることとなる。ニューヨーク・フィルハーモニック創立125周年を記念して作曲されたこの委嘱曲は、小澤征爾(指揮)、鶴田錦史(琵琶)、横山勝也(尺八)らによってアメリカで初演された。 武満は、国立劇場の委嘱を受けて作曲した雅楽による《秋庭歌一具》(1979年)などの他、映画音楽でも邦楽器を使用している。
初めて武満の名前が明示された映画は、中平康監督の『狂った果実』 (1956年)であった。 石原裕次郎の初主演作で、ジャズやハワイアンを使用した音楽が映画に彩りをそえた。勅使河原宏監督の『砂の女』(1964年)では弦楽器に よるグリッサンドが軋むような響きをきかせ、 小林正樹監督の『怪談』 (1965年)ではミュージック・コンクレートを最大限活用した。黒澤明監督の『乱』 (1985年)で武満は引き算による音づくりを実行し、無音、静寂を際立たせた。
武満の作品のなかには、美術とのかかわりが濃密に聴かれる曲もある。O. ルドンの絵画に触発されてピアノ曲《閉じた眼》 (1~2、1979~ 88年)を作り、P . クレーの絵画から着想を得てオーケストラ曲《マージナリア》(1976年)や ギターのための《すべては薄明のなかで》 (1987 年)を作曲した。M. レイの写真、J. ミロの彫刻などを見ては、視覚体験を醸成させて自身の作品へ昇華させた。
主要作品に、《テクスチュアズ》 (1964年)、《地平線のドーリア》 (1966年)、《カトレーン》 (1975 年)、《遠い呼び声の彼方へ!》(1980年)といったオーケストラ曲の他、 《小さな空》(1962年)、 《死んだ男の残したものは》(1965年)などの歌曲もある。また、ピアノ独奏曲に《遮られない休息》(1~3、1952~59年)や《ピアノ・ディス タンス》 (1961年)、 ピアノ協奏曲に《アーク》 (1 ~2、1963~64年)や《夢の引用》 (1991年)がある。作品からたちのぼる豊潤な響きの重なりは、「タケミツ・トーン」と評される。
また、音楽と言語による思考にも武満の独自性が認められ、多数の文章や作品タイトルにその片鱗が見受けられる。著書に『音、沈黙と測りあえるほどに』 (新潮社、1971年)、『夢と数』 (リブロポート、1987年)、『時間の園丁』(新潮社、1996年)などがあり、これらは2000年に新潮社から刊行された『武満徹著作集』 (全5巻)に 収録されている。 1995年、武満は癌と宣告された。入院生活を送る中、膠原病による間質性肺炎を発症する。1996年2月20日、武満徹はこの世を去った。 病没する1か月前に、次のような文章を記して いる。「この地上の異なる地域を結ぶ海と、そ の千変万化する豊かな表情に、しだいに、こころを奪われるようになった。できれば、鯨のよ うな優雅で頑健な肉体をもち、西も東もない海を泳ぎたい。」武満は晩年、海(SEA)の象徴音名(Es、E、A)3音をモチーフとした作曲に傾注していた。水や夢といった概念をおしひろげながら、音の河にあそぶことこそ、武満にとっての創作であった。
作品(38)
ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ) (1)
管弦楽付き作品 (5)
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ピアノ独奏曲 (7)
曲集・小品集 (3)
性格小品 (6)
雨の樹素描 II-オリヴィエ・メシアンの追憶に- 雨の樹素描 II-オリヴィエ・メシアンの追憶に-
作曲年:1992
総演奏時間:5分00秒
コンペ課題曲:F
ステップレベル:発展1,発展2,発展3,発展4,発展5,展開1,展開2,展開3
トランスクリプション (3)
種々の作品 (8)
室内楽 (3)
性格小品 (4)
室内楽 (3)
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